訓練終了
「うぅ〜、10個とか無理だよー。」
あたしの目の前には虫の標本が並んでいた。
ハジメが作ったものらしいそれは、とても綺麗に原型を留めていて、今にも動き出しそうだ。
蝶と蜂。成虫と蛹と幼虫が、順番に並べられている。
「…気持ち悪くなってきた。」
触っちゃダメ、って言われている。見るだけ。
まず蝶、よく見ると羽根のはえた芋虫みたい。
こういうところを書けばいいのかな。
何で羽根が生えているのかな?飛ぶため。
何で飛ぶのかな?……何でだろう。
すぐに行き詰まってしまう。
「あー!もーいやー!」
じっとしているのは嫌いだ!勉強も嫌いだ!やな事ばっかりさせるハジメも嫌いだ!
「う…や、やっぱりハジメは嫌いじゃ…ない。」
何故こうなっているのか?が分からないと羽根や爪だって、完全に再現することは出来ない。
見た目が同じだけの偽物、劣化品。
座り直して、標本を見つめる。
……やっぱり分からない!
動いていないものを見ても、どんな風に使っているのか分からないんだから、標本を見たって無駄だよ。
生きてるものならいいのかな、分かるのかな。
「ちょうちょ、どこにいたっけなぁー。」
座っているのは性にあわない、習うより慣れろ、標本の蝶より元気な蝶!
私は花のたくさんある草原に向かった。
やった!思った通り、たくさんいる!
私は気配を消して、花に止まっている蝶を観察した。
今まで休んでるだけだと思っていたけど。
「何か…吸ってる?」
蝶の口からストローみたいなのが伸びて、花の中心へ。
「んー?」
蝶を捕まえて、ちぎらないように優しく、優しく、ストローみたいなのを引っ張った。
「あ、やっぱり穴あいてる。ストローなんだ!ねぇねぇ、なに飲んでるの?」
予想が当たったことが嬉しくて、蝶に話しかけてみる。
「返事するわけないかぁ。イヴがいればなー。」
蝶を逃がし、今度は花の観察。
花びらの中に細い何かがある、何だっけ。ハジメに聞いたことある筈なのに思い出せない。
「んー…?何とか、何とかべ。わかんないや。」
少し無理に花をひらいていく。
中心が光ってる?いやこれは、水っぽいのがある。それが陽を浴びてキラキラ光ってるんだ。
あたしはそれを指にすくって口に運んだ。
なんでも口に入れるなって怒られるけど、あたしにとって一番分かりやすい方法なんだ。
「……甘い!?」
微かな甘みを感じる。
そうかこれを蝶は飲んでたんだ!
あたしは大発見をした気になって、そのことをもっともらしく書いた。
1匹につき10個っていう決まりも忘れて。
「魚の声かぁ、知能の低い生き物の声って聞こえにくいのよね。」
私はリコリスを連れて、川のほとりに立っていた。
リコリスはまだ眠たそうに瞼を擦っている。
いくら目を開いても何も見えないのに。
(それじゃ、リコリス。私が場所を教えるから、空間を切り取って魚を捕ってね。)
リコリスはこくんと頷く。
眠たくて船をこいでいるのと見分けがつかなくて、私は少し不安になる。
私は川の底に意識を集中する。
蠢くモノたちの、微かな声を聞き分ける。
いた、魚を見つけた。動きがなかなかに素早い。
よし、魚の位置をリコリスに伝えて…伝える?どうやって?
基準がないから、右や左なんて言っても仕方ない。直接映像を送るにしても、魚の思考を読むわけだから、魚の見ているものが見えるだけだ。どうすれば…?
(えーっとリコリス?魚を見つけたのだけれど、位置はどうやって伝えればいいかな。)
リコリスに聞けば万事解決!
とはならなかった。
(……座標を教えてくれればいいよ。)
(ざ、座標?)
(うん、座標だよ。)
……座標って、言葉しか知らないのよね。
街の教育では文字の読み書き程度しか教わってなかったし、まずい、分からない。
リコリスはよくハジメに何かを教えて貰っている。
ハジメとリコリスの思考を繋げているのは私だけれど、そういう設定にしてるってだけで私の支配下にある訳じゃない。
ハジメの知識はほとんどが旧世界のものだ。
私が街にいた頃に習ったものなど歯が立たない。
(リコリス、その…座標ってなぁに?)
仕方ない、屈辱的だが本人に聞くしかない。
(平面的な位置に、高さをつけたものを教えてくれればいいよ。1マス1cmにしてくれると嬉しいな。原点はイヴのいるところでいいよ。)
(うぅん…?ハジメの説明はどんなだった?)
(えーっとねぇ、…俺が今から教える座標というのは物の位置を点として認識するものだ。空間操作に役立つだろう。
そうだな、この木目の黒いとこを原点とする。原点は0.0.0で表す。
お前から見て右へ3cmの点を3.0.0とする。前に3cm、0.3.0。上に3cm、0.0.3。分かったか?
よし、なら次。俺の指先を座標で答えろ。
…4.-2.6?それでいいのか?……正解だ。反対側はマイナスで表す。よく分かってるな。…だったかな。)
……うん、意味はまぁまぁね。
ただ、使える気がしないわ。
私の能力は思考を読むだけなのよ?その思考がどこにあるかなんて、なんとなくでしか分からないのに。
1cm単位で場所を特定なんて出来る訳ない。
……もしかしてそれを鍛えろってこと?
(えーっと、70.140.50…くらいかしら?)
殆ど当てずっぽうだ。
なんとなくこの辺りにあるかな?ぐらいなのよ、私の能力は。
バシャンッ
空中に水の塊が浮かんで、落ちる。
魚はいない。
(いなかったよ。)
(ねぇ…リコリス?あなた1人で出来ないの?)
(魚の位置はちゃんと認識出来てるよ。でもイヴの言った位置じゃないと意味ないと思うよ?)
正論だけに腹が立つ。
私の練習にならない、けれどこれは難易度高すぎないかしら。
(あ、魚は110.128.72の位置にいたよ。持ってきたのは10cm四方だよ。)
結構ズレてるわね、ショックだわ…。
これは、苦戦しそうね。
「よーっし!訓練終わりー!全員集合!」
ハジメの大声で訓練時間は終わりを告げた。
「えっ…ちょっとシン!?ボロボロじゃない!」
「そうでもないと思うけど。」
僕はハジメに石を投げられ続けていたことを説明する。
切り損なったものが多いし、たとえ切っても半分になった石が飛んでくる。
「別にケガをしてる訳じゃないよ。」
「ならいいわ。」
「いいの?…意外と冷めてるね。
まぁいいや、そっちはどうだった?リコリスに無茶させてないよね。」
「1匹もとれなかったわよ!リコリスは無事!」
「上手くいかなかったからって僕に当たらないでよ。」
イヴは訓練の結果が芳しくなかったようで、気が立っている。
触らぬ神に祟りなし。あまり近寄らないほうがよさそうだ。
「シーンー!大発見!花に甘い水があった!」
「虫の観察は?1匹につき10個だよね。」
「あっ…忘れてた。」
ユリも結果は酷いな。
何故花の観察になったのか、ユリの考えを僕が理解出来る日は永遠に来ないだろう。
ハジメが呆れたようにため息をつく。
あぁ、これはまずい。
「全員ひっでぇな。」
「ハジメ…内容もう少し考えた方がいいよ。
きっと僕達には難し過ぎたんだ。」
「お前らなら出来ると踏んだんだがな。
買い被りすぎだったか?あぁ?」
「ごめんって。」
ハジメに頬を引っ張られる、これが結構痛い。
ハジメは勢いよく椅子に座り込む。
木製の年季の入った椅子は今にも壊れそうだ。
ご機嫌ナナメって訳か。どうしようかな?
「実戦の方がいいのかもなぁ?
丁度本部から要請がきてるし、武器が出来たら遠征するぜ。最近鉱山の辺りで死者が出てるんだとよ。」
死者が出る、となると『ネクスト』の仕業だろう。
鉱山の辺りには何がいたっけ、もう何年も見ていないから覚えていないな。
僕らはハジメが武器を作る間、自主訓練をすることになった。
遠征は嫌いだ。討伐要請が出るような奴は強いし、何より外出はリコリスに負担がかかる。
さっさと終わらせるに越したことは無い。
僕はいつも以上に訓練に精を出した。