第5話「団体戦(春)~セミプロ」
「どこ行ってたんですか?」
井俣は、ここまで三勝一敗と大健闘だ。
「悪いね、気分転換にそのへん少し走ってた」
結局、昼休憩の終了間際に会場に戻った。
「ランニングですかぁ、気合い入ってますね~」
他の部員たちも、その意外性のある行為に思わず顔がほころぶ。
「まだ半分あるから、最後まで粘って打たないとな」
三将で善戦中の四年生の金村さん――前年度の部長だ――が、主として私に向けて全体に伝える。この人も何かと問題がないわけではないが、リーダーシップや面倒見のよさという点で、部長という役柄は向いていると思う。
五局目の相手校は東工大だった。
団体戦は、主将のニギリで五将までの全員の手番が決定する。主将から順に黒、白、黒、あるいは白、黒、白と、交互に石を持つ。井俣が黒を引いた為、四将の私は白番となった。
盤上に石を置く際、私はあまり石音を響かせずにそっと打つほうだが――一方、井俣などは、自信たっぷりと言わんばかりに高い音を響かせて打っている――、本局では珍しくはっきりと音を立てて放った。
私は、空き隅二ヶ所を大高目――星から二路、辺に寄った地点――に打った。かなり珍しい着点なので、対局相手がはからずも盤面を二度見する。実戦で試したことはなかったが、ひそかに研究を進めていた打ち方だ。
今回実践する予定はなかったが、ここまで無難な打ち方をして消化不良で敗れているので、半ば捨鉢気分、あるいは不惜身命たる心持ちであった。
序盤で早々に基本的な定石を間違え、いくらか損なワカレとなった。
些細なミスが即負けにつながることも珍しくはない将棋と異なり、囲碁は多少の失敗をしたとしても、後々の頑張りでいくらでも取り戻すことができる。
十九×十九の世界はそれだけ広大で、かつ深淵なものであることは、傀儡部長の私でも十分すぎるほど知っているつもりだ。だからその程度のことでは動じず、気迫で押し通す。碁石を持つ指先に滲む汗が、会場の緊迫した空気を静かに代弁していた。
中盤で互いに持ち時間五十分を使い切り、一手三十秒の秒読み勝負へ。
左辺でのサバき方が悪く厳しい攻めを受けたが、どうにか凌ぎ切ると、今度は相手に緩着が生じた。
それまでの腑抜けようが嘘のように、最高潮の集中力が私の脳を支配していたため、当然その隙を見逃さない。先ほどのお返しとばかりに猛攻をかけ、苦しかった形勢は、いつの間にかヨセ次第でどちらに転ぶか分からないほどにまで揺れ動いていた。
今大会で一番の長期戦となり、井俣や金村さんも自身の対局を終えてこちらに視線を移している。
目算はできていなかったが、私は運よく一目半勝ちを収めた。
「初勝利、おめでとうございます」
今回、珍しく井俣は中押し負けだった。正面にまだ対局相手がいた為、喜びをおさえながら軽く井俣に微笑む。
感想戦で初手から再現すると、案の定部員たちは驚きを示した。
「いやあ、エツーヤ研究してるねぇ」
実戦とは異なるが、私が対局中に想定していた図を並べて示すと、金村さんが瞠目する。
「ちょっと危ないとこありましたけど、全体的に思いきりが良くてすばらしい一局だと思います」
井俣から肯定的なコメントを頂戴するのは初めてだったので、意表を突かれた気分であった。それが本心かどうかはさておき、彼にそう言わせたことに満悦する。
五局目の勢いを保ち、最終日は二連勝――同じ大高目の布石を採用した――した。個人もチームも勝ち越しには至らなかったが、どうにか三部残留となり後味よく幕を閉じた。
セミプロにはほど遠いな。
光蟲に、ありがとうと胸中でつぶやいた。