第一話 なぜか彼女ができていた件
「やはり昼飯は甘々のクリームパンに限る」
高校の屋上、俺はぼっち飯に興じていた。
退屈な授業の疲れを癒す大切な時間。
入学してから一年間続けてきた日課だ。
高校二年生になったばかりの今も続けている。
誰もいない。静謐。森閑。
立ち入り禁止の張り紙も、鍵が壊れた扉の前では無意味である。
一年間ともに昼を過ごす相棒ことクリームパンを咥えたところで、ガチャリと音がした。
まさか先生か?
気づいた頃にはもう遅い。
隠れる場所がないのを瞬時に察知し、脳内で謝罪文を作成する。
しかしその謝罪文は意味をなさなかった。
なぜならそこにいたのは、女子生徒だったからだ。
内に巻かれた長い亜麻色の髪。大きく凛々しい瞳と、それを支える厚い涙袋に、小さな鼻、そして薄い唇。極めつけは平均身長に不釣り合いなほど豊満な胸。
「いた! わたしの次期彼氏くん」
「……はい?」
俺は彼女を知っていた。
否、この高校で知らない者はいないだろう。
その美しさだけでなく、交際相手をコロコロと変えることで有名だ。
「初めまして。神崎文乃です! もちろん知ってるよね?」
神崎は蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「自意識過剰な自己紹介ありがとう。で、なんの用?」
「はぇー、礼儀がなってない! 普通は自己紹介を返すものなんだよ? あ、でも、コミュ障ぼっちの宮野遍くんだし、そんな常識知らないよね……ごめん」
大変失礼なことを言われていた。
「って俺の名前知ってんだから自己紹介の意味ないだろ。俺の安寧を壊してなんの用だ」
「そんなプンプンしないの。彼氏なんだからもっと優しくしなくちゃ。わたし、彼女ちゃんだよ、キャピ」
半分しか食べてないクリームパンに内心謝る。
ごめんな、すぐに食べてやれなくて。ちょっと待っててくれ。どうやらこの厄介女と話が長引きそうなんだ。
「何が彼氏だ。噂ではサッカー部の近藤と付き合ってるって話だが」
「近藤くんは前の前の彼氏だよ? どこでそんな古い情報手に入れたの? もしかして瓦版?」
「情報のソースが旧式過ぎんだろ。まあ仮に神崎がフリーの身だとしよう。だが俺が彼氏っていうのはおかしい話だ」
その僕としても、はい、心構えというか、その、乙女なもので……。
「この美貌とスタイル、断る理由はないと思うんだけどな〜」
「確かに神崎は綺麗だ。それにスタイルもいい」
何がとは言いませんが、豊満で素晴らしいと思います。
頬をほのかに赤くする神崎。
褒められ慣れてるだろうに初々しい反応である。
「そ、そう? なら──」
「だが付き合えない」
「はぇ?」
「付き合えないと言った」
神崎は五秒間もフリーズした。
その後、手鏡を取り出して自分の顔をまじまじと確認する。
「正気? この顔だよ。ほら、めーーーっちゃ可愛いと思うのに」
「顔がめーーーーーーっちゃ可愛いとしよう。だがそれよりも大切なのは中身だ」
中学時代の俺は容姿だけで好きになった先輩にフラれている。思わせぶりな態度を取られ、そのエサに食いついた俺は無惨にフラれた。
だからこそ性格で選ぶべきなのだ。
彼女は深いため息を吐いてから、鋭い目つきをした。
「綺麗事だと思うけどね。だって男というものは異性の顔面に固執するものじゃない」
冷め切ったセリフに、低いトーン。
神崎の印象が一瞬で変わる。
「神崎の恋愛遍歴はそうだったのかもしれない。だけど俺は違う。それに神崎が俺なんかを好きになる理由が分からん。どうして俺なんだ」
「陰キャだから!」
「それ理由になってないだろ」
なんなら多分バカにされている。
「わたし、この一年間で合計二十人とお付き合いしたんだ。色々なタイプの人とね。けれど陰キャくんは未経験なの。だから遍くんを選ぶんだよ。ほら、遍くんはとっておきの陰キャだし」
にかっと純真なスマイルで恐ろしいことを言う神崎に狼狽する。
「なんて不純な動機なんだ……。雑食にも程がある」
というかとっておきの陰キャってなんだよ。
「なにごとも経験! わたしは将来の結婚に備えて目を養っているだけだよ。ほら、遍くんも偏食してないでこちら側に来ればいいのに」
「俺を道連れにするな。そもそもこの歳から結婚って、流石に早過ぎると思うが」
「ううん、早くないよ。わたしに限っては」
真面目な表情の神崎に意表をつかれる。
少なくとも彼女が本気で結婚の準備をしていることは伝わった。
「この際、詳しい理由は良しとしよう。だがそれでも俺は付き合わない。他を探すんだな」
交際とはもっと純粋で清くあるべきである。
お試し感覚でするものではなく、長くを共にしてお互いを知るプロセスが必要なはずだ。
「驚いた。わたしを拒む愚か者がいるなんて! あぁ神よ、裁きの鉄槌を」
なんだか壮大で恐ろしいことを言われていた。
話は終わりだと俺はクリームパンの残りを食べようとする。
「わたしを無視する気なんだね。ふぅん、一年間ずーっと食べ続けてるクリームパンの方がよほど大事ってことだ! きっとそうに違いない! うぇぇん!」
嘘泣きには完全スルーを決め込む。
しかし、俺はふと疑問に思うことがあった。
「ん? 俺がクリームパン愛好家だということをどうして知っているんだ」
神崎はハッとした顔をすると、口を右手で覆った。
「あ、その……たまたまだから! 適当に言っただけ! 変な詮索して気持ち悪い事この上なし!」
「どうして罵詈雑言を受けるハメになるんだ、俺は」
神崎は指摘を誤魔化すように、キラキラとした瞳でクリームパンを指さした。
「ねぇねぇ、そんなに美味しいならソレ、ちょーだいなっ!」
そう言って彼女は俺のクリームパンを華麗に奪取する。
すぐさま一口食べると、バクバクバクッと勢いよく食い尽くしたのだった。
あの、僕のクリームパン……。
さっき俺が食べるって約束したのに。
「って俺の相棒を全て食ったな……!」
「遍くん、いくら友達がいないからってパン如きを相棒扱いするのは……。わたし、虚しくなってくるよ。って意外と美味しいのね、このパン」
指をねぶる神崎の姿は妖麗だ。
上目遣いでこちらを見つめてくる。
「いかんいかん。誘惑されている……」
「ふふ、口では立派なこと言うくせに顔は赤くするんだね」
「うるさい。女性経験が少ないんだよ」
「わたしなら存分に教えてあげられるよ? パンは間接キスだけど、なんなら直接キスだって──」
「それなら──っていや、だめだ、宮野遍、誘惑に負けるな! ──う……遠慮する」
「ちぇっ。ふ〜〜んだ。今日のところはここら辺にしてあげる。わたし諦めないから! また明日の昼ね、ダーリン」
どんなメンタルしたら、振った俺のことをダーリンって呼べるんだ。
神崎は嵐のように去っていき、俺はただ茫然と立ち尽くす事しかできない。
こんな変人と関わることになろうとは……。
しかし神崎とは初めて話したはずだが、はるか昔にどこかで話したような気がした。
「気のせいか……」
あんなインパクト特大な人間はそこらにいない。
きっと頭がパニックで勘違いしたのだろう。
俺は明日も来るであろう神崎の対策を考えることにした。