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13 小河桃音

 ヒカルが現れた翌日の金曜日。脩斗の店は珍しく満席だった。今夜は吸血鬼は居ない。人間のみだ。梅元(うめもと)という、六十代の常連男性が、女の子たちを何人か連れてきていたのだった。


「シュウさん、すっごくカッコいいね。桃音(ももね)のタイプだよ!」


 女の子たちの中でも、一際可愛らしい顔立ちをしていた小河桃音(おがわももね)が、カウンターに身を乗り出してそう言った。彼女はモスコミュールを注文していた。


「ありがとうございます」


 整った容姿を自覚していた脩斗には、そういう褒め言葉は特に響いていないのであったが、桃音は続けた。


「ねえ、シュウさんって恋人いるの?」

「いませんよ」

「えー!? こんなにカッコいいのに?」

「残念ながら、機会が無くて」

「嘘だぁ。いくらでも女の子との出会いあるでしょう?」

「桃音、シュウくん困ってるだろう。その辺にしておけ」


 梅元は桃音の肩を軽く掴んだ。


「はいはい、梅元さん」


 桃音は茶色く染めた髪をポニーテールにしていて、サイドから垂らした毛先をくるくると指で遊ばせた。

 脩斗の方はというと、桃音の言葉自体には困ってはいなかったのだが、梅元が制してくれたことに内心安堵していた。客が多く、一人ではさばくのに難儀していたからだ。こんな日に限って、達己は私用で休みだった。


「シュウくん、済まないね。桃音が酔うとこんな風になるとは知らなかったんだよ」

「いえ、大丈夫ですよ梅元さん。お客さまが楽しく飲んで頂ければ、僕はそれで」


 脩斗は頬を緩めた。 


「若いのに、しっかりしてるなぁシュウくんは」


 梅元が何の職業をしているかということを、脩斗は正しく知らなかった。ただ、今夜のように、ショットバーに慣れていない若い女の子たちを連れてくるのは、これが初めてでは無かった。


「まあ、シュウくんも一杯飲みなよ」

「ありがとうございます」


 梅元に促され、脩斗は他の客の酒と一緒に、自分の分のハイボールを作った。


「いただきます」


 そう言って梅元のグラスと乾杯し、脩斗はハイボールをぐっと飲み込んだ。そこへすかさず桃音が割り込んできた。


「桃音とも乾杯してくださいよぉ」

「はい、乾杯」


 桃音が飲んでいたモスコミュールはまだ二杯目だったのだが、彼女は酒が弱い方らしい。すっかり出来上がっていた。


「本当は桃音が恋人候補になりたいけど、今度オーディション受けるんでぇ」


 間延びした声で桃音が話し出した。


「オーディションですか?」

「そう。桃音、地下アイドルやってたのぉ。それが解散しちゃって、次新しいの受けるんだぁ」


 桃音はくたりと顎をおしぼりの上に乗せ、ぷらぷらと足を振りだした。他の女の子が、心配そうに彼女の肩をさすった。


「桃音はこう見えて歌唱力はある子でね。もう二十歳だから、次のオーディションにはかなり気合いを入れているんだよ」


 梅元は桃音の背中に触れた。


「そうでしたか。僕はそういうのは疎いもので」

「シュウくんはいかにもアイドルとか好きじゃなさそうだもんな。まあ、もし桃音がこの店に居つくようになったら、よろしくな」

「はい、梅元さん」


 そうは言っても、梅元が連れてきた女の子で再び来店したことのある子は今まで居なかった。若い女性一人だと入りにくい立地にあるせいだろう。

 酔っぱらってもなお、桃音は脩斗と会話をしたがった。いや、酔っぱらっていたからこそだろうか。彼女はやけに饒舌だった。


「桃音、次は最後のオーディションだと思ってるの。これに失敗したら、実家に帰れって親からも言われてるんだぁ、酷いよねぇ……」


 それから脩斗は、オーディションの詳しい話を桃音から聞かされた。今は書類選考の結果待ち。それはさすがに通るだろうと彼女は見越しているようだった。


「二次審査からはネット配信されるからさ、通ったらシュウさんも見てね?」

「気が向けばそうします。あいにく、アイドルのことはよく分からないもので」

「じゃあさ、配信されたらまたこの店に来るよぉー! ねっ? それで一緒に見よう?」


 桃音は右腕を天井に突き出し、紅潮した頬をしながらそう叫んだ。


「ええ、分かりました」


 静かに脩斗は答えた。やけに懐かれてしまったな、と脩斗は思った。一目惚れされて告白を受けたことが何度かある彼だったが、桃音のようなアプローチは初めてだった。

 また、この店に来てくれるのなら、それは喜ばしいことだろう。脩斗は空のグラスを洗いながら、止まらない桃音のお喋りに耳を傾けていた。


「おい、そろそろ終電の子も居るだろう。今夜はこの辺にするぞ」


 梅元が女の子たちに声をかけた。お代は全て彼持ちだ。ぞろぞろと一団が帰って行くと、今度は端の方に一人で座っていた女性から声がかかった。小山(こやま)だった。


「シュウさん、今夜は賑やかだったわねぇ」


 小山はカウンターに両肘をつき、手を組み合わせていた。


「ええ。梅元さんのおかげです」

「あの人、私と同じバツイチで、芸能関係の仕事してるらしいわよ? この前話したときにそう言ってたわ」

「やはりそうでしたか」


 小山は五十半ばだが、まだ三十代に見えるほど若く見える女性だ。品の良い香水をつけており、美容品の営業職をしていた。脩斗が一博の店に居たときからの常連であり、大切なお客の一人だった。


「あの、桃音ちゃんっていう子。相当あなたに気があるみたいだったわね?」


 人差し指をくるくると回しながら、小山は笑った。


「ええ。でもアイドルになりたいらしいですからね。小山さんの思うようにはならないですよ」


 脩斗が三十五歳にして一人身なことを、小山は気にかけていた。バーテンダーという職業柄、ライフスタイルが合う女性と出会うことは難しいだろうが、それにしても彼が独身なのは勿体ない、と小山は思っていた。


「いい子居たら、オバチャン紹介してあげるから」


 小山はどんと自分の胸を拳で叩いた。


「もう、小山さんったら」


 ネクタイを少し緩め、脩斗は苦笑した。


「とりあえず私からも奢るわね」

「はい、いただきます」


 修斗はハイボールを注ぎ、小山と乾杯した。

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