同居人(12)四七日①
四七日①
事態は一向に改善されず、俺はクラスで孤立したまま週末を迎えた。
学校側は、それなりの配慮をしてくれた。休み時間だけでなく授業中も巡視が入り、俺が孤立していないか気を配っているようだった。
けれど、それがいじめを認めているようでよけい惨めだったし、何より、みんなが俺のせいで閉塞感を感じていると思うことがしんどかった。
給食のエプロンを入れた袋をぶら下げ、生徒玄関で靴を履く。脱いだ上履きは、そのままリュックに突っ込む。
すぐ後ろで、益田君の声がした。
「もうちょっと早く来いよなぁ」
知らない誰かが答えている。
「全く。明日来たって何にもならないよなあ」
振り返った俺は、どんな顔をしていたのだろう。多分、疑問符だらけの表情で益田君を見つめていたのにちがいない。気づいた彼が、戸惑いながらも「台風だよぉ」と言ってくれた。
「明日警報が出てもさぁ、土曜だから関係ないだろう」
「ああ」
俺たちは一斉にうなずいた。
外はもう雨が降り始め、けれど、風はまだそんなに強くない。
「大型だっていうから期待してたのに、休みにならなかったなあ」
知らない誰かは、向こうも俺を知らないのだろう。人なつっこい笑顔でそう言い、青い傘を広げた。俺は二人と肩を並べ玄関を出た。
友だちと帰るのは本当に久しぶりで、ちょっと胸が高鳴った。
けれど、校門にたどり着く前に、後ろから追いかけてきた黒い傘に二人は呼び止められ引き戻された。
立ち止まって振り返る。
三人が、傘を寄せ合って何か相談している。青い傘が少しかしいで、知らない誰かが俺をチラ見した。
益田君が戻ってきて、すごく苦しそうな声で「ごめん。先帰って。何かさぁ、呼ばれてるみたい」と言った。
三つの傘が校舎に戻っていく。玄関口に見え隠れする数人は、俺のクラスの人間のようだ。名前は知らないけど見覚えがある。シューズ事件の犯人やストロー受け取りを拒否した女子も混じっている。
傘を深く差し直して、俺は校門を一人で出た。
夜明け前、母さんの気配が眠っているのを確認して俺は家を出た。
母さんに、これ以上勝手な振舞いをされるのはごめんだった。
といって、止める力は俺にない。
方法は、ただ一つ。それしか思いつかなかった。
今日は台風が来る。大型だ。
海に向かって歩く。
夜明けが近いはずの空は、まだ真っ暗だ。
夜半から降り始めた雨で道路は既に川状態だった。雨水が溝に収まりきれず、あふれている。時折吹く突風に傘を飛ばされないようしっかり握る。
なるべく水の少ないところを選んで歩く。サンダルで来ればよかったと思ったとき、前から来た乗用車が水を跳ね上げた。思わず傘で防いだ後、苦笑した。目的を達成したらずぶ濡れどころじゃないのに、今更だ。
静かに傘をたたむと、また歩く。
海に続く細道に入る。両側の家はまだ眠っている。
雨水が、側溝に音を立てて流れ込んでいる。金属製の溝蓋に、流れてきた枯れ葉やゴミが引っかかっている。その中で何かが動いた気がした。立ち止まってよく見ると、確かに小さな生き物がいる。長いしっぽ。ネズミだろうか。
ふいと背を向け、また歩く。俺もあんな風にどこかに打ち上げられるのだ。
民家が途切れ、防潮林に入る。マツもヤマモモもクスノキも、体をゆすって唸っている。枝を飛ばされまいと耐えている。俺も耐えた。耐えて、足を踏み出した。
小径のどん詰まりは、コンクリートの堤防だ。その向こうは、木々の唸りよりももっと大きな悲鳴をあげる波がうねっていた。
あそこまで行けば、簡単に願いがかなえられる。
波はあっけなく俺をさらって、体も心も砕いてくれるだろう。
それは、自由への第一歩だ。
堤防を乗り越え浜に降り立つ。丸く削られた石を踏みつけ波打ち際に向かう。手前に、波が造った石の山脈がある。その頂上に立つ。
すぐそこに、もう一つ山脈が見える。押し寄せた波が山にぶつかり、飛沫となって砕けて消える。すぐに別の波が押し寄せ、また砕ける。
突如として波が山を乗り越え、俺の足元に届こうとした。
思わず一歩引く。
波が、怒っている。
突風が体を揺らした。
海に倒れ込みそうで、思わず足を踏ん張る。
踏ん張った後で気づく。踏ん張る必要はなかったのだ、と。波にさらわれるために来たのに、と。
雨脚がひどくなった。
雨粒が体に痛い。それなのに動くことができない。
あと数歩、足を踏み出せば願いが叶う。
けれど、俺は踏み出せなかった。
気がつくと、海に背を向けていた。
母さんが目を覚ましたのかと思ったけど、そうじゃなかった。自分の意志で、海岸を離れていた。
堤防を乗り越え小径に戻ったものの、家に帰る気もしない。
行く当てもない野良猫のように、うろうろと海岸沿いを歩く。
母さんは起きているはずだ。けれど、何のアクションも起こさない。それが却って落ち着かない。
もしかしたら、俺が死ぬのを待っているのかもしれない。そうしたら、この身体は本当に母さんの物になる。そうに違いない。
嫌だ。それだけは、嫌だ。
雨は降ったりやんだりを繰り返し、俺はそのたびに傘を閉じたり開いたりした。体が冷えてきたからそのうち風邪をひくだろう。それでも帰る気持ちになれず、かといって死に向うこともできず、防潮林の中をうろついた。
頭がぼうっとしてきたころ、児童公園にたどり着いた。その東屋のベンチに腰を下ろす。座ったとたん疲れがどっと押し寄せてくる。そのまま横になり目を閉じる。
いじめに耐える強い心も、自ら死ぬ勇気もない。このまま中途半端に生きていても、楽しいことなんて何もないだろう。母さんの言うように「もったいない」だけだ。なら、いっそ、母さんに預けてしまえば……、案外楽かもしれない。
母さんなら、いじめなんか物ともせず学校生活を楽しむだろう。俺なんかより、ずっと有意義にこの身体を使ってくれるだろう。
でも、俺はどうなる?
意識の隅っこで丸まって、テレビでも見てるみたいに母さんの行動を楽しめば良いんだ。そうだ、どうしてあんなに嫌だと思ったんだろう。こんな楽なことはないのに。死ぬより、きっと楽……。
「母さん。気づいてるんだろ?」
『んー』まるで伸びでもしているような声が返ってくる。
「身体、やるよ。好きに使っていい」
とたんに、がばっと起きる気配。
『急にどうした?』
「もう、どうでも良くなった。寝てる方が楽だ」
しばし沈黙。
『あ、そ。諦めるのか……。だっさ』
そう吐き捨てると、意識に蓋をした。
再び、眠ったような沈黙。
母さんが動かないので、俺も動かない。
もう、何もしない。しなくていい。
そのまま、眠ってしまった。