一時の休息
「今日は久しぶりの休み!ってなぁ!」
いつも以上にハジメがうるさい。
本部からの要請もなく、『ネクスト』が来る様子もない。
うららかな日差しの降りそそぐ、気持ちのいい日だ。
だが、だからといって人の耳元で叫ぶことは許されない。
「悪かったってー、そんな怒んなよ。」
「耳痛い。それよりさ、鉱山の件。本部に報告はいいの?」
「迎えが来るっつってたからよ、まぁ2、3日は見込んでいいだろ。」
ユリは朝から山へ食料調達へ行っている。
もっと武器を試したいとか言ってたかな。
そろそろ僕も出掛けよう、魚の干物が少なくなってきた。
「あ、サクラ。釣りに行くならよ、干物用の他にも醤油用釣ってきてくれよ。」
「醤油…?調味料だっけ?」
「塩だけじゃあ物足りないだろ、醤油はいいぞ!香ばしくてな、たまんねぇんだよ。もう何年も見てないな。商店街にも売ってなくてよ。」
「分かったよ、あまり期待しないで待ってて。」
僕の釣りの腕は壊滅的なのだ。
今日は天気も良いし、気温も丁度いい。
暑くもなく、寒くも無く、時折涼しい風が吹く。
こんな日ならリコリスを連れて行っても大丈夫だろう。
「ふたりっきり、ってわけだが…どうだ?」
「別に何も?」
「つれねぇのー。暇なんだよー、もう少しくらいノッてくれても良いじゃん。」
ユリは山へ狩りに、シンはリコリスと魚釣りへ。
そして私はハジメと2人でお留守番。
特にやるべきこともなく、ダラダラと過ごしていた。
たまには無駄な時間も必要だ、特に今の私には。
鉱山で思い知った、私には覚悟がないって。
生き物を殺すなんてしたくはないし、自分が痛い思いをするなんてもってのほか。
出来れば仲間にも傷ついて欲しくはないし、人の心なんて読みたくない。
私は自分勝手だったのかな。
自分の存在を、能力の事を、深く考えもせずに生きてきた。
だってその方が楽しかったから。
「………っ。」
気がついたら、大粒の涙が机にシミを作っていた。
必死に声を殺す、こんな姿見られたくない、知られたくない。
「なぁイヴ、こないだ街に行った時にさ、イイもん買ってきたんだよ。お前らへのお土産のつもりだったんだが、今の今まで忘れちまってた。」
ハジメは部屋から高級そうな紙に包まれた何かを持ってきた。
「それが、いいもの?」
まだ少ししゃくりあげながら、頑張って言葉を紡ぐ。
中身はこの目で見たいの、ハジメの口から聞きたいの。
能力なんて使いたくない。こんなチカラいらない。
「ッジャーン!どうだ?綺麗だろー。」
「これ、私にくれるの?」
「そりゃそうだろ、お前に買ってきたんだから。」
「……っありがと!」
美しい白い布地に丁寧な緋い刺繍の施されたショール。
この生地はシルクかな、こんないいものをくれるなんて!
「ほんっとうにありがとう!ハジメ大好き!」
「こまめなプレゼントも出来る男、ハジメ様って訳だ。どうよ、惚れた?」
「惚れてないかな。流石に年が、ねぇ。」
「……年の話はしないでくれ、頼むから。」
早速部屋に戻って着替えよう、このショールに合う服があったはず。
そして私はそれまで考えていた事なんて忘れて、色んな服を合わせて楽しんだ。
だからダメなのよ、私は。
なんにも出来ない、街にいた頃と変わらない。
「それとな、これ。」
着替えが一段落ついて大部屋に戻ると、ハジメはポケットから、銀色の卵形をした何かを渡した。
それにはフワフワした柔らかい毛が生えている、てのひらの上で歩き回り、匂いを嗅いでいる。
「ハリネズミ…!?」
まだ子どものハリネズミだ。
その瞳は、紅い。
「隠れてた時に見つけてよ、懐かれた。」
「なんで連れて帰ってきたのよ!こんな危険なモノ。」
「危険かどうか、お前なら分かるだろ?」
ハリネズミからは敵意は感じない、純粋にハジメに懐いている。
けれど、鉱山のハリネズミにも敵意は感じなかった。
あの針は防衛反応のようなものだ、意思が無くたってこちらに危害を加える可能性が高い。
「危ないわよ、きっとそのうちケガしちゃう。」
「ちゃんとしつけるからさぁ、頼むよ、なっ?」
躾だとかそんな問題じゃない、相当気に入っているようで悪いけど、諦めてもらわないと。
「飼っていいってよ!よかったなぁ!」
「えっ!?ちょっと、まだ何も言ってないわよ。」
ハジメは私の手からハリネズミをひったくると、部屋に引っ込んでしまった。
やられた。
止めようとしているのが分かったんだろう。
今日はもう無理だろうけど、早くなんとかしないと。
もしかして、ショールを今日渡したのは、忘れてたわけじゃなくて私の機嫌をとるため?
そう考えると少し腹が立ってきた、2人にも相談して、あのハリネズミをなんとしてでも追い出さないと。
釣り。
それは忍耐であり、騙し合いである。
僕は何処までも続く、蒼い海を眺めていた。
東から出発したばかりの太陽の光を反射し、宝石のように輝く水面。
時折、沖の方で大型の魚が空中へと飛び上がる様を見た。
「この辺りがいいかな?」
僕はリコリスへと問いかける。
だが勿論返事はない、返事など求めてはいない。
湿った岩場へ腰を下ろす。
今は引いているが、満ちればここまで海が広がるのだろう。
「リコリス、あまり遠くへ行かないでね。」
リコリスは岩場に取り残された魚や、貝をとっている。
あまり目を離したくはないが、何回も成果がゼロなどとふざけてはいられない。
意識を手先の感覚に集中させる、僅かな振動も逃さぬように。
目を閉じ、呼吸を整え、針を海へと投げ込む。
目標は、馬に乗せた籠二つ分を満たす事。
小魚なら数十匹要するだろう。
「………釣れない!」
いくら感覚を研ぎ澄ましたところで、魚がかかってくれなければ無意味。
エサが悪いのだろうか?
浜に打ち上げられていた、少し臭う鮫の死骸は魚たちのお気に召さなかったのか。
「腐ってそうだからなぁ。
ん?リコリス、どうかしたの?」
リコリスが籠を見せる。
籠は小魚や蟹、蛸……色々なもので満たされていた。
「これ全部拾ったの?嘘だろ……。
釣りより効率いいの?そんなぁ。」
この真実には落ち込まずにはいられない。
太陽はもう中点を過ぎ、帰り支度を始めている。
もうこんな時間か、時が経つのは早いものだ。
そろそろ帰らなければ、夜になれば辺りは暗闇に包まれ、家に帰ることは出来ない。
もう一つの籠はどうしようか?
「ねぇリコリス。この籠さ、帰る時に穴があいちゃったみたい、とか言ってもダメかな。」
魚の重みで底が抜けた。なんて信じるだろうか?正直に言った方が怒りは買わないだろうが、今後は釣りではなく狩りをさせられる事になるだろう。
山や草原を走り回るなんて嫌だ。
獲物はのんびりと待っていたい。
「あぁ……どうしよう、なんとかならないかな。
わ、何?何か思いついたの?」
リコリスは僕の手から籠をとると、暫くそのまま籠を見つめていた。
「リコリス?」
僕もつられて籠を覗き込む、…何も無いよね?
パシャンという音と共に、突如として籠の中に魚が現れる。
「うわっ………びっくりしたぁー。え、今のリコリスだよね。空間転移?」
リコリスは僕の疑問に答えない。
否、僕の疑問に気がついてすらいない。
僕の目を見つめながら籠を差し出すと、柔らかい微笑をたたえた。
「……っ可愛い!じゃなくて、ありがとう。」
結局僕は何も出来ていないな、情けない。
素潜りでもした方がいいのかもしれない。
網を仕掛けてみるのもいいかな。
そんな事を考えながら、家路を急ぐ。