帰還者
「はー、暇ねぇ…暑くてお昼寝も出来ないし、2人とも行っちゃったし、ホント暇。」
太陽は相変わらず真上に居座っている、早く沈んでくれないかな。
炎天下の下で警備なんて、最悪。
誰も来ないし化物も来ない、ここにいる意味はあるのかしら?
「はー、もうイヤ…帰りたい。」
ショールを頭から被って、現実逃避を始める。
暗くなったからか、暑すぎたからか、それとも本当に現実逃避しようとしたのか。
私の意識はゆっくりと薄れていく。
自分でもダメだとは思った、眠くなったなんて理由じゃないのは分かりきっていたから。
でも抗えない。
丁度そんな時だった。
「ねぇアナタ、少しいいかしら?」
「へっ!?あっ、はい!」
透き通るような声で私を現実に連れ戻したのは、真っ黒いローブで顔を隠した女だった。
少女と呼ぶべきなのか、女性と呼ぶべきなのかすら分からない。
年齢を一切読み取らせない、不思議な人だった。
ただ、本当に美しい声をしていた。
「街に、入りたいの。」
「えっと…そのー。」
「少し出掛けていたの。早く入れてちょうだい。」
「わ、分かりました。ちょっと待ってください。」
その人は出掛けていたという。
街の外に?そんな馬鹿な。
この人は労働者には見えない、見張りの黒服は全員男の筈だ。
外に出るなんておかしい。
「すぐに開きますから。」
何故かその人の言う事には逆らえなかった、開門の鐘を鳴らすと、大きな音を立てて門は開き始める。
「あの、一ついいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「どうして外に出られていたのですか?」
「……すぐに分かるわ。だから今は気にしないで。」
気にしないで。
そう言われると本当に気にならなくなってくる。
どうして、それすらも消されていく。
もう一つおかしな事があるのに、それもどうでもよくなる。
そう、どうでもいい。
心の声が聞こえないなんて、私の能力が効かないなんて。
どうでもいい。
「開いたわね、ありがとう。」
「いえ、お気をつけて。」
「うふふふふっ、おかしな事を言うのね。街の中に入ってしまえば危険な事なんて何も無いわ?アナタ達の方が気をつけないと。」
「街の中でも門の近くは治安が悪いですから。」
「うふふっうふふふふふっ。そうねぇ…うふふふふふっ!……でも大丈夫。もう誰もワタシを傷つけないわ。」
「そう、ですね…………?」
疑問が浮かんでは消えていく。
今、とてもおかしかったのに。
何が?
分からない、でも何かがおかしい。
閉門の鐘が響き、轟音と共に女の姿は見えなくなった。
くすくすと笑う度に、フードからもれていた、ぬばたまの闇色の髪が揺れていた。
私が覚えている彼女はそれだけだ。
「リコリス、今の何だったのかな。白昼夢…とか?」
能力を使いながら、リコリスに話しかける。
さっき女に対して使えなかったのは何だったのか、リコリスとの会話は容易だった。
(分からない、けど嫌な感じがする。)
「そうよね…何で何も考えずに入れちゃったの?何でもっと聞かなかったの?」
(そうさせた、何かがあった。)
「何か…ね、とりあえずハジメに報告ね。いつ頃戻るのかしら。」
先に帰ってくるのはシンとユリだろう。
それまでにさっきの女について頭を整理したい。
私はリコリスの隣に座り込んでむ、すると再び気の遠くなるような暑さと静けさが戻ってきた。
先程までは嫌で仕方がなかったそれが、今はどうしようもなく愛おしかった。
「おい!そこの女ァ、聞こえてんのかァ!」
「食いもんよこせってんだよ、さっさとしろや!」
門にほど近く、下級市民区域で数人の男達に1人の女が絡まれている。
汚いボロ布を纏った男達は、穴のあいていない黒いローブに、美しい黒髪を見た。
そうして男達はこの女が下級市民では無いとアタリをつけた。
「ちっ、兄貴ィ。黙り込んでやがるぜこの女。」
「…サッサとしな。」
「はっ、はいィ。」
子分らしき男は女の肩を掴み、揺さぶる。
乱暴なその仕草に、フードがめくれ上がり女の顔が顕になった。
「…あァ?結構上玉じャねェッすか兄貴ィ。」
「顔が良かろうがなんだろうが食いもんが先だ。……お楽しみはその後だな。」
「それもそうッすね、おい!いつまでも目ェ瞑ッてねェで、とッとと飯だしな!」
女はフードを外されてもなお目を瞑り、黙りこくっていた。
だが、胸ぐらを乱暴に掴まれると少し苦しそうな声を上げる。
それを聞いて男はより一層乱暴になる。
そしてとうとう女が口を開いた。
「………お楽しみぃ?…うふふふふふっ。」
それは、純粋に嬉しいのだろうと思わせる笑いだった。
「うふふふふふっ、あーはっはははは!」
女は笑い続ける。
「きゃははははは!」
暫時、女の笑い声だけが響いていた。
だがその声は突然に終わる。
笑い声が止み、女はゆっくりと男に向き直り、目を開く。
鮮血で染まったような瞳が、男達を捉えた。
「…赤目!?あ、兄貴ィ!こいつまさか。」
「ねーぇ?ワタシを楽しませてくれるのよねぇ。早くしてよぉ。」
「…ちっ、おい!逃げるぞ!」
「…………ダメですよ、兄貴。この子を楽しませないと、ほら早く。」
「何言ってんだ、てめぇ。」
「…………何したら楽しい?ああ、そーだ。」
腹に深々とナイフが突き刺さる。
子分の男は、虚ろな瞳で抑揚のない声で。
「………解体ショーとかどうっすかね?」
「きゃははははは!いい、いい!最っ高!」
女は壊れたように笑い続ける。
爛々と輝く紅い瞳は、その美しさを増していく。
蛇のようにのたうつ黒髪は、退廃的な美を感じさせる。
だがそれ以上に彼女の声は、何をしてでも聞きたくなるほど美しかった。
「ふわーぁ、どうするにせよまず人がいないとね。どっちかが帰ってくるまで寝ていようかしら。」
暑さは先程から変わってはいないが、いい加減体も慣れてきた、もう少しすれば眠れるかもしれない。
門に寄りかかり、瞳を閉じる。
この門は丸太を縦に並べ、縄で繋いで作られている。
整備なんてされていない、ささくれだらけだ。
「ヤダもう、服引っかかっちゃった。」
昼寝はもっと居心地の良い場所にすべきだ。
まずはささくれをどうにかしないと、そう考えて後ろを向いた。
目に飛び込んで来た景色は、岩壁だった。
「へ?あれ?私…あれ?」
いきなり場所が変わった、だがその謎はすぐに解けた。
リコリスがスカートの裾を強く掴んでいる。
「リコリス、今のはあなたよね。どうかしたの?」
目線を合わせようと屈んだ、まさにその時。
後ろで轟音が響いた。
「きゃあっ!何!?」
門に、丁度さっきまでいた所に、何かが飛んできたのだ。