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『BIG KELLY』

作者: 上野ニッカ

 カーテン越しに見える窓辺の世界は隣のマンションの工事と近くの小学校だ。昔通っていたその学校にランドセル姿の学生が見えた。小学校の頃の夢は「学者」だった。エドワード・レインという自分で作った科学者に想いを馳せ、同級生からは「博士」と言われ、もてはやされていた。

今じゃ、事務をしていた。最初に入社したころは若いという理由で手厚く歓迎されたが、研修やら、現場での作業で年配の作業員に叱咤されることが多くなった。僕は常に謝っていたし、それなりに最善を尽くしていた。凡ては自分の怠惰な労働だと思っていた。自罰的な僕はだんだんと鬱になっていった。

―お前、やる気がないなら帰れ。

 「すみません。」俯きながら。

―お前みたいなやつはどこにでもいるんだよ。さっさと手を動かせ。

 初老はことあるごとに僕に難癖をつけた。僕は人事部に今働いてる支部から別の支部にしようかと勧められた。そこは辺鄙な村だった。僕は断った。

 

 僕は三か月間、職場で働くとその月の最後に辞表届を書いた。しっかりと封筒に書類を入れ、封をした。その夜、リッケン350リットルを飲み干すとそのまま眠りについた。


 暗い部屋、テレビ、僕がソファーに座っている。テーブルにはいつも飲んでいる炭酸水があった。そして、真っ黒だったテレビに電源がつく。

「BIG・KELLYビッグ・ケリー」とモニターに表示される。

 テレビからドラムが響く。歪んだディストーション。ちょっとしたグルーヴ。Aマイナーのアンビエント。僕はそれを意味もなく眺めていた。すると、歌詞が出てくる。凡て、英語だった。おそらく、こういう意味だろう。


 ビッグ・ケリーはまだ寝ている。

 警官二人がやってくる。

 気づけば、コーラを飲んでいる。

 雨は止んでは歌を歌っている。

 ビッグ・ケリーは笑っている。


 ここで目を覚ました。気づけば、カーテン越しから薄っすらと朝の木漏れ日が射し込む、なんとも幻想的な冬の景色があった。僕は昨日のリッケンの瓶がないことに気づいた。しばらく、虚ろな目をして、デスクに腰を掛け、辞表届をゆっくりと手を取る。僕はカーテン越しの景色を見た。変わらず、そこには窓辺の日常があった。学生が笑いあい、工事現場の作業員はコーヒー缶を飲み干し、同期と話していた。カーテンを思いきり閉め、部屋を暗くした。

 

 これが最後の出勤だろうと、寒空の下、僕は自転車を漕いだ。昨日見た夢、ビッグ・ケリー。なにがなんだかわからなかったが、それくらい追い詰められているんだろうと自分自身で受け止めた。気味の悪い夢だったが、眠れただけよかった。


 雑居ビルの2階の手狭なオフィスにいつも厳しい人事部の人がいて、赤鉛筆を耳に挟み、競馬新聞を読んでいた。辞表届をそっとデスクに置く。そいつは僕を一瞥するとびりびりと封筒を破る。そして、僕の書いた届け出を見る。なぜか、笑っていた。

「ビッグ・ケリー。」

 僕の書いた書面にはビッグ・ケリーと昨日の夢がなぜか、書かれていた。僕は慌てて紙を取ると、それが確かに自分の筆跡に似ていた。

「今日は仕事をするのかい?」

 僕は鞄に書類を戻すと一礼して職場を後にした。


 自転車を押しながら、僕は道沿いを歩いていた。この時間帯は人が少なく、小さな商店街はまだ、目を覚めていなかった。もう人事部とは顔向けができないなととぼとぼと歩いていた。

「こんにちは。僕はビッグ・ケリー。」

 後ろを振り向くと、ピエロ姿の男がいた。顔は白塗りで鼻は赤く塗られていて、髪は赤色、手には風船を、真っ赤なブーツのつま先は僕の方に向かっていた。

「こんにちは。」とさりげなく会釈した。

 ビッグ・ケリーはにやにやしながら近づいてきた。僕は内心、気味が悪く、逃げようかと思ったが、意外にも足が速く、気づけば、僕の前で手を振りながら、「昨日はどうもありがとう。」とニコッと笑った。

 僕は冷や汗をかいて、ただただ、作り笑いをしていた。「どうも。」

「君にはサプライズがあるんだ。ほら、見てごらん。」

 そう言うと、手につかんでいたいくつかの風船は空に舞っていった。ビッグ・ケリーはげらげらと飛んでいく風船を見ながら笑った。その笑い声はあたりに響き、目が眩み、視界がぼやけていく。


 目を開けると、やはり、家だった。服は半袖で窓辺を見ると、煮えたぎる暑い日光が目に突き刺さった。季節は夏だった。何が起きているかわからなかった。僕はとりあえず、デスクに向かうと、そこにはなぜか、辞表届があった。しっかりと封がされてあり、僕はびりびりと開けようとしていた時だった。チャイムが鳴る。

 僕は恐る恐る扉を開けるとそこには警官が二人いた。一人の警官が鋭い眼光で言う。

「ここ辺りで不審者がピエロの恰好をして歩いているんだが、知っているかい?」

 僕は恐ろしくなって、すぐに扉を閉めた。どんどんと玄関から警官二人のノックが聞こえる。僕はデスクの辞表届が気になり、ノックを無視して、デスクに向かった。辞表届を急いで開けると封筒の中には一枚の紙が折りたたんであった。僕はそれを取り出す。

 ビッグ・ケリーからだった。内容はこの前と変わっていた。

 

 本当は君はアメリカ人。忘れてしまった哀れな天使。

 君は人体実験を施され、脳だけが生きている。

 君は26歳で列車にひかれた。でも、君は生きている。

 ケリー博士は君を助けた。君の名前はエドワード・レイン。

 君は大学で日本語を専攻していた、日本人に憧れていた。

 君はボランティアで地域の子たちにピエロの恰好でボランティアをして楽しませていたね。ビッグ・ケリーは博士からとった君へのあだ名。

 この文章が読まれたら、君の願いは叶ったんだ。よかったね、エドワード。

 安らかに。   


 僕は目を覚ます。研究室のような場所で体が拘束されていた。

「エドワード。目を覚ましたか。」

 目の前にはあのピエロがいた。僕は呼吸をするたび、肺に刃が突き刺さる思いがあった。

「僕は誰なんだ。あんたは誰なんだ?」

「あんたは死んだんだ。これはあんたの幻覚だ。死んだ人間は過去に何があったかはわからないように記憶があいまいになるんだ。」

「僕は死んだのか?」


―かわいそうだな。エドワード。あんたは死んだんだんだな。

 エドワード・レインの墓に警察二人が手を合わせる。生前好きだったコーラを供える。

一人が言う。「かわいそうだな、エドワードは。線路にいたケリーを助けようとして、二人ともひかれて死んだなんて。」

「ああ。知ってるか?死後の世界って、自分の理想の世界に連れてってくれるらしいじゃないか。」

「へえ。エドワードなら、きっと、安らかに眠ってるだろうね。」

 無線が来る。「サウス・ストリートで事件だ。応援を頼む。」

「じゃあな、エドワード。また来るよ。」

 警官二人が墓地を後にする。突然、降りしきる雨、傘をさす一人の少女。赤い髪で青い瞳のその女の子はエドワードの墓に来て、墓前のコーラを飲み干した。すると、雨が止み、黒い雲が南へ遠ざかる。青々とした空と風が少女の頬を通る。

少女は墓前で歌い始めた。

  

ビッグ・ケリーはまだ寝ている。

 警官二人がやってくる。

 気づけば、コーラを飲んでいる。

 雨は止んでは歌を歌っている。

 ビッグ・ケリーは笑っている。


悪く言えばこれもそうだ、この話もビッグ・ケリーの歌の中なのかもしれない。


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