同居人(6)二七日①
二七日①
次の日、また事件が起きた。
休み明けの宿題テストで、数学で百点を取ってしまったのだ。
休み時間、クラスの男子に囲まれた。
「おまえ、カンニングしただろう」
「してない」
母さんが言い切った。そりゃね、数学の教師だったんだ。百点取れないほうが悲しい。
「カンニングするなら、英語でもっと取る」
そう言って胸を張った。全然自慢することじゃないけどなぁ。
先生達は、のん気だった。
「お母さんに、数学だけ教わっていたんだね」
それだけでもひどい騒ぎだったのに、国語は九十八点だった。
ありえないだろ。二年間学校に来てないのに。
母さんは、手加減ということを知らないのだろうか。
先生達は、やっぱりのん気だった。
「本の好きな子だったからね」
確かに、図書室にこもってましたよ、二年前は。でも、この二年間、マンガ以外の書物は目にしてないから。
名前の知らないクラスメイトの一人が、ぼそっと言った。
「幽霊と交信できるくらいだから、学校に来なくても点ぐらい取れるんじゃない」
みんなが黙った。
それで納得するなよ、おい。って、まあ、当たらずとも遠からじ、だけど……。
三時間目は、体位測定だった。
『ちょっとメタボかなあ』
測定結果を見て母さんが笑う。
『運動しよっか』
「やだ」
『スリムな方が女の子にもてるよ』
「興味ない」
舌打ちしても無駄だ。俺は運動に向かない。
メタボだと言いながら、母さんは給食のお代わりをする。
今日のメニューは、鯖の味噌煮とすまし汁と野菜の酢の物だ。この、野菜の酢の物が人気のないメニューらしく、食缶に大量に残っている。それを、『もったいない』と大盛りする。
「恥ずかしいから止めてくれ」
小声でお願いするが、聞く耳を持たない。もちろん、今の母さんには身体がないから、耳はなくて当たり前なのだが。
この調子だと、俺のあだ名は近日中に「ブタ」になるだろう。この体型だし……。
いや、もうすでになっているかもしれない。
給食の後、母さんは巾着を持って廊下の手洗い場に立った。
巾着の中身は、歯磨きセット。歯ブラシに歯磨き粉をつける。
(おいおい、そんなこと、誰もしてないのに)
俺の思いはお構いなし、歯磨きが始まる。
案の定、通りすがりの同級生が、奇異の目で振り返って行く。
『だいたいね、小学生の頃はみんな給食の後歯磨きをしてるのに、どうして中学生になったらできないわけ?』
幽霊は便利だ。歯を磨いていてもしゃべることができる。俺は歯ブラシを突っ込まれているので、言い返せない。
母さんはチョコが大好きで虫歯が多かった。そのためか、俺たちは毎年夏休みになると歯医者に連れて行かれ、定期検診を受けさせられた。おかげで、それ以外は歯科医と縁がない。
磨き終わった歯をイーと鏡に映し、母さんは満足気に歯ブラシをしまった。
『丈夫な歯は健康の第一歩。長く使えるようにしなきゃね』
長く使うつもりなんだ……。
歯磨きの後はトイレに行く。昨日も一昨日もそうだった。
トイレは、微妙なんてもんじゃない。
「見るなよ、母さん」
『見るも何も、あんたのおむつを替えたの、誰だと思ってるの』
あのころとは違うのだ。何で、こんな恥ずかしい思いをしなくてはいけないのだ。
極力我慢をしたいところだが、生理現象を抑えることは出来ない。
それに、俺が眠っていた今週初めも母さんは好き勝手動いていたわけだから、当然、風呂もトイレも思いのままだ。ああ、情けない。
用を済ませ、手を拭きながら廊下に出てギョッとした。
トイレから教室までの中ほど、廊下の両側に男子生徒が数名向かい合って並んでいる。その一番最後に、高山君が待っている。壁に長身をもたせかけて。
二年前にも見た光景だ。
きっと、俺の頭が変になったといううわさを聞いたのだろう。わざわざ様子を見に来たのだ。
もちろん彼のことだから、「久しぶり、元気か」なんて言わない。
できれば通りたくなかった。
けれど、その間を通らなくては教室にたどり着けない。
俺は躊躇したけど、母さんは平然と足を運ぶ。
どうか何も起こりませんようにと、祈るばかりだ。
下っ端たちは前と同じ、何もしかけてこない。にやにや笑って、時折「おい」と脅すような声を上げる。
その度に俺は縮み上り、よろめきそうになった。
が、母さんはしっかりと踏みとどまる。
(気をつけなきゃ。足をかけられるに違いない)
自分で自分に言い聞かせる。
案の定、高山君に足をかけられた。
その瞬間、引っかかった足を母さんが思い切り振り上げた。まるで、予測していたかのようなタイミングで。いや、実際そうなのだろう。俺はビビりまくっていたし、廊下の状況から判断して、準備していたに違いない。とにかく、みごとに振り上げは成功した。
よろけたのは、高山君の方だった。
「あ、ごめーん。当たったぁ?」
間の抜けた声で謝る振りをする。とことん性格の悪いおばさんだ。
高山君が低音でうなる。
「けんか売ってるのか」
母さんが、きょとんとしてみせる。
「どうして?」
「俺の足、蹴っただろうが」
「蹴ってなんかないよ。当たっただけだよ」
「わざと振り上げただろうが」
「急に君の足が出てきたから驚いたんだよ」
「なんだと」
「よけようとしたんだけど」
高山君が、胸をそらせるような格好で近づいてきた。すごく威圧的で、怖い。
後ずさりしたかったのに、母さんは突っ立ったままだ。どころか、目をそらさず、にらみ合う格好になった。といって、本当ににらんでいるわけではない。自分の顔が見えるわけではないので、実際どういう表情だったのかは分からない。けれど、怒ったり怯えたりはしていなかった。おそらく、冷静な観察者、そういう表情だったと思う。
「何してるんだ。教室に戻りなさい」
先生の声が近づいてきて、高山君が目をそらせた。
「行くぞ」
と、肩をそびやかせて背を向けた。
「あいつが高山か?」
母さんが、誰にともなく聞く。
驚いた眼でこちらを向く子、ビクッと身を縮める子。
声としての答えはなかったけれど、母さんはうなずいた。
もしかしたら母さんは、昼休みの廊下巡視の先生が近くにいることを知っていたのかもしれない。
でも、分かっていて挑発したとしたら、このおばはん、本気でヤバイ人じゃね?
我が親ながら、恐ろしい。