ソ連人民、お許しください!
1944年9月末日
「衝撃が無いとは思わんか?」
市ヶ谷の仮庁舎で、辻正信は会議の途中、部下たち尋ねた。
「衝撃ですか?」
「うむ。衝撃だ。こうウワーやられた!もう逆らいません!助けてお願い!と敵が泣きついてくる様な衝撃が足らん」
藪から棒に飛び出た辻の発言、返した部下も胡乱気だが、辻の言いようにも具体性はない。
「今でも十分、衝撃的だと思いますが?空や地面から飯の洪水が起こるんですよ?」
「だが足りん!お前よく考えて見ろ?飯が空から降ってきましたで、伝聞でしか知らない者が怖がるか?我が軍へ抵抗する気力が奪えるか?その上後片付けだってせにゃならん」
「まあ、確かに」「笑い話ですよね」「寧ろ嬉しいとか考えるかしれません」
「支那でもそれが問題ですね。反乱に景気よく使いすぎました。これ以上耕作地域が汚染されてはと、向こうさん、政府に泣きついているようです」
「ドイツの観戦武官によりますと、英国での清掃終了には後三年は掛かると試算されているようです。ドイツも容赦ありませんね」
辻と彼の部下が言う様に、天空より降り注ぎ、地より津波となって大地を汚染する、食料の爆弾にも問題はある。
士気破壊、モラルブレイク効果が、前線を離れる事に加速度的に無くなる点が一つ、一番は後片付けの問題である。
そうだろう。常識的に考えて人は「スコーンに我が軍は虐殺されている!」を簡単に信じるか?
アメリカだって、あずきバーに艦隊を沈められ、激戦の続いていたビアク島攻略部隊がサイパン攻略失敗と同時に、蜂蜜に飲まれて消滅した現在でも、何処か信じられない気持ちが国民の中にはあるのだ。
軍だってどうにも腑に落ちない。英国の惨状は知っている、腐臭に塗れるロンドンを見た者もいる、彼らは必死で食品の雨から国土を守ろうと奔走している。
だがどうにも納得できない。
「間抜けなんだよなぁ。どうこのポスター?不審な食品を見たらお近くの軍まで連絡下さいだよ?子供が笑ってるよ?」
「空からの攻撃注意のポスターを作れとは言ったよ?でも何このキャンディーの雨?ファンシー過ぎるよ、俺たちはお菓子の国と戦争してるの?だれ?これ発注したの?君!なんでアニメ会社に頼んだ!」
「議会が本気にしない!チョコから本土を守れでは説得力皆無だ!」
「家の子供がワクワクしてます!敵の攻撃が楽しみだなんて!近所に知れたら大変!あのポスター剥がして!ラジオ放送も馬鹿みたいだから止めて!」
と言った具合だ。
敵でさえこうなのだ。辻の言う事もまんざら的外れではない。ではどうする?
「衝撃だ。視覚的に衝撃的な攻撃が我々には必要なのだ。後、進軍の邪魔にならないの」
辻は少し具体的な必要要素を並べた。特に邪魔なのが問題なのだ。
「臭くて敵わん!」「デカいスコーンで道が!」「糖蜜で戦車が沈む!乱射止めて!」「あの~戦闘詳報になんて書けば?我が部隊は紅茶で敵を撃滅では恰好が、、、」
最後のは無視するとして、臭いと移動が阻害されるのは問題である。真面目に支配するつもりがない支那なら放っておくが、解放を建前に進撃したインド・ビルマでは大問題になってしまった。
この時、辻には内々にソ連侵攻が近い事が知らされている。であるから内心、辻も焦っていた。
支那より広大なシベリアの原野を埋め尽くす腐った食品の山、それを掻き分けて進む我が皇軍。支那とは違い清掃に動員できる現地民も少ない中で進軍は遅遅とするのが目に見える。
そんな辻に光明が差したのは、改造人間計画での事で有った。
未来人が言うには、新兵器の媒体に使っている砂は極微細で、体内に容易に取り込まれると言うのだ。
「しめた!」辻は膝を打つ。これまでソ連領には散々工作としてフェムトの砂をばら撒いている。
日ソ不可侵条約の締結後、ソ連極東軍は対ソ参戦は無いと見てどうにも緩んでいた。
日ソは中立国同士で有るので細々ではあるが取引すらあったのである。其処に大日本帝国は付け込んだ。
「美味しい食料が格安!もうほとんどタダ!酒もあるよ!どう熊さん!ウクライナがぼこぼこで厳しいんでしょ!ホラ焼酎!ジャム!紅茶!イクラにカニ缶!小麦だってある!」
ソ連だって怪しいのは分かる、だがどう見ても唯の食い物なのだ。独ソの戦いが終盤に差し掛かろうとしていた時でもある。ソ連は食いついた。
そしてソ連全土、特に極東には日本製食品が出回る事になる。背に腹は蹴られない。飢えた熊は腹いっぱい食べたのだ。フェムトマシンがよーく塗された食品を。
日本としても集積地に対する、奇襲攻撃が出来れば良いな、くらいの感覚ではあった。だがしかしそれがソ連人民の腹に爆弾を仕掛ける事になっていたとは。
この事を知った辻の悪い顔と言ったらない。彼は意気揚々と東条に作戦を具申し聞き入れられる。
東条の対ソ開戦の決意は何も理由がない訳ではないのだ。数なくとも極東軍に関しては一撃で葬れるとの確信があったのである。
1944年12月1日
ウラジオストクに無数の噴水が立ち上った。それはもう凄い勢いで立ち上った。噴水は目を白黒させ、涙と鼻水を溢れさせながら、己の吹き出すアルコール臭い奔流に困惑し、そして倒れた。
駐ソビエト連邦特命全権大使である佐藤尚武が、ドイツ軍の怒涛の反撃の前に殺気立つモスクワにて、モロトフ外相に、日ソ中立条約の一方的な破棄と対ソ宣戦布告を突きつけた日の事である。
ウラジオストクばかりではない。ナホトカでも、ルゴチェンスクでも、ハバロフスクでも、個人用噴水が七色の虹を作っていた。
噴水の所有者?は概ね軍人か軍属だ。満ソ国境の塹壕で、ウラジオストク軍港で、非番で寝ていた兵士が、朝の支度に掛かろうとしていた士官が、徹夜開けの将官が口と鼻からアルコールの噴水を吹き出している。
大気中に充満する機械の目には誰が何処にいるのか直ぐ分かる。逃げ場など無い。
どんな情景か想像できない?メントスコーラをご存じだろうか?
無数の粒粒があるメントス等の食品が、コーラなどの二酸化炭素が含まれる飲料に接触すると起きる現象である。
何が起きるかと言えば二酸化炭素の泡ができて一気に吹き出す。ふざけてこれを胃の中でやれば命に係わる危ない行為だ。
だから使う。死んで貰う。既にソ連極東軍人員の腹中にはフェムトマシンが待機している。メントスのかわりだ。
そこにアルコールを直送する。簡単には止まらないし止めない。
そして開戦から数分が過ぎた後、ソ連極東軍に抵抗できる者はいなくなった。
幸運な者はどうやら生きているところだが、それでも致死量に近いアルコールが回って動けない。
何が起きたか分からない市民は驚愕し、ただ立ちすくむ事しか出来ない。勇気を振り絞り抵抗を呼びかける者も進駐してきた日本兵がグッと睨めばあら不思議、口から噴水綺麗だな。
「えげつねぇなぁおい」
ウラジオストク司令部の制圧に向かった杉浦大尉は呟いた。辺りには、階級問わず悶絶した骸が転がり、酒の匂いが充満している。
抵抗は無い。死がソ連極東支配の牙城を支配している。後酒臭さ。
「誰も生きてないか、、、、、そりゃあそうか。ガスより酷いぞこれ」
これなら勝てる、まあ勝てるよ。でもその後はどうする?大尉は思う。
此処に来るまで通った町の、怯える市民の顔が脳裏に浮かぶ。彼らの腹にも爆弾は仕掛けられている。
石を投げて来た集団(子供もいた)が噴水を上げたのは自分がやったからだ。頭の機械のお陰で、ちょいと念じればそれができる。
あの目、化け物を見る目が忘れられない。
自分たちはこれからこの国の津々浦々まで砂を撒き、彼らが永遠に大日本帝国の奴隷となるようにする。
これから生まれる子供は全て大日本帝国から首輪が送られるのだ。逆らえば内から弾ける爆弾付きの。
「ソ連の次は?米国か?凄いな俺たち、本当に世界を征服できるかもしれない」
自嘲気味に呟いた大尉の脳内に緊急通信が入る。どうやら市民の一部が立てこもっている様だ。
「死体の始末もある。皆殺しにはできんか、、、、だが、いっそ殺してやった方が良いのでは?」
永遠に、飽食と爆弾で支配される祖国を見る位ならその方が良い。改造人間杉浦三四郎はそう思うのだった。