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同居人  作者: 不動坊多喜
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同居人(5)初七日④

初七日(しょなぬか)


 五限の体育はもっと悲惨だった。

 何しろ、体操服は丈直しできない。入学時に買ったそのままだ。そして、俺は、この二年間でずいぶん人間が丸くなった。

 それでも、母さんは無理矢理着込む。挽肉を腸詰めしてウィンナーを作るように、ハーフパンツに足を通す。ウエストだけじゃなく、どこもかしこもピチピチのパツパツだ。

『夕べ、ゴムを入れ替えたんだけど、まだきつかったかな』

「きついなんてもんじゃないよ。この時間中に死んじゃうかも」

『生きてると大変ね。死んじゃったら平気よ』

 つまり、苦しいのは俺だけだと。なんてこった。

『でも、新しいのは必要ね。今日にでも買いに行こうか』

 切に、お願いします。

 うちの学校の体育祭は、毎年、残暑も厳しい九月第二日曜だ。午前中は陸上競技大会で、午後は学年種目や保護者種目を行う。

 今日の授業は、陸上競技の種目練習だ。一学期の終わりに種目決めはすんでいて、やる気のある奴は夏休み中に練習を重ねていた。

 でも俺は、学校に来ていなかったから種目が未定だ。

 よーく思い出してみると、去年は担任が夏休み前にエントリーしたい種目を聞いてくれたような気がする。でも、俺は何でも良いと答え、ハンドボール投げになったような気がする。

 今年の担任は(と言っても、去年と同じ人だが)聞いてくれなかった。

 なぜだろう?

 最初から来ないと見限られていたのか、それとも忘れられていたのか。

 どっちが悲しいだろう。まあ、どっちにしても、「別に」ではあるが。

「えーと、じゃあ、今年もハンドボール投げにするかい」

 俺の体型をチラ見して、体育教師は手元に目を落とす。

 母さんの気配を察して、素早く答える。

「それで良いです」

 実は、母さんは走るのが好きだ。速いわけではない。単に好きなのだ。

 でも、俺は嫌いだ。何を好き好んであんなしんどいこと。考えられない。


 一日が終わると、もうへとへとだった。夜、起きていられない原因がやっと分かった。

 夕食を食べながらうとうとした。

 父さんは、うれしそうに俺を見つめるばかり。

 舞も、うれしそうに食器を運んだり食卓を拭いたり。

 母さんはもちろん、うれしそうに飯を食う。

 俺だけがうれしくなかった。ひたすら寝たかった。



 次の朝、教室の前まで来たとき、間延びした声が廊下まで響いてきた。

「歩夢さぁ、頭が変になって休んでたって、本当かぁ」

 俺も母さんも、足を止めた。このタイミングで入れる人間は、かなり心臓が強い。

 聞き覚えのある口調は、小学校のとき仲の良かった、益田君だろうか。昨日、教室にはいなかった気がするから、他のクラスからわざわざ確認しに来たに違いない。

 答える低音は、木村君だろう。

「すごいんだ。授業中、いきなり一人でぶつぶつ言い出して」

 いったん声が途切れ、ゆっくり、小さな声で、抑揚をたっぷりつけて、復活した。

「幽霊と会話してたんだ」

「ホントにぃ?」

「そう言ってたよ。本人が」

 そういや、そんなこと言った気がする。

「二重人格になったのかなぁ」

「いや、もののけに取りつかれたんだろう」

「いじめられて変になったとかぁ」

 突然、母さんが、思い切り音を立てて扉を開けた。

 会話と視線が凍りつき、痛かった。

 でも、母さんは平気だ。

 益田君に向って、ゆっくりと聞く。

「僕は、誰にいじめられていたんだい」

 それは、普通、いじめられている当事者の質問ではない。だからだろう、明らかに益田君はうろたえていた。確認を取るようにこちらの顔を伺う。

「高山……、じゃないのかい?」

 いじめられたことなどないかのように、母さんがきっぱり言う。

「知らない」

「俺も知らないよぉ。歩夢が休み始めた頃、誰かが言ってたんだよぉ。違うのかい」

「知らない。だから無かったことにしよう」

 母さんの提案に、益田君はほっとしたようにうなずいた。

 でも、俺は引っかかっていた。

 「無かったことにしよう」なんて、実際はあったみたいだ。

 本当になかったんだよ。母さん。



 夜、お寺さんが来て、家族みんなでお経を唱えた。

「人が亡くなったら、七日ごとに七回、こうしてお勤めするんだよ」

 父さんが舞に説明している。

 俺はぼんやりと思い出す。

 おばあちゃんの時もそうだったなあ、と。

 仏壇に置かれた遺影を見る。おばあちゃんと、母さんと。


 うちは小さいけれど一戸建てだ。

 俺が生まれたとき、おじいちゃんが残してくれた家を改築し、おばあちゃんとの同居が始まったらしい。

 母さんとおばあちゃんは、知る限りけんかをしたことがない。おばあちゃんがすごく良い人だったからだろう、同居生活に嫁姑問題は存在しなかった。

 母さんは仕事一筋で、家は眠るためのものだった。

 そして、おばあちゃんが俺と舞を育ててくれた。

 おばあちゃんは、まだ元気な頃から遺影を用意していた。

「人は、いつ、何があるか分からないからね」

 しっかり者のおばあちゃんの言葉は、いつでも確かだ。

 写真館で撮影した、上品な笑顔。お気に入りのブラウスがよく似合っている。

 それに対し、母さんは常にのほほんとしていた。

「教師は毎年アルバム写真を撮るから、遺影に困らないわ」

 冗談半分に笑っていたのに、まさか本当にそうなるなんて誰も思っていなかった。

 こちらもプロの撮った写真で写りがいい。服もスーツだし、優しい笑顔も別人だ。

 それに、ちゃんと化粧をしている。そこが、母さんらしくない。

 死んだ人には、化粧をする。

 おばあちゃんはいつも身奇麗にしていたので、死に顔を見たとき、生きているみたいで悲しかった。

 母さんは化粧が嫌いで少年みたいな人だったから、死化粧を施された顔は別人で、気持ち悪かった。

 おばあちゃんの仏壇の前に寝かせられた遺体を見て、俺は思った。

 まるで、たちの悪い冗談だ。

 本当はまだ生きていて、裏口辺りに隠れていて、こっそりみんなの様子を見てほくそえんでいるのではないか。

 何気ない振りをして、裏口を開けたり押入れを開けたりしたけど、いなかった。

 やっぱり、あれは本物の母さんの死体なんだろうか。


 思い出すと馬鹿みたいだが、あの時は本気でそう思った。

 それに、実際母さんは、俺たちの様子を見てほくそえんでいたのだ。何て嫌な奴だ。

 もし、今俺が死んだら、やっぱりアルバム用の写真を使うのだろうか?

 でも、あれは笑顔じゃない。

 しぶしぶ撮った写真は、まだ見ていないし見たいとも思わない。

 みんなはそれを見てなんと思うだろう。

 考えるだけで吐き気がした。


「でも、どうして七日ごとなの?」

 舞の質問に、お寺さんがにこにこと説明を下さった。

「亡くなられた方は、生前の行いについて七日ごとに七回裁きを受け、その結果で死後の行き先が決められると言われています。ですから、少しでも良い判決を受けられるよう、残された私たちがお勤めをし、善を追加するのですよ。それが、追善供養です」

「ぜん?」

「善い行いのことですよ」

「じゃあ、お勤めしたら、母さんのポイントがアップして、天国へ行けるってこと?」

「まあ、そういうことです。仏教では、天国でなく極楽ですが」

「分かった。一生懸命お勤めします」

 舞が大きな声で宣言して、みんな笑った。

 でも、俺は笑えなかった。

 代わりに、心の底からお願いした。地獄でも極楽でもどっちでもいい。早くあの世へ行ってくれ、と。

 でも、母さんは行く気配を見せない。頭の中で一緒にお経を唱えていた。




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