警備
鉱山への遠征から数日が過ぎ、本部からの迎えがやって来た。
今回は少し様子が違う、いつもの馬車は二人乗りの小さなものだ。
だが目の前にある馬車は5、6人は乗れそうな大型の馬車だった。
「いつもより大きく見えるのは俺の目がおかしくなった訳じゃないよな、鈴木クン。」
「苧環です。今回は『ネクスト』も連れて来いと言われていまして、大きめの馬車にしました。」
「コイツらも?…なんで。」
ハジメの声が一段低くなり、僕らの間に緊張感が走る。
本部に呼ばれる事など今まで無かった。
「最近、門の前に化物が出たー、とかで門の警備をみんな嫌がるんですよ。なんでも3mもある毛もくじゃらの大男だとか。それで『ネクスト』に警備、なんならソイツを倒させよう、って。」
「ふぅん…?なんかきな臭い話だな、……まぁいいぜ。」
「狭ぇ、暑い、蒸す、最悪だぜ…なぁ、佐々木クン窓開けてくれよ。」
「はめ殺しの窓なんですよ。我慢してください。後私、苧環です。」
「おいサクラ、割れ。」
無茶を言ってくれるよ。
馬車の中は案外と狭かった、6人で乗っているせいもあるだろう。
かなり、暑い。
揺れも激しい、街まではかなりの距離がある。
帰りもコレか、憂鬱な一日になるな。
街に入る前、門の外で僕らは降ろされた。
まぁ分かっていた事だけど。
「じゃーな、頑張れよー。」
馬車の戸からヒラヒラとやる気なさげに手が振られる。
ゆっくりと閉じていく門の隙間から遠ざかる馬車を見つめていた。
なぜだか目を離すことが出来なかったのだ。
「警備、ね。暇そーじゃない?化物が出たってんなら退治しに行けばいいのにー。」
「暇とかよりさ、日陰が無い事の方が問題だよ。」
門は岩山の南側に位置しており、現在は正午。
太陽は真上に堂々と居座っている。
離れていく馬車への感傷もかき消さんとする。そんな太陽を覆い隠そうとする勇気のある雲はいないようだ。
もう少し涼しい格好をすればよかった、今日の僕の服装は正装に近い、かなり暑い。
帽子がせめてもの救いだろう。
リコリスにはいつものように白のワンピースを着せてきた。それに、念の為にと持ってきた黒のローブを日よけとして使わせている。
多分僕よりはマシだろう。
「本当、あっついわよね。袖の無い服にすれば良かったかしら。」
イヴは首までピッチリと詰まった服に、分厚いスカート。それにハジメに貰ったというショールを頭から被っている。
靴下は長く、締め付けるような靴を履いている。
「本当に暑そうだよね、ところでさ、ショールってそんな使い方するの?」
「日よけよ、日よけ!私だってみっともないと思うわよ。」
「2人とも暑そうだよねー。」
ユリの服は羽根を生やすために背中が空いており、動きやすさのために袖もない。
足の動きを制限しない為に、短パン、すぐに脱げるサンダル。
かなり涼しそうだ、日光を全く防ぐ気がないのはどうかと思うが。
「正直羨ましいよ、その格好。」
「肌痛くならないの?」
「べっつにー?眩しいから帽子は欲しいかな。」
チラチラと僕を見るユリ。
帽子は絶対に渡さない、これがないと目がおかしくなってしまう。
他愛も無い会話をしていると、ユリは座って居られないとばかりに辺りを彷徨き始めた。
そして門から東に少し行った岩場を指差し、妙な質問を投げかけてくる。
「門の警備って、普段は誰がやってるのかな。」
「黒服じゃないかしら、今日はいないけど。警備は大抵あの人達よ。」
「ふーん…?じゃあさ、ここにへばりついてるのって、その黒服さんかな?」
「へ、へば……なんて?どういう意味よそれ。」
「だからー、これだって。見に来てみてよ。」
「う…、シンお願い。嫌な予感がするわ。」
自分の嫌な事は人に押し付けてはいけません。とか習わなかったのかな?
仕方ないな、ホントに。
「これこれ、なんだと思う?」
ユリの指が示す岩場には、ベットリと赤黒いシミが付いていた。そのシミはどこか、人が手足を広げたような形にも見える。
その下にはズタズタに引き裂かれた布もある、こちらも岩と同様に赤黒く染まっている。
「やっぱりさ、人だよねこれ。ビッターンって感じでさぁ。」
あまり気は進まないが、岩場に顔を近づけて観察すると、肉片のようなものもある。
カピカピに乾いて固くなり、岩の一部が変色しているだけにも見える。
それでも微かに、だが確かに、吐き気を催させる腐った血の匂いがした。
さらによく見ると、こびりついた血の中に、黒い線が入っている。
髪だ。
血や肉片よりも何故か生理的な嫌悪感がある。
「ちょっと……気持ち悪くなってきた。」
「えー、大丈夫?いっつもスプラッタしてる癖にぃ。」
「うるさいな…アレは別に好きでやってる訳ではないからね、それに僕はこういう類は苦手なのだよ。と、話がそれたね…ユリはコレが化物の仕業、と言いたいの?」
「そーじゃないの?3mあるとか言ってたしぃ、人を叩きつけたっておかしくないよ。」
「叩きつけただけ、では無さそうだけどね。骨が無いよ、血ばっかりだ。肉も少ない。」
「……ハッ!もしかして……三枚おろし!?」
「…何その発想。怖いよ。」
ユリの感性が少し人と違う事は知っていたつもりだが、今回ばかりは流石に怖い。
しかし、骨の欠片も見つからないとは。
警戒を強めた方が良さそうだ。
「ねぇシン、ユリが言ってたのなんだったの?」
「人の三枚おろしの跡。」
「へ?何それ。じょ、冗談よね?ねぇそうよね、そうだって言ってよ!怖いじゃない!」
イヴは見なくて良かった、状況を聞いただけでこの有様なのだから。
……言い方が悪い?気のせいだろう。僕はありのままを伝えただけだ。
「人の死体があった、て事よね。それならやっぱり倒しに行った方がいいんじゃないかしら。」
「門を離れた間にその化物が来たらどうするのさ、その為の警備だろう?」
「化物のいる所は匂いでわかるよ、大丈夫だって。それにぃ、倒さなかったら多分ずっと警備させられるよ?」
それは困る、これからドンドン暑くなってくるという時期に外で警備なんて絶対に嫌だ。
だが化物の居場所が分かるといっても、あくまでも追跡だ。
即座に対応は出来ない。
追っている間は門は無防備だ。
「ふた手に分かれる、ってどうかしら?化物追跡と、門の警備で2人ずつ。」
「それイイね!あたしは追跡でしょー、皆はどーすんの?」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ。僕はまだ納得していないよ。」
「リコリスは警備でいいわね?化物と対峙するのは多分…追跡班だし、私も残ろうかな。」
「僕の話聞いてる?」
「シンはリコリスと一緒じゃ仕事に集中しないしねー!」
全く聞く耳を持たないよ、この2人。
いい案だとは思うけれど、化物は強力そうなのだ、戦力を分散させて大丈夫なのか?
それになにより、化物がいるというのにリコリスを置いていくのも心配だ。
「じゃあ決定!追跡班はシンとユリ、警備班は私とリコリスね!」
「ちょっと待って、て言ったよね?たまには僕の意見も聞いてくれないかな。」
「よーっし!シン、行こ。ゴーゴー!」
結局、ユリに引きずられ痕跡を追うことになった。
凹んだ岩壁、赤黒いシミ、ズタズタの衣。
ユリはそれらの中から化物の匂いを嗅ぎ分けるという。
「んー血の匂いが濃いなー。この人はベジタリアンかな?」
「死体になる前の趣向はどうでもいいよ、化物とやらはどうなの。」
「ケモノくさーい感じはするんだけどなー、多分森に行ったと思うんだよね。う〜ん、こっちかな?」
「……凄く不安なのだよ、大丈夫だろうね?」
「へーきへーき!ゴーゴー!」
僕とユリは森の方へと歩みを進めた、時折に地面に這いつくばって匂いの方向を確かめるユリの姿は、少し気味悪さを感じる。
森。
街を囲む岩山から南東に位置する針葉樹の森だ。
木材にする為の伐採は少し前から停滞しており、最近はその範囲を広げている。
この森は何故か濃霧の日が多い、それでなくとも木の根が張り出し、ゴツゴツとした岩の多い地だ。
森に入る時は一番初めに見た木に縄を括りつけて、それを持ったまま入ることを強くオススメする。
「なーんかさ、気味悪いよねこの森。でも匂いは濃くなってるしぃ、やっぱ入んなきゃだよね?」
「当たり前、ほら行くよ。」
僕らは特に遭難を心配する事は無い、ユリがいるのなら野生の勘とやらでどうにかなる。
帰巣本能?とか言うものらしいが、全く便利なものだ、僕も欲しいよ。
幸いにも今日はそれほど霧は濃くない、歓迎されているようには思えないが、拒絶されている訳ではないようだ。
もっともこの森は生き物が嫌いらしく、まともに歩かせようとはしない。
先程から木の根に引っかかりろくに進めない。
「シン遅くなーい?そんなモンぶら下げてるからじゃないのー。」
「う、っるさい、黙って、案…内してなよ!」
「そんななっがーいマントみたいなのとかさ、帽子とか、そりゃあ引っ掛かるに決まってるよ。」
「いいから黙って……うわっ!?」
「足元注意!……とと、遅かったかな?」
大きな木の根の窪みにはまってしまった。
1m程はありそうなこの窪みには、先日まで降っていた雨水が溜まっていた。
「ぶふっ!あ、いやいや笑ってない笑ってない。シン、大丈夫?…………んふふふっ!」
「笑ってないで引っ張って貰えると嬉しいのだけれどね。1人では抜けられそうにないのだよ。」
つまづいたり引っ掛かったり、穴にはまったりもしながら、森を進んで行く。
奥に行けば行くほど、木も霧も増えている気がした。
光が届きにくくなり、より一層不気味になっていく森。
「ねぇ、まだなの?」
「まだだよー、まだ匂いが薄ーいから。ま、2、3日前に通ったかな、ってくらい?」
「…嘘だろ……そんな、もう嫌だよ。リコリスと待っておけばよかった。」
「そー言わないの。あ、そーだ。暇潰しにさぁ、
あたしの昔話してあげよっか?」
「別にいい。興味無い。」
「アレはねー何年前だったかな、そうそう確か…」
僕の返答も気にせず昔話を始める。
興味は無いが、暇潰しにはなるかもしれない。
なにより話でもさせておいた方が面倒が少ないだろう。
足元が見えない程に濃くなった霧も手伝って、僕はユリの語りに次第に飲まれていった。