襲撃の後で
「これは由々しき問題だ。」
狼の襲撃から一夜明け、朝礼の時間。
珍しくハジメが真面目だ。
「人はこの世界で最も優れた生物だった。少なくとも昔はな。数を増やし、支配していた。
だが今はどうだ?『ネクスト』に追いやられ、絶滅の危機に瀕している。
だが、だ。
人に牙はない、爪も翼もない。個体としての力は弱いんだ。
それなのになぜ旧世界で生き残った?なぜ繁栄した?サクラ、答えろ。」
無茶振りだ。僕に分かる訳がない。
「あー、えーと、協力するから?」
道徳の授業なら正解なんだろうな。
それでこの後先生が協力することの大切さを説くんだ。
「蟻の方が凄い。」
虫と比べられた!?
蟻は協力っていうのか、あれ。
女王の命令に従ってるだけで、ほぼ本能だろ。
「次、ユリ。」
「足が速い!」
「次、イヴは…分かるな。」
ユリの答えは無視するのか。
大体の動物は人より速いと思う、持久力を加味しない場合だが。
ユリなら追いつくだろうからなぁ。
そもそもユリは牙も爪も翼も生やせるのだから、答えろと言う方が間違いだろう。
「手先が器用で頭が良く、火を使いこなすから。って言いたいのね。」
「大正解だ、後でなんかやる。」
「やったー。」
言葉に心がこもってないよ、2人とも。
イヴは心が読めるのだから、設問など意味をなさない。出来レース、ってヤツ?
それでハジメは何が言いたいのだろう。
「人は道具を作り、火を使い、文明を発達させてきた。
人以外の生物は火を使うことはできない。
だから人は世界の支配者となれた。」
旧世界の話か。
今となっては人など滅びゆく種族だ。
「だが今や火を操るのは人だけではない。
人は少数派を否定する。能力を持った人間を閉め出してしまう。
人は『進化』出来ない。
このまま能力を持つ動物が増え続けるとするなら、人類に未来はない。」
「それが世の摂理ってもの、老兵は去りゆくのみだよ。」
人は僕らを『ネクスト』と呼んで蔑んだ。
人は『進化』を否定した。
表面だけの、脆くて生暖かい平和を享受するために。
新しい可能性を、僕らを、捨てた。
そんな人間なんて、
「滅びてしまえばいいのに。」
「まだまだガキだな、サクラは。そういうわけにはいかないんだよ。
…人にはプライドがある。かつての支配者としてのプライドがな。
そう簡単に消え去るなんて出来やしない。
それとな、サクラ。自分の身勝手な恨みだけで滅びろなんて言うな。」
「ハジメは人の肩を持つの?
やっぱりハジメも人なんだね、僕らを捨てた奴らと同じだ。僕らの仲間なんかじゃない、僕らの気持ちなんて考えずに自分勝手に利用して。」
少し、言い過ぎた?
いや、本当の事だ。嫌なものに嫌なものを押しつけて蓋をした。
そんな種族に未来なんて必要ない。
「シン…やめてよ。」
「イヴはいいの?人が僕らに何をしたか分かってるの?イヴはそんなに人が好きなの?」
「嫌いよ…人なんて。でもハジメはあいつらと同じじゃないの。ハジメは私達の仲間でしょう?」
ハジメは捨てられた僕らを救ってくれた。
今はそれすら疑わしい。嫌な考えが頭を埋め尽くす。
恩を着せて、利用する為にしたのではないかって。
頬に、軽い衝撃を感じる。
イヴにぶたれた。
強い力ではないはずなのに、ヒリヒリとした痛みが残る。
「……最低。」
泣きそうな声で吐き捨てる。
イヴはリコリスを連れていってしまった。
確かに最低な考えだっただろう。けれど、そんな考えに至ってしまう理由なんて、イヴだって分かってるはずだよ。
「えーっと、ケンカは良くないよ。ちゃんと…仲直りしてね?何がどうなったか全然分かんなかったけど、2人がケンカしてるのはヤダよ。」
ユリは明るく言ってはいるが、目には不安の影が見え隠れしている。
ユリは日常が壊れることを何よりも嫌う、戦いを好むことと矛盾しているようにも思えるが、実はそうでもない。
平和な日常を守る為に、自らを犠牲にする。
ユリはそういう奴だ。
じれったそうにして、イヴの方へ走っていった。
「俺が言いたかったのは、これから戦いが苛烈になるだろうから気をつけろってことだぜ。」
ハジメが僕の顔を見上げる、ハジメには結構酷いことを言ってしまったと思うのだが、あまり気にしていないように見える。
それが大人の余裕ってやつ?
「…俺が人を守りたいのは、大切な人との約束だからってだけで、本部のヤツらが気に食わないのは俺だって同じつもりだぜ。」
「大切な人って、誰。」
「もういない。」
「死んだの…?」
ハジメは、何も言わない。
目を逸らされた。唇を噛み締めている。
「殺されたの…?」
「装備の強化をしないとな、俺は本部に行ってくる。2、3日かかると思うが留守番頼むぜ。」
「ねぇ、ハジメ。ハジメの大切な人って。」
「ちゃんと仲直りするんだぞ。分かったな。」
ハジメは馬に乗って行ってしまった。
ここには馬が4頭いる、その中のいちばん速いやつだ。
「はぐらかされた、な。」
イヴと仲直りしなければ。
「ハジメは私達の親みたいなものなの!そのハジメを疑うなんて、絶対ダメなの!」
「ごめんって、でもさぁ。」
「でもも何もない!全っ然反省の色が見えない!」
イヴはかなりご立腹のようだ。
かれこれ数時間謝っているが、許す気はないらしい。
「シンが反省してないから許さないの!謝ってるのだってリコリスを返して欲しいだけじゃない!」
図星だ。
当然だがイヴに口先だけの言葉は通用しない。
だけどハジメへの疑いが完全に晴らせないのだから反省のしようがない、本部に行く前に僕らをどう思ってるか言ってくれれば良かったのに。
「ハジメは私達を自分の子どもみたいに愛してくれてるの!シンはそれを疑ってるの!?ハジメを裏切ってるの!?」
机をバンバン叩き、声を荒らげる。
ボロい机が情けない悲鳴を上げる。
「ユリ、助けて。」
「無理だよー。こうなったらもうどうしようもないよー。終わりだよー…。」
ユリが珍しくも怯えて、部屋の隅で縮こまって小動物みたいに震えている。
「そんなに言うならハジメが何考えてるのか教えてよ。そしたら反省出来る気がする。」
「態度が悪い!」
「……教えてください。」
「頭が高い!」
土下座させられた。
「ふんっ!まあいいわ。」
「まず、ハジメが人のことをどう思ってるか知りたいな。」
イヴはあまり人の記憶を見ることは無い。
失礼だからとか、引き込まれると危険だからとか、そういった理由。
だが人の話題を出した以上、ハジメにも感情の揺らぎ位はあるはずだ。
「複雑な感情が絡み合ってるみたいなのよ。
悲しみ、恨み、失望、分かりやすかったのはこのあたりかしら。」
あまりいい感情ではないのか。
恨みねぇ…何があったのか。それに、失望だって?
そんな感情を抱いてまで人を守る理由は?
「あまり深くは見たくないの。直接聞いて、教えてくれるようなら…見ても大丈夫だと思うわ。でもハジメは知られたくないみたいだし。」
「ならさ、ハジメの大切な人って誰かな?」
「私達!当たり前のこと聞かないで。」
「昔の、だよ。もういないらしい。」
「んー…弟がいたって聞いたことあるけど?」
「それは僕も聞いたよ。」
ハジメが本部から酒を盗ってきて、晩酌に付き合わされた夜のこと。
ハジメは珍しく過去を語った。
弟がいたこと。とても可愛がっていたこと。いなくなってしまったこと。
それは自分が原因だと言っていたが、泣き疲れて眠ってしまい、それ以上聞くことは叶わなかった。
「詳しいことはね、私にも分からないの。
その時ハジメの心を埋め尽くしていたのは深い後悔。俺のせいで、俺が殺した、って。」
感情が強すぎてそれ以上読めなかった、と。
弟を殺された、とかかな?そんな単純なことではない気もする。
「詮索するの、やめようよ。」
「……分かったよ。リコリス以外どうでもいいし、ハジメのことはこれでも信用してるつもりだからね。」
「信用、ねぇ…まぁいいわ。許してあげる。」
ありがとう。
心にもない感謝を述べて、僕は釣りに出かけた。食料はまだあったが1人になりたかった。
成果…?
ゼロだよ、僕には釣りの才能はないらしい。