同居人(4)初七日③
初七日③
給食のマセドアンサラダは、角切り野菜の他に、豆類がやたらたくさん入っている。コーンに枝豆にひよこ豆。きっと、これが不人気の原因だろう。
母さんは、その豆を一粒ずつつまんで嬉しそうに口に入れる。
そして気づく。箸の持ち方が俺じゃない。
小さいころから食事のたびに注意されていた。
「直そうと思えば、一か月で直ります」
でも、それで困ったことがなかった俺は、直す気もなかった。
しかし、今は強制的に矯正されている。
給食を食べながら、俺はさらに記憶をたどった。
忙しい三日間だった。
おばあちゃんが死んだときもそうだったけど、お葬式というのは、どこかお祭りめいて賑わしい。人が大勢集まって「ご無沙汰」の挨拶をして、昔話をする。そして泣く。
でも、前回と違うことがいくつかあった。
まず、父さん。今回はどうしていいか分からず右往左往することは無かった。
「二年前にもやってるんでねぇ」
力のない顔でそう言った。二年前も、父さんは頑張っていた。何しろ母さんはボーっとした子どもみたいな人だから、あてにならなかったに違いない。
それから、舞。あのときはまだ小学校の低学年で、死の意味が分かっていなかった。親戚が大勢集まったのがうれしくてうれしくて、狂騒状態だった。おかげで、お守りの俺はてんてこ舞いだった。今回は分別がついていて大助かりだ。
そして、俺。
俺はどう変わったのだろう。体形が変わったという以外思いつかない。中身は二年前のまま。むしろ、学校に行ってないぶんバカになったかもしれない。それは、傍目に見えるものなのだろうか。
お通夜は、土曜の夜七時。告別式は日曜の昼十時。
「せわしないけど、夏だし、早い方がいいでしょう」
まるで、生魚を料理するみたいだ。いたまないうちに頂きましょうって。
お昼前に納棺が始まって、午後には式場まで運ばれた。
お通夜というのは、文字通り、夜通し起きていて線香を焚いている。それが何のためかは知らないけれど、そうすることになっている。
今回、舞は早々に眠ってしまった。
お酒を飲んでいた伯父さんが、大あくびをした。父さんも、つられたようにあくびした。首を回し、肩を回し、疲れを取ろうと頑張っていた。
だから、声をかけた。
「二人とも寝ていいよ。俺が起きてるから」と。
「歩夢も疲れてるだろう」
「全然。何もしてないし」
そんな会話の後、父さんと伯父さんは眠って、俺が寝ずの番をした。
そもそも、昼夜逆転の毎日。夜通し起きていても平気だ。
そう思っていたのに、明け方、記憶が飛んだ。
はっと目を開けたとき。まだ、線香が燃えていたのでほっとした。
最後ぐらいは親孝行しなくちゃいけない。
最後ぐらい。
そうか、最後なんだな。
目の前に置かれた白木の箱の中に、母さんは眠っている。もう、目覚めることもない。
最後まで学校に行かず、けんかして、この人は不幸なまま死んだんじゃないだろうか。俺のせいで。
頭が痛い。
何か、入り込んだように、重い。
これが、後悔ってやつかもしれない。一生これを背負っていくんだ。
真面目にそんなことを考えていたのに、最後じゃないじゃないか!
「って、あのとき、入り込んだのか?」
『残念でした。もっと前です』
笑いながら、母さんは席を立ってサラダを御代わりした。
周囲を気にしながら、小声でささやく。
「まだ食うのか。ズボンが苦しいよ」
『生身があるって、辛いねぇ。私、全然平気だよ』
げっそりだ。
気持ちはやつれていくが、腹はパンパン。
どうにかしてくれ。
苦しい学生服の思い出が、渦巻く。
今年、五月の初め、学校では卒業アルバム用の写真撮影があったらしい。
俺は一人、写真屋で撮った。アルバムなんて必要ないと主張したが、母さんに無理やり連れて行かれた。
一年生のときはガボガボだったはずの学生服がピチピチで、ボタンを留めるのも一苦労した。ズボンはホックが止まらないどころか、ジッパーを上げることさえできなかった。仕方なく、前が開いたままのズボンを上着で隠して撮影した。後で聞くと上半身しか写さないそうで、無駄な努力が空しかった。
あのあと母さんは、服屋に頼んでズボンのウエストを直してもらった。修学旅行が近かったからだ。でも俺は旅行には行かず、手直し料金が無駄になっただけだった。
まさか、それが今になって役立つとは。
通夜の日、何とかジッパーを上げ、ホックを止めた。ベルトも一番外側の穴に収めることができた。
備えあれば憂い無し。とはいえ、またちょっと太ったのか、ウエストがきつかった。
家族三人、横一列に並び、焼香する弔問客一人一人に礼をする。
当然のことながら、先生らしき人が多かった。
そして、制服姿の学生。母さんの教え子達だ。
チェックのシャツやプリーツスカートは、近くの高校の制服だ。卒業生だろう。
次に現れた集団は、母さんが最後に勤めた中学の制服だ。男子は今時白のカッターシャツで、女子は夏用セーラーカラー。ソックスも白で、もちろん、ルーズでもアンクルでもない。立ち居振舞いには余所行きじゃない真面目さが漂っていて、さすが田舎の小規模校だ。(母さんが三年前から勤めている学校は、車で五十分もかかる山の中にある。生徒はすごく素直でとても良い学校だと、よく褒めていた)
最後に現れた集団を見て、俺は鼓動が速くなるのを感じた。
俺と同じ制服。小学校の同級生だった。六年生の時の担任を先頭に、クラスのみんなが続いていた。夏休み最後の日曜日で、しかも明日からは新学期だというのに、申し訳なくて苦しかった。
二年ぶりに見る同級生はずいぶん変わっていた。男子はみんな背が伸びて、見違えるほどだった。もちろん、俺も少しは伸びた。でも、俺が横に大きく伸びたのに対して、みんなは縦に伸びていた。
女子は女子で、大人びて、誰だか分からない子もいた。
みんな決まり悪そうに俺を見て、ちょっと礼をする。
俺も気まずかった。
俺はいじめられて学校に行かなくなったわけでもなければ、誰かとけんかをしていかなくなったわけでもない。実際、理由は自分でもよく分からない。
学校に行かなくなった頃、クラスメイトの幾人かは、心配して電話をくれたり訪ねてきてくれたりした。
でも、俺がそれを受け付けられなかった。
それが気まずかった。
気まずい礼を何度も繰り返す。そのたびに、ベルトのバックルがウエストを圧迫し、下がった血液が脳を圧迫する。
だんだん気分が悪くなってきた。
いつしか目の前が真っ暗になって、後は記憶がない。
「あそこか」
『そこです』
「じゃあ、さっき『うまいことやっといた』って言ったのは……」
『そう。君の意識がとんだから、母さんが立派に勤めを果たしてあげたんだよ』
道理で。
目覚めた時、俺は棺の前で寝転がっていた。
そこは、親族が夜通し過ごす部屋で、通夜の式はとうに終わっていた。
誰かがここへ運んでくれたのだ。さぞ重かっただろうと、恥ずかしくて情けなくて最悪の気分になった。
『大丈夫。誰も運んでない。母さんがちゃんと歩いて行ったから』
でも、そうなった原因は母さんだろ。恩着せがましく言うな。