同居人(21)六七日②
六七日②
週が明けて何が変わったかというと、シューに会いに来る人間に、三年男子が混じり始めたことだ。
それと、先週ずっとこなくなっていた真里菜がまた来始めたこと。
昼休み、扉をそっと開け、のぞき込む。俺と目が合って慌ててそらし、後ろの男子と何か言葉を交わしたあと、部屋に入ってきた。誰かと思ったら益田君だった。
首の後ろをかきながら、下を向いてぼそっと言う。
「一人じゃ行きにくいからぁ、一緒に来てくれってぇ……」
母さんは顔中に笑みをたたえた。
「来いよ。もう歩くようになったよ」
益田君も笑った。何の裏もない、小学生の頃と同じ笑みだった。
シューと遊ぶ益田君を見ていたら、真里菜が小声で話しかけてきた。
「この間はごめんね」
「何のこと?」
「大石だよ。サッカー部の」
「もしかして、あの……」
母さんが『ごり押しゴリラ』と言いかけて口を閉ざした。危ない危ない。
「こっちこそごめん。彼氏に疑われるような発言をしてしまって」
丁寧に謝っておく。が、真里菜はちらっと俺を見て何でも無いことのように言った。
「大丈夫。もう別れたから」
「はあ?」
ちょっと待てよ。俺のせいで別れたのか?
母さんも俺も、焦った。見透かすように、真里菜が笑う。
「坂下のせいじゃないからね、安心して。前から思ってたんだ、しつこいって。趣味とか全然違ってて、それはそれで良いんだよ。知らなかったことが知れて面白いし。でも、押しつけてくるのよね、ぐいぐい」
母さんは「ああ」と心の内で笑ったけど、俺は全然違うことを考えていた。
こいつ、変わったなあ。と。
俺の知っていた真里菜は控え目で、自分から何かを欲しがったり拒否したりしないタイプだった。自分の言い分を主張するなんて、とんでもなかった。
ストパーが彼女を変えたのか、変わったからストパーにしたのか。
『コンプレックスが自信に変わったのかな』
母さんが、ささやいた。
自信? そんなもので人は変わるんだ。
そうかも知れない。
そして、俺に足りないものも、それかもしれない。
その一件以来、シューの取り巻きに同じ小学校から来た女子が増えた。真里菜が声をかけたのかもしれない。みんな、卓球部仲間だ。
水曜の昼休みだった。その中の一人が不意に言い出した。
「坂下さあ、変な噂聞いたけど、全然普通じゃん」
「えっ」
顔が強ばるのが分かる。
「あ、そうよね」周りが同調する。
「昔と全然変わってない、優しい」
「そうそう。人の不幸を見過ごせなくって、かといって強い奴に立ち向かえないから陰でこっそりフォローしたりして」
「ああ、プールの時とか」
心臓が捕まれた気がした。もう忘れていたのに、よりによって母さんの前で。
否、みんなは母さんがいることを知らないのだから仕方ない。
「あれは酷過ぎたよね」
「だよね。でも、私らも何も言えなくて、ごめんね」
「あの頃みんなヘタレだったし、怖かったよね」
「今だから言うけど、私ら卓球部に入ったのって、坂下の味方したかったからだよ」
えっ?
息が止まったと思った。それくらい驚いた。
けど、真意を確かめる前に予鈴が鳴った。
『君、人生のモテ期を逃したんじゃない?』
そうかも知れない。
しかし、何で今頃言う? もっと早く言って欲しかった。
そうしたら、俺も変われたかも。自信がついて……。
『プールの時って、何?』
そう切り出されたのは、夜、布団に入ったときだった。
それまで何のアクションもなかったので、俺は安心しきっていた。不意を突かれてうろたえる。そうすると本音が透けて見えるようだ。
『小六の時、プールの授業を見学してたでしょ。ちゃんと連絡来てたよ』
『たまたま体調が悪かったんだよ』
『じゃあ、なぜ、みんなはあんなこと言ったの』
小学生とはいえ六年ともなると、みんな性に目覚めてくる。
俺のクラスを仕切っていた奴は、運動ができて、女子にも人気があった。そいつが着替えの際、ターゲットを決めて手下に襲わせるのだ。「立たせてやる」と言って、下半身を狙われる。ひどいときは下着を脱がされた子もいた。
松島君は、よく追い回されて俺の後ろに隠れに来た。俺だって強いわけではない。運動は苦手だし、けんかなんてさっぱりだ。
仕方ないので、口先で交わしてきた。連中をおだてたり、冗談を言って笑わせたり、話題をはぐらかすことで松島君を逃がしてあげた。それですんだと思っていた。
ある日、プールの自由時間に、いきなり足を引っ張られて沈められた。振り切って逃げようとしたら別の誰かに押さえつけられて、また水の中。本気で死ぬと思った。やっと水から顔を出しても周りを取り囲まれていて、そいつらがじりじり近寄ってくる。足下から鳥肌が立って、失禁するのが分かった。
自由時間終わりの笛が響かなかったら、どうなっていただろう。
だから、次の時間から休むことにした。
プールは好きだけど、逃げた。
そいつらが俺の反応を言いふらして笑っているのを知っていた。活発な女子が、キャラキャラ笑いながら俺をチラ見した。
だから、女子はみんなあっちの味方だと思っていた。でも、そうじゃなかった。
「ヘタレで怖かった」から口にできなかった。そんな過去を笑い飛ばす。みんな変わった。強くなった。
未だに意気地なしは、俺だけだ。
母さんは、ため息をつくように言った。
『言っとくけど、「下着を脱がす」は、立派ないじめだ。「プールで足を引っ張る」に至っては、犯罪だ。そんなときは、お……』
急に、母さんが黙る。こんなことは今までなかった。
『どうしたの?』
『いや、そんなときは、信頼できる大人に相談しろ」
確かに、今ならそうだって分かるよ。
でも、できないこともあるんだ。ヘタレだから……。
その週の木曜は、家族三人だけで仏壇の前に座った。
お経を一通り読み終えて、おまんじゅうを食べながら舞が聞いた。
「ねえ、どうして今日はお寺さんが来ないの」
俺も気になっていたが、知ったふりをして座っていた。
「今度の日曜に仕上げのお勤めをするからだよ。今日来てまた日曜、というと大変だからね」
「じゃあ、一回にまとめるっていうことだね」
「その通り」
何となく思い出して、口をはさむ。
「おばあちゃんの時もしたよね」
「そうそう、よく覚えてたな」
けれど舞は、「うーん、あったかなあ」と首をひねっている。
父さんはそんな舞に眼を細め、言い聞かせるように言った。
「だから、今度の日曜は遊ぶ約束をしてこないように。お昼もみんなで食べるからね」
「やったぁ。ご馳走だぁ」
喜んだ拍子に、こしあんがぽろっとこぼれた。ああ、と指でつまみながらも、舞はうれしそうに笑っていた。




