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同居人  作者: 不動坊多喜
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同居人(15)四七日④

 四七日(よなぬか)


 連休明けの火曜日、母さんは本当に猫を連れて学校に行った。

 昔使っていたピクニック用のバスケットにタオルを敷き詰めて、湯たんぽを挟み、その上にネコを静かに沈める。タオルの一隅をめくり上げて、哺乳瓶とミルク缶とウンチ用のガーゼを入れる。蓋を閉めて、留め具をかければランチパックの出来上がりだ。

「で、これを職員室で預かれ、と」

 教頭先生が、鼻メガネの上から俺を見つめた。担任は隣で頭を掻いている。

「はい。ミルクは休み時間に作りに来ますから、お湯を頂けたらと。あ、ウンチの世話もちゃんとやりますんで」

 うーんと頭をかかえながら教頭は担任と顔を見合わせた。

「今日は連れてきてしまったから仕方ないが、明日からはどこかで預かってもらいなさい」

 ぷちっと切れる音が聞こえた気がした。

「じゃあ、もう学校にこない」

 途端に教頭は焦り始めた。

「職員室は無理だけど、そう、そう、保健室はどうかね」

 二つ向こうに座っている保健室の先生に声をかけた。

「かわいそうだけどダメです。ネコアレルギーの子がいるかもしれないし。それに、保健室は清潔第一です」

 つまり、俺のシューは汚いと。

 俺もむっとしたけど、母さんがもっと怒っているのが分かった。

「分かりました」

 バスケットをかかえて、それでも一礼して職員室を出ると走り出した。

「おーい。どこへ行くんだー」

 担任の声を背中で振り切って、母さんは走る。まるで校内を熟知しているかのように階段を上り、行き先を知っているかのように廊下を曲がる。

 二階、吹き抜けの多目ホールを見下ろす回廊を進む。

『在室』とかかれたルームプレートのかかった扉の前で足を止める。

「相談室?」

 俺の疑問を全く無視して、母さんはノックする。

 鉄製の厚めの扉が、重い音を立てる。

「あら、坂下君じゃない。久しぶり。どうしたの、そんなに息を切らして」

 スクールカウンセラーの榎本先生が振り向いた。

 俺が学校に行かなくなった頃、担任の先生から、榎本先生に相談してみたらという話があった。でも、俺は断った。学校に行きたくないから休んでいるのに、どうして相談のために学校に行かなくちゃならないのか分からなかったからだ。

 俺の気まずさにはお構いなしに、母さんはぐいぐい行く。

「先生、お久しぶりです。今よろしいですか」

「ええ、お入りなさい」

 入り口で上履きを脱ぐと、スリッパに履き替える。勝手知ったるわが家のように、母さんは絨毯の上を歩き、ついたての向こうのソファに座った。

 扉のところで何かしていた先生は、遅れて向かいに腰を下ろした。

「最近、頑張っているそうですね」

「はい、おかげさまで。それより先生、今日はお願いがあって来ました」

 母さんはバスケットをテーブルの上に置いた。

 ふたを開けると、先生は興味深げに中をのぞき込んだ。

「子猫?」

「はい、このネコ、ここで預かってもらえませんか」

 母さんは、手短に、シューを拾った日のことと教頭先生の対応への不満を語った。

 先生は、にこやかに話を聞いてくれた。

 話が終わると、穏やかな眼でシューを見つめ、それから俺を見た。

「知っていると思うけど、先生がここへ来るのは火曜だけです。他の日はどうしますか」

「先生がいないときも、この部屋を使わせてもらえたらと思っています。他の日は無人だし、この子はまだ動けないから部屋を荒らすこともありません」

「動けるようになったら?」

「それまでにキャリーバッグを買います。どうせ病院に連れて行くときに必要だし、大きめのを買っておけばしばらくは中で動き回って退屈しないはずです」

 よどみなく答えが出てくるので、正直俺は驚いた。今思いついたのではなさそうだ。

 母さんの本気度が伝わったのだろう、先生は優しく微笑んだ。

「分かりました。許可しましょう。教頭先生には私から話しておきます。ただし、私はめんどうを見ません」

 ぱっと脳が、身体が、明るくなるのを感じた。

「ありがとうございます」

 母さんは、深々と頭を下げていた。

 そうしてシューは、学校に通うネコになった。


 相談室のプレートは、全部で三枚。

『外出中』『在室』それから『相談中』。

 その日、午前中の休み時間は在室ばかりだった。

 しかし、五時間目が終わった時は、相談中の札がかかっていた。

『誰と相談するんだろう』

 心の声に母さんが応える。

『悩みを抱えた生徒やその保護者』

 保護者……。

 やっぱり、母さんはこの部屋を知っていたんだ。

 何度この鉄の扉をノックしたのだろう。そして、どんな話をしたのだろう。

 俺の疑問も聞こえたはずなのに、彼女は無視した。



 俺がネコを連れてきたという噂は、あっという間に校内に広がったのだろう。みんなの反応が、また変わった。

 相変わらず無視を決め込む者、完全に退く者、そして、俺には話しかけないくせにシューに話しかける者、シューを介して俺に話しかけてくる者。

 母さんは、休み時間毎に様子を見に行く。すると、必ず誰かがシューを見に来るのだ。

 そのほとんどは、名前の知らない下級生の女の子だ。一年生は、まだまだ素直だ。

「かわいい」

「ミルクやらせて」

 そう、手を差し伸べてくれる。

 母さんにミルクの作り方を教えてもらって、キャーキャー騒ぐ。

 作ったミルクをシューが飲んだら、また一騒動だ。

「飲んだー、飲んだー」

 ガーゼハンカチでお尻を刺激して、さあ、おしっこが出ようものなら大騒ぎだ。

「うわぁ、何、コレ。生ぬるい」

「やだぁ。うんち出てきたよー。ブチュブチュだよぅ」

 嫌がっているのか喜んでいるのか分からない。

 時々、男子が混じっているときもある。女子のようにはしゃがず、俺がミルクを作ったりおしっこの世話をしたりしているのを、少し離れてじっと見ている。『そんなことをして面白いのか』と言いたそうに。けれど、その目の奥には隠し切れない好奇心があふれていて、『ホントは君もやってみたいのだろう』と言いたくなる。

 休み時間終了三分前になると、母さんは彼らを追い出しにかかる。でないと、自分も遅刻してしまうからだ。

「そんなことになったら、ネコを連れてこられなくなるからね。ご協力お願いしまーす」

 などと言い、部屋の電気を消す。

 離れがたい様子の女子たちも、しぶしぶ腰を上げてくれる。

 誰もいないのを確認し、カギをかけ、それを職員室に戻しに走る。授業が終わればまた取りに走るのに、律儀だ。

『持ってたって、誰も困らないんだろう』

『ダメだ。約束だ』

 チャイムが鳴り始める。滑り込みセーフを目指し、ターボをかける。

 新手のダイエットかもしれない。


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