第8話「記憶力ゲーム」
高校時代、私は優秀な生徒だった。
勉強に関しては、という括弧書きが必要となるが、つまりは成績が良かった。自分で言うのもどうかとは思うが、中の上レベルの高校で二年次・三年次と連続で特待生に選出された実績があれば、少なくとも嘘ではないと認められよう。
友達もほとんどおらず――例の、その時々でそれなりに親しい同性は除いて――、囲碁もやめており他にこれといった趣味もなく、また部活にも入っていなかった為、勉強以外にやるべきことや、特別にやりたいことがなかった。
元々暗記科目が得意だったので、詰め込み式の勉強は苦ではなかった。
理系科目はさほど得手ではなかったものの、そもそも高校までの勉強は――特に学内の試験においては――そのほとんどを暗記で押し通すことが可能なので、今ひとつ理屈を飲み込めぬ方程式や化学変化などに出くわしたとしても、そっくりそのまま記憶として刻めば一時を凌げる。覚えれば覚えただけ成果が反映される定期試験は日々の暇つぶしの格好のターゲットであり、私は「サバイバル記憶力ゲーム」と銘打って貪欲に取り組んだ。
大学に入ってから勉強のモチベーションが低下したのは、専攻分野にそれほど興味関心を抱けていないというのも一因ではあるが、高校までのような「サバイバル記憶力ゲーム」でなくなってしまったことが主要因だと思う。
学内で他を寄せつけない成績を維持していた高校時代でさえ、自らを賢人などと思ったことはなかった。むしろ賢人でないからこそ、教えられたものをそのまま覚えるという単純作業に人一倍の熱量を注ぐ必要があった。元より、あれこれ頭を使って考えるのは億劫なのだ。
覚えることは言わば前提と見なされ、その先のステップを要求される大学の大半の授業は、だからしんどいと感じる。周囲がみな当然のごとく優秀なことも私の意欲を削いだ。定期試験は、ただの面倒な過程でしかなくなった。
フランス語の二科目は、しかしまだ私の土俵と言えた。
ゼロから学ぶ異国の言語である為そこまで難解な内容は含まず、比較的単純な暗記で事足りる。グラマーはもろに記憶力ゲーム的様相であったし、コミュニケーションのほうは一部会話形式のテストがなされたが、事前に話す内容を練ることができたのでつまりは暗記力の問題だった。
そういう次第で、期末試験は両方とも九割を超える正答率でA評価を頂戴した(他科目と異なり、夏休み前に結果が出た)。
一方、光蟲は骨折で欠席していたハンディがあったか分からないが、コミュニケーションC評価、グラマーD評価と奮わない結果であった。グラマーはそもそも覚える気がなかったらしく赤点で、追課題――試験の直しとさらに別の演習問題――をこなして辛うじて後期へと繋いだ。
「いやあ、助かりましたよ。悦弥くんのほぼ満点の答案があって」
期末試験をひと通り終え、光蟲と新宿三丁目の居酒屋で羽を伸ばす。
「授業詰め込みすぎなんだよ、アナタの場合は」
最近、光蟲の投げかけに軽いツッコミを入れるのが心地よく感じる。
「まあ、卒業まで想定して、明らかに必要な単位数を大幅に超過して履修してるからね。フランス語とか、取る必要皆無だし」
マイペースでレモンサワーに口をつける私の横で、緩んだ表情で、しかし早いペースで日本酒を注ぐ。
「マジメだねぇ」
「初めて学ぶフランス語のテストで二科目ともしっかりA取るほうがよっぽどマジメでしょ」
所属学科の科目ではD評価すら危うそうなものがちらほらあったが、そんなことを口走っても水をさすだけのような気がしてやめた。
「お、来た来た」
今月の一押しメニューとして勧められた刺身五点盛りが届く。舟の形をした木製の容器に豪快に配されており、食欲をそそられる。
「ふむ」
厚みのあるまぐろを一つ食し、光蟲がつぶやく。
「何か?」
「居酒屋は刺身と日本酒が美味ければ、他はクソでも構わないわ」
思わず、レモンサワーでむせそうになる。
「褒め言葉ってことでいいのね」
五点盛りは、確かに幸福な味がした。