禿げた悪魔
1944年10月、世界大戦は二つの戦線に集約されようとしている、
すなわち太平洋戦線と東部戦線だ。
東部戦線は、絶賛駆除作業が進行中であり、一時は枢軸軍を引き潰すかに見えたスチームローラーが、戦線全体で酒臭い蒸気を上げて破壊されつつある。
赤い熊が信仰する戦場の女神は、砲火を吐き出すことなく、各地で敬虔な神官団事、ウォッカの津波に流され壊滅し、赤い津波の破城槌たる戦車軍団も、乗員が酔うか酸欠か焼死するかの嫌な三択を迫られ壊滅。
「でもパルチザンだパルチザンがある。冷酷で暴力的な統治しか出来ないナチスが、土地を確保できるはず無い。何度でも同じ目に会う、1939年の時と同じく占領統治に多大な人員を割かれ、侵攻は覚束ないのでは?」
そうお思いだろう。
「だから殺す。もう熊の係累など我々にはいらない、なに簡単だ。我々にはこれがある!」
熱心な親衛隊。ナチズムの狂気に骨の髄まで犯された別動隊の隊員は、ハーケンクロイツの刻まれたタブレットを掲げた。
「凄いよこの板!砂を撒いた土地の様子がリアルタイムで観測できる!さすが総統のお勧め!逃げられんぞゴミ熊ども!じわじわと追い詰めて酒蒸し殺してやる!」
総統も、何も暇だからタブレットで遊んでいたのではない。弄り回して気づいたその能力に、専門の研究チームを組んで効果的な使い方を探らせていたのだ。
弾着観測、捕虜管理、パルチザン狩りに、リアルタイム通信でのビデオ会議と、余すところなく平衡世界の技術をナチスドイツは利用している。
「もうこれなくして軍は回らない!この板最高!しかもいつでも熱いコーヒーが飲める!」
ケータイを持った猿ならぬ、タブレットを持ったナチ。
「逆らう物にはアルコールでの窒息を!」
大日本帝国の支那支配を具に検討したドイツはレーベンスウラムの獲得に燃えている。
「そうさ消毒!消毒すれば良いのさ!白く清浄な土地を!アルコール消毒!ナイチンゲールは正しい!有り難う鋼鉄の婦長!汚物は消毒!熊は駆除!」
国防軍だろうと親衛隊だろうと関係ない。五年に及ぶ長い殺戮の日々は、上は元帥から下は二等兵まで治療不能な悪疫で蝕んでいる。
これには婦長も匙を投げるだろう。若しくは総統をベッドで殴りに行くか、シーツで絞め殺しに行くかだ。
「病巣は切り捨てましょう。切除しかありません」
位は言うだろう事は確かだ。
前代未聞の大殺戮でモスクワに迫る獣肉専門店の料理人に赤熊は追い詰められ様としている。
東部戦線はこの様な惨憺たる有様であるが、一方の太平洋は静かである。熾烈で有る事は確かだが。
サイパン島攻略失敗と攻略艦隊壊滅を受け、米軍は戦闘方法を変えた。
「水上部隊を近寄らせれば罠に掛かる。では水中からだ!空からだ!死ね猿ども!」
潜水艦が、爆撃機が、大日本帝国の動脈を締め付けようと太平洋上を暴れ回っている。
これには一息付けたと思っていた連合艦隊も慌てる。食料問題は解決しても弾を作る物資、何よりも石油が入って来なくなる。
幸い、敵艦隊は暫く動けないのである。此処に来て、海軍も海上護衛に本腰を上げて取り組む余裕がでてきた。動ける艦を総動員して潜水艦狩りに勤しむ事になっている。
正規空母まで動員しているのだから本気だ。
太平洋上に、遊兵状態になっている兵員の回収を陸軍にせっつかれているからでもある。
「空母よりも潜水艦!そして駆逐艦!護衛艦!」
ようやく海軍の存在意義を思い出したか、海軍も方針を転換した。
潜水艦が一躍脚光を浴びたのには訳がある。効果的な通商破壊を思いついたからだ。
サイパン防衛の切り札であった氷山作戦である。
フェムトの砂を詰めたブリキ缶を満載した潜水艦が太平洋上に出没し、各種色々な味をした氷山を航路上に出現させるのである。
これにはオーストラリアが悲鳴を上げている。
そうだろう。朝起きれば港湾がカラフルな流氷で埋め尽くさるのだ。米軍が潜水艦狩りに血眼に成るのも無理はない。
「一機も通すな!一隻も見逃すな!見逃せば俺らは日干しになる!」
日本軍から取り返した太平洋上の島は、氷山に閉じ込められた牢獄と化す可能性がある。潤沢な物資で日本を圧倒していた連合軍(イギリス離脱)は防衛戦を演じる事になっていた。
太平洋戦線は変わった。
方や長期持久の為、方や戦力回復の為、相手の血管を締め付けようと頑張っている。艦隊決戦の生起しようがないのだ。
水中で空中での甘く馬鹿げた叩き会いが、太平洋の主戦場である。
帝都 東京
「本当に行うのですか?」「無茶だ!」「これ以上戦線を広げてしまっては収拾なぞ付かない!」
大本営会議は荒れていた。本来であれば荒れようがない会議がである。
御上のご臨席を仰ぎ、陸海官の代表が出席してのこの会議である。事前に根回しだってしているし、予備折衝だってちゃんとしている。
突然にとんでもない議題が出たりしないのが普通なのだ。あくまで決まった問題に、結論を出すのがこの会議の目的である。
今までなら。
「対ソ開戦を行う」
だが東条英機の一言で会議は爆発した。
全員、(陸軍以外は)は頭を殴られた様な顔をしている。陸軍出席者の中にも?と言う顔をしている者もいる。
数舜後、会議は嵐に見舞われる。
「「そうだよ!おかしいよ!一応支那は落ち着きましたよ?インドは英軍残党が居てもどうにかなってますよ?でも米国と戦争してるんですよ?どうした東条?勝ち過ぎて調子に乗ったか?お前頭おかしいよ!」」
概ねそんな怒号が飛び交う議場。だが英機は泰然としていた。御上もである。
一しきり怒号がやんだ後、東条は死刑を宣告する裁判官の様に一同を睥睨し、手元に置いてあったタブレットを操作した。
そして中空に映し出されら映像を見た時、出席していた者たちは沈黙した。
キノコ雲である、巨大なキノコ雲が湧き立ち、熱線が人を焼き尽くし、爆風が全てを破壊していく。終末の光景がそこにはあった。
一同、中空に映像が出てくるのにも一瞬驚いたが、その光景には言葉もでない。それだけのリアリティと言う物が映像にはあったのだ。
「秩父山中に墜落した宇宙人の船から陸軍が回収した秘密兵器」
突拍子もない話であるが現物はある。タブレットと超技術は大日本帝国の上層には受け入れらていた。だがこんな機能があったとは、それにしてもこの映像は?
「皆さんにお見せしたのは、現在、米国が開発中の兵器が投入された場合の演算結果である。この機械によれば、その兵器は都市を一撃で破壊出来るだけの威力を持っているのです」
東条は静かに言葉を続ける。
「核兵器。海軍の方でも研究はされているはずです。陸軍でも同じく研究はされていますが、米国は少なくとも一年後にはこれを大量投入してくるでしょう」
「投入?これを?大量に?嘘?嘘だと言って!ねぇ英機!」
席上に困惑と混乱が広がる。折角勝機が見えて来た所で、またもや盤上をひっくり返されるのか?沈黙してしまっている者もいる程だ。
「我が国は之を投入される前、少なくとも、大量生産が可能になる前に、米国に勝利しなければなりません
」
東条の言葉が一同の胸にズンと来る。海軍大臣の嶋田繁太郎等はうめき声も出せない。だが何とか声を絞りだして質問する。
「それは、わかりました。ですがそれと対ソ開戦になんの関係が?この兵器を、米国が投入してくるなら、なおさら対米戦に傾注すべきではないのですか?」
当然の質問だ。先に米国を殺すべきでは?少なくとも今の帝国にその手段がある。
一同の視線が集まる中、東条は答えた。
「その通りではあります。ですが、事はそう簡単には済まないのです。この機械の演算によりますと、核開発は今後容易に成るとの事、もし有力な勢力が生き残れば、我が国の超兵器に対抗しようと開発は必至です。ですから、我が国はその前に、その可能性を持つ国家を地上から消す必要があるのです。ソ連はその手始め、かの国を滅ぼしユーラシアを安定化させる。ドイツに叩かれている今が、その機会と私はおもいます」
消す?国家を?全部?無理だろ?でも俺たちはそれが出来る、、、、、。
東条の答えを聞いた一同は、手元に置いてある自分のタブレットに目を落とす。
皆、魚を目の前にした、どら猫の様な顔をしている。若しくはファウスト博士か。兎も角も凄い誘惑を受けている顔だ。
「ドイツは問題になりません。彼らは、この機械無くして、最早立ちいかない有様、まして彼らは本土含め、勢力圏全土でこの機械を使用できる様にしている、何時でも殺せる状態です。ならば、、、」
メフィストは誘惑を続ける。
「今次大戦を利用し、世界の全てを超兵器の効果範囲にしてしまうのです。今ならそれができる。どうか賛成をお願いしたい。」
沈黙が更に広がっていく。誰もが東条の方を見ない。怖いのだ。
「「このハゲ、こんな事言う奴だったけ?世界征服じゃん此奴の言ってる事?俺が決断するの?この俺が?嫌!俺は安定して出世したいだけなの!世界の命運とか嫌!これで負けたら死刑確定じゃん」」
誰しもが己の保身を考え、縋る様に御上の方を見た。
「「止めて御上!このハゲ止めて!help!御上!help!」
視線は語る。目が五月蠅い。
御上は一瞬その視線を軽蔑の目で見返した後、、、そっぽを向いた。