第1話「逃避」
大学に入学して一年が経つ。大仰なサークル勧誘行事を目にするのもこれで二回目だ。
囲碁部と茶道部に所属しているが、どちらにおいても参加はしなかった。茶道部は部員数が多く、私が欠けても勧誘活動に支障はない。
九号館の売店で唐揚げ入りのおにぎり二つとポカリスエットを購入し、メインストリートの喧騒を抜けてホフマンホールに潜り込んだ。
薄暗い階段を降りて地下二階へ行き、狭小で薄汚れた通路を進み、奥から二番目、右側の部屋が目的地だ。私は義務的に扉をノックし、間を置かずに入室する。予想どおり、囲碁部の部室には今日も誰もいなかった。
主力の四年生が卒業し、部員は片手で数えうる程度にまで減少した。少し誇張があるにしろ、まともに囲碁が打てる部員という意味ではそのぐらいだろう。勧誘行事に参加しようがしまいが、とやかく言われるような活気のある部でなかったことは、私にとっては不幸中の幸いだった。
机の上のプレイステーションを片付け――囲碁がまるで分からないのになぜか所属しており、時々部室にゲームだけしにくる煩わしい三年生が数名いる――、私は鞄から先ほど買ったおにぎりとポカリスエット、そして今朝四ツ谷駅の売店で購入した週刊碁を取り出す。おにぎりを口に含みながら、先月の本因坊戦の棋譜並べを始めた。
狭い室内に唐揚げと海苔の匂いが広がり、隣室から登山愛好会の部員たちの笑い声がもれる。次の手を探しながらふと、自由だと感じる。勧誘活動に積極的に参加するのも、それを断りこうして一人、狭くて埃被った部室で棋譜並べなどして時間を潰すのも、あるいはこのまま帰宅してしまうのも、すべては私の判断でよいことに気付く。
それはあまりにも愉快で、同時にあまりにも孤独だ。
高校までの規則的な生活に、私はあまり馴染めなかった。マイペースで、いわゆる集団行動が不得手だった。
小学五年の時に担任教師から度重なる体罰行為を受けて以来、私は自分が生きてゆくことに向いていない人間なのではないかと、心のどこかで感じ続けている。
最初の一年間で、友達と呼べる人間は見つからなかった。
特に欲してもいなかったが、仮にそれを――たとえ表面的な関係性であっても――難なく作れる程度の社交性があれば、個だけではなく集団においてもそれなりの愉快さを覚えたのかもしれない。
初夏の頃、塾講師のアルバイトの研修初日に、態度が悪くコミュニケイションに難があると叱責され、そのまま辞退した。学業にも今ひとつ興味を持てず惰性で講義を聞くのみであったが、部活動――主に囲碁の方だが――にはそれなりに精を出していた。溌剌とした女子部員の多い茶道部は居心地が良いとは言えず休みがちになっていたものの、入部当初より囲碁部の活動を主としている旨を主張しており、ある程度容認された。
棋譜並べと昼食を終えて週刊碁を鞄にしまい、代わりにSONYのWALKMAN――最近購入した、細長いボディーの機種だ――を取り出す。インナーイヤー型のイヤフォンを両耳に装着して本体をランダム再生させると、GARNET CROWの『百年の孤独』が流れ出した。高校三年の秋に発売されて以来、何千回聴いたかわからないほどに夢中になった楽曲だ。
歌声もメロディーも編曲も悉く好みに合ったのだが、特に胸を衝かれたのは歌詞だった。絶望や虚無や恐怖に溺れながらも、情熱という茫洋たる光を胸に宿して生きる壮大かつ森厳な世界観に、私は今でも不意に汪然として泣き出しそうになることが稀にあった。
今日はしかしそんなセンティメンタルな気分ではなく、むしろ眠気を催してきた。メインストリートで愛想を振りまきながら勧誘活動に勤しむ学生たちの顔を思い出すと鼻白んでしまうので、この眠気は好都合だと感じる。
部屋の電気を消して、私はしばし休むことにした。こんな寂れた部室に、間違えて誰か訪れるということもないだろう。
テーブルに突っ伏して目を閉じると、種々《しゅじゅ》の雑念は薄れていった。岡本仁志によるスロウで泣きを誘うギターソロが、両耳に心地よく響いた。