同居人(16)四七日⑤
四七日⑤
その週の木曜は秋分の日で休みだった。
秋分の日は彼岸の中日。ということで、朝から父さんの車で墓参りだ。
おばあちゃんと母さんが眠っていることになっている墓に、みんなで手を合わす。変な気分だ。
「今夜もお勤めあるの?」
舞の言葉に、父さんは「もちろん」と答える。
「じゃあ、今日のお供えはおはぎだね」
「そうだな。じゃあ、母さんの好きな福寿堂で買って帰るか」
「やった」
「ついでにお昼も食べて帰るか」
「買い物も行こう」
盛り上がる二人に、母さんが声をかけた。
「僕はパス。シューが気になるから早く帰りたい」
舞がふくれっ面で振り向く。
慌てて付け足す。
「丸卯で食べようよ。僕はそこから歩いて帰るから、二人で買い物に行ってきなよ」
うどんの丸卯は、家から歩いて二十分もかからない。そして、うちの家族はみんなうどん好きだ。
舞の表情がくるりと変わる。
「良いよ。行こう」
丸卯を出た後、俺は一人歩きながら考えた。
『俺って、負け犬だよな』
もちろん、一人で考えても脳内には答える人がいる。
『何でまた、突然』
『いや。何となく』
本当は、自殺し損なったときからずっと頭の片隅にあったことだ。
いじめに耐えられず、死ぬことさえできず、猫の人気に負けている。
こんな惨めな感情を、隠したくても母さんは気づいているはずだ。
しかし、彼女は何も言わない。
『自分がそう思うなら、そうかもね。で、何に負けたの?』
考えて、考えて、母さんが気に入りいそうな答えを探した。
『自分に』
ぶわっと母さんが噴出した。
『くっさー』
失礼な奴だ。それでも親か。
よだれを拭きながら、『ごめんごめん』と母さんはまだ笑う。
『あのね、人が生きる目的って、何なの』
『そんなもん、人によって違うだろ』
『だよね。じゃあ、君の目的は何なの?』
俺はちょっとだけムッとした。何の目的もなく日々を過ごしていることを知っているはずなのに。
『そう、何の目的もない。勝負もしていない。だから負け犬ってこともない。違う?』
勝負を避けている時点で負けているのではないか。
そんな考えが頭をかすめたが黙っていた。
しばらく、黙々と歩く。何か言い返したくて、考えながら歩く。
『じゃあさ、母さんの生きる目的は何?』
『もう死んじゃってるから、生きる目的は、無い』
『じゃあ、俺の体を乗っ取る目的』
母さんは爆笑した。
『それは、最初に言ったよ。もう一度人生をやり直すためだって』
うん、聞いたな。
『じゃあ、やり直すのは、何のため?』
今度は母さんが黙った。
答えに窮したというより、言葉を選んでいるような気配。
『人は何のために生きるのかってことだけど』
それを見つけたか見つけようとしている途中か、曖昧な口調で話が始まる。
『これは母さんの考えだけどね、人は幸せになるために生きていると思う』
今度は俺が爆笑する番だった。
『くっさー』
母さんもそう思っているのか、反論はなかった。
『でもそう考えたとき、幸せっていうのはとっても個人的なものだから、自分に負けるっていうのも、ある意味正しいかな』
『個人的なもの、て、どういうこと?』
『ほら、傍から見るとどう見ても不幸なのに、本人は幸せだって思っていることってあるでしょう。あるいは、その逆とか』
あまり思い当たらない。かなり考えて、一つだけ思いつく。
『俺から見て面白いと思わないゲームを、延々楽しそうにしてる奴、とか?』
『友だち?』
『うん、まあ』
彼は、小学校の同級生だった。三年生の時、初めて同じクラスになった。席も隣で、休み時間はゲームの話で盛り上がった。それからちょくちょく遊びに行くようになり、彼が休んだ日には連絡を届けるようになった。そうだ、彼は体が弱く、しょっちゅう学校を休んでいた。六年生の頃には、ほとんど来なかったような気もする。ずっと同じクラスで、毎日のように届け物をした。行くと、きまってパジャマのままでゲームをしていた。
今思うと、あれは、不登校?
彼は卒業して別の中学に行ったけれど、学校に行かなくても卒業できるんだとぼんやり思ったことを思い出した。
少し考えて、勇気を出して聞いた。
『俺が不登校になって、母さん、不幸だった?』
間髪おかず、返事が来た。
『全然』
『嘘だ。だって、うるさかった』
『どんな風に?』
どんな風だったろう?
学校へ行け、と言われた。最初は。でも、言うほどしつこくなかった。
父さんも母さんも仕事があるから、俺をかまっているヒマはもともと無くて、すぐ諦めたからだ。
そう思っていたけれど、もしかしたら違ったのかな?
『君自身はどうだったの? 不幸だった?』
そう聞かれると、難しい。
学校を休んでゲームをしていた彼は、楽しそうに見えた。
俺自身はこの二年間、さほど楽しくなかった。学校に行きたいとは思わなかったけれど、行かないことへの罪悪感があった。周りから見た俺は、幸せそうだったのだろうか。傍目には幸せそうでも、実際は不幸せというのはこういうことかもしれない。
なら、彼は、どうだったのだろう? 実際は不幸だったのだろうか?
『母さんは不幸じゃなかった。けど、不安だった』
『何が?』
『決まってるでしょ。将来だよ』
将来……。まだまだ先だ、そう思ってきた。
『ずっと前に言ったと思うけど、順当に行けば親が先に死ぬでしょう』
『うん、実際死んでる』
『だから、親の役割って、それまでに子どもに一人で生きていく力をつけてやることだと思うの。生物学的に見ると、他の動物はみんなそうでしょ』
そりゃあ、その通りだろう。でも、そう上手くはいかない。
俺が休み始めた頃、母さんは「自分のやりたいことを見つける期間としよう」と言った。でも、俺は探さなかった。探し方を知らなかった。というか、ぴんとこなかった。これから先なんてあるように思えなかったし、逆に、まだまだ遠い未来のことなんか考えても無駄だと思えた。考えることを放棄していた、というのが正しい。
『だから、不安はあったよ。押しつぶされはしなかったけどね。でも、不幸じゃなかった』
母さんがそう断言して、俺はうなずいた。
『君の友達がゲームばかりしていたのは、もちろん、楽しかったからに違いない。でも、きっと不安もあったと思うよ。それを誤魔化すためにゲームしてた、っていうのもあるかもね』
チクリと胸が痛む。
俺も同じだ。
『じゃあさ、仕事辞めて、どうするつもりだったの』
『あちこち旅行したり、いろんなものを見たかった。君と一緒に』
『俺と? どうして?』
『家の中にいたって、何も変わらないから。楽しいことは外にあるって知って欲しかった。世界は広いから、そのどこかで自分の道を見つけて欲しかった』
楽しいことは外にある。
俺は、知らず、胸の内でその言葉を復唱していた。