本気で恋する100日間
「」僕は何を思ったのか、所持金5万2000円を持ち市内近くのラブホテルに待機して震える手と心を抑えながら、デリヘルを呼ぶ事にした。
人生初の風俗体験。緊張と恐怖で心はふわりと浮んで、まるで誰かにぎっしりと握られているかのような感覚であった。
会社の付き合いや会話で誘われる事は屡々あったが、断ってきた。女性をお金で買うという行為自体に引け目を感じてしまってたのかもしれない。
いざ、単独乗り込みとなると「おい、その勇気は何処から持って来た?」と自分に茶々を入れたくなる。
ラブホテルの殺風景な一室は薄暗い照明に3畳のベットルームにカビ臭いバスルームと翠のタイル。
部屋全体はタバコ臭さが染み付いているので、とりあえず換気した。
電話した店員の話だと、20分くらいで部屋に来るそうなので僕はインターネットで何をすればいいのか手当たり次第検索した。
「湯張り」
「飲み物用意」
それだけなのか....正直不安しかなかった。鏡で見る自分の姿は明らかに実年齢より老けて見えるし、眼鏡も流行とは程遠い黒縁に傷だらけのレンズ、髪も艶は無く肌も荒れ放題...とてもじゃないが28歳とは見えない。
服装だって、清潔感のないデニムに所々ほつれ、襟が黄ばんだシャツに、犯罪者予備とも取れるテーラード。
「女性に会う格好じゃ....ない...」そっと溜息混じりに囁くと、鏡が曇った。
こうなった僕はとにかく焦ってしまうのである。
残り20分で出来る限りの事をした。
歯を磨き、髪を整えて髭を剃り、トイレに行き、車内にあった香水をつけた。
ここまでは順調良い感じ。車内に香水をつけに行く過程で、ホテルがオートロックである事に気付いてさえいれば順調であった。
そしてあたふたして、半泣きの状態でドアを開けて貰おうとする所で女性が来たのも抜きにすればもっと順調だった。
これが人生初の風俗体験だから忘れる訳ない。
「えーっと....こんばんは?」
彼女は困った顔でドアの前でいざこざしてる私達にそう言った。
当たり前であろう、彼女からしたら、「どっちが客だ」
老けた28歳が半泣きで申し訳なさそうにドアの前に立ち、かたや管理人の方もこの状況に困惑したようにドアのロックを慣れた手つきで解除してくれた。
「すいません...オートロックなのを知らず車内に忘れ物を取りに行ってしまって...」
僕は初めて会う彼女に対して、そう答えた。
彼女の姿は、まだ寒さが残る2月なのにも関わらず太ももをチラつかせた黒いミニスカートに、淡いピンク色をしたブルゾンのアウターで胸元に大きなリボンのついた白いシャツを着ていた。少し外は寒かったのだろう小刻みに彼女の体は震えていた。
室内に案内して、僕達はタバコの焦げ跡がやけに目立つ黄色色のレザーソファに腰を下ろした。
「初めまして。ハルカといいます。よろしくおねがいしますね!」彼女の笑顔は太陽に照らされたビー玉の様な小さく、けれどその輝きは何よりも美しく、温かいものだった。
笑うとエクボが出来て、頬が吊り上がり瞳の大きさに比べて隠れてしまう素敵な笑顔だった。
「はい!大輔といいます。よろしくお願いします」
僕は彼女が脱ぎかけているアウターを手に取り、壁にかけてあるハンガーへ掛けながらそう言った。
「だ、大輔さんですね!わかりました!いきなり本名で自己紹介する方ってあまりいないのでびっくりしちゃいました..」
一瞬「ハッ」となった、それもそうだ。
フルネームにするか名前だけにするかで悩んだだけで、ここはビジネスの世界ではなかった。
いそいそと名刺交換する訳ないじゃないか...。
「すいません、恥ずかしながらこういった事慣れてなくて、寧ろ28歳になって初めてで...」
「気にする事はないと思いますよ!初めての方って結構います!20歳で上司に泣きながら連れられて来たって方もいますからね!」
鬼だ。パワハラを超えてる....。
彼女は持っているH &Mの手提げから小口ポーチとキッチンタイマーを取り出しながらそう答えた。
「その方に比べたら僕は可愛いですね..あ!ハルカさんはタバコ吸われます?」
「吸わないけど、吸って大丈夫ですよ!気にしないでください!」彼女はガラステーブルの上にあるホテル名が中心に書いてあるアルミ製の灰皿を僕に差し出した。
「ありがとうございます」
僕は電子タバコにそっと電源をいれた。独特の香りがするので煙を払う仕草と同じように彼女に香りが行かない様に払った。
彼女は取り出した小口ポーチから金額が書かれた紙を取り出した。
「大輔さん!90分で20000円ですね!」
「はい!お願いします」
僕はくたびれた浅い青色の長財布から、20000円を取り出し彼女へ渡した。
彼女はそうするとキッチンタイマーで90分入力し、スタートボタンを押した。
僕の心拍数が増加するのもこれからスタート!
ではなく、理想から現実に叩き落とされた気持ちだった。
天高らかに振りかざしたハリセンが僕の頭めがけてバチっ〜ンと部屋全体に響き渡る音を奏でて地面に向けて振り下ろされる。
そうだった...忘れていた。「90分」という短い時間で僕は何をすればいいのだろうか。
思考を巡らせろ....考えろ...何か話題を。
そうだ。飲み物を買ったじゃないか!
「ハルカさんよかったら、これどうぞ」
冷蔵庫からピーチ味に天然水をそっと差し出した。
「ありがとうございます!」
「私、握力あまりないので思いっきり握り込まないと開けられない人なんですよね....」
なんだ、ただの天使か。
よしここは開けてあげるタイミングだなっ....
「あ、開きました!」
開くんだ...。
「たまにいますよね!缶の蓋とか中々開けられなくて困ってる方!」
「冬とか特に大変ですね....外の自動販売機で買っちゃうともう困った困ったって感じです!」
彼女は、そう言いながらガラステーブルに飲みかけのペットボトルを置き、あれやこれやと準備をし始めた。
「ハルカさんは何か好きな事ってありますか?」
僕は緊張していた足を崩して、お茶を一口飲んだ。
「読書が好きですね!かなり読書家だと思います!」
読書は、資格勉強を初めてからパタリと辞めてしまった..
以前は好きな作家さんを好んで読むスタイルではなく、様々な作家さんの代表作を読んで気に入ったら最新作を読んでいた。僕も一度狂った様に読書家だった時期があった、仕事もせず本を読み食事を取り、寝るまで本を読む生活を1年くらい続けていた。
おかげで僕に部屋は、中途半端に受け続けている資格本2019〜2021版関連とその時期に読んでいた本で埋まっている。部屋が6畳くらいなのに対して本棚が4つもあるとは、何が家具なのかわからなくなる。
「1ヶ月3万円以上は本にお金使っちゃってると思いますよ!なので1回本屋に行くと10冊以上買っちゃったりする事もありますね...車の免許がないので帰り道、両手いっぱいに本を持って帰るので重くて仕方ないです...」
開いた口が塞がらないとはこの事だろう。
僕は昔から何かに熱中した事なんてなく、2ヶ月前に始めたピアノも途中で挫折してしまう始末。だからこそ、何かに夢中になれる事がある人は羨ましく思っていた。
僕とハルカさんは暫く、好きな作家さんについて語り合った。
女性とこんなにも長く話す事なんて何ヶ月ぶりだろうか?
次第に僕とハルカさんの仲は深まっていき、冗談すら交わす程にまで進展した。
ふと会話が途絶える間が空いた。
冷蔵庫の稼働音が沈黙の気まずさをより際立たせ、それを遮るかの様にハルカさんが言った。
「お風呂行きます?」