第6話「ゴミみたいな日々」
光蟲が入院したのは、五月の終わりのことだった。
彼は一年の頃から池袋のジュンク堂書店でアルバイトをしており、そこの知り合い数人と飲んでいた際、酩酊して居酒屋の二階から落ちた。ガラス窓ではなく開閉の容易な障子窓であった為、そこに腰かけていたところ滑って落下したらしい。
これが周囲の悪ふざけだとしたら看過できないが、光蟲の話では単に悪酔いして自発的にそうしたらしいから、まだ良かったかもしれないと思う。光蟲を詮索したわけではないが、彼が嘘を言っている気はしなかった。
二階から落ちて、よく右足の骨折とその他打撲だけで済んだものだと思う。
落下するとき急速に我に返り、頭から落ちないよう体をねじっていたらしく、賢いのか馬鹿なのかよくわからない。
光蟲は必要以上に多くの科目を履修しているので、二週間の入院生活は結構な痛手ではないかと問うてみたが、「勉強もバイトも放棄してモラトリアムの極みみたいな暮らしだから快適だわ」と、呑気なメールが返ってきた。
呑気だが、私が彼の立場でも同じように感じただろうなと思う。動けなくともノートパソコンひとつあればネットで囲碁が打てるので、それほど退屈することもなかろう。
六月の中旬、四回分のフランス語の講義ノートやプリント類を持って、光蟲の見舞いに訪れた。病院という場所は自分の為でも他人の為でも、なるべく訪れたくない場所だ。入院経験こそないものの、幼い頃からしばしば体調を崩しており、中学卒業の頃までは数ヶ月に一度は病院通いをするのが恒例だった。
私は病院そのものが嫌いというよりは、病院を構成する各種要素が嫌いだった。目には見えないが雑菌だらけの色褪せたスリッパも、待合室に掛けられた安っぽい風景画も、診察室に漂う、アルコールと芳香剤を混ぜ合わせたような鼻につく匂いも、どれも不快なものだった。
とりわけ辟易していたのは、受付の女性が無愛想で機械的な口調だったことだ。これはどこの病院や診療所でも百発百中で、もとより病院の受付スタッフに愛想など期待していないといえども、しかししてやられたような複雑な感情が萌芽する。
光蟲が入院しているのは比較的規模の大きい総合病院だったが、やはり受付スタッフの態度は似たようなもので、ふと不本意な懐かしさを覚えた。
六階右端の四人部屋の、入ってすぐの場所に光蟲はいた。もう概ね回復したらしく、負傷した右足を持ち上げておどけてみせる。
「いんやー、参りましたね」
「窓から落ちるほど飲んだのかい」
失笑に似た半笑いを漏らしながら、コピーしたノートを手渡す。
「なんもしなくていいから楽だけど外出もできないから、ひたすら読書してるわ」
ちょうど、『実存からの冒険』というタイトルの小難しそうな哲学書――ニーチェやハイデガーの解説書らしい――を読んでいるところだった。
「面白い?」
「いや、ゴミみたいな内容だね。だけどまあ、ちょうどゴミみたいな日々を送っているところだから合ってるっしょ」
こんなやり取り、少し前にもあったなと思った。
「ラーメン、また行こう」
「ぜひぜひ。お礼にごちそうするよ」
受付で面会用の名札を返却すると、先ほどの女性スタッフが眠そうな表情で受け取った。