第七話
夜の森に飛び出していったアンナを追う者はいなかった。不死ならば夜目も利くし、冒険者は村から動かないはずだ。それに、今のアンナは一人にしておくのがいいだろう。
「あの神官はなんだったの。異端審問官に監視されてるはずの村で魔王崇拝とか、普通はできないでしょ」
『彼は……異端審問官に任命されて村に常駐することになった神官だったのです。まあ、正体は見ての通りでしたが』
定期的に辺境の村を監視して回れるほど異端審問官は暇ではない。村人を正しい道に導くために神官が派遣されたのはごく自然なことだった。問題は、その神官が実は魔王崇拝者だったということだが。
『彼は村人の相談に乗るフリをして少しずつ、しかし確実に村人の心を掌握していったのです。気がつけば村が寂れる理由が国の政策にあると訴えられ、それを信じきっておりました』
(そして、時が来ても魔王様がアルシークに侵攻してこないので、待ちきれずに儀式に及んだ、と……)
マルレーネは村長の話からそう結論づけたが、大きく間違ってはいないだろう。魔王に関する情報はないようだったので、マルレーネはテオドラに演奏をやめさせた。
もっと話をしたかったのだろう、霊たちは恨みがましい怨嗟の声をあげたが、マルレーネが鎚鉾をちらつかせると一斉に姿を消した。残されたのは暗闇と、異様に冷え切った空気だけになった。
それからどれほど経ったのか。マルレーネたちが今後の方針を話し合っていると、おぼつかない足取りながらもアンナが戻ってきた。カーテンの隙間から差し込む微かな月明かりでも、目の付近を擦った跡が確認できる。不死となった今、涙を流すことは叶わないのだが無意識の行動だったのだろう。
「……ただいま戻りました」
「ええ、おかえり」
会話は続かない。わざわざ両親の亡骸が眠る祠の前でどうしていたのか、マルレーネたちに訊くつもりはないし、聞く価値もないからだ。ただひとつ、確認しておかなければならないことがあるだけで。
「アンナ、あんた、これからどうしたい?」
「ふえっ?」
カタリナの問いにアンナは首を傾げた。血の契約によって本能的に自分がカタリナに従うものだと理解していたアンナは、突然の問いかけに戸惑った。
「どうしたい……とは?」
「アタシがあんたを従者にしたのは、召喚用魔法陣の結界から抜け出るために利用した結果にすぎないのよ。だから、あんたが両親の後を追いたいって言うならそうしなさい。アタシと違って、あんたは日光を浴びれば消滅できるわよ」
自身の従者の能力は主ならばある程度把握できる。アンナは下級吸血鬼同様、日光で灰になる体質である。
「それは……」
私は必要ないということですか、と問おうとしてアンナは慌てて口を閉じた。遅まきながら、自分の意志を確認されていると気づいたからだ。
物心ついた時から咎人の子だと疎まれ、村人に従って生活してきたアンナは今まで自分の意見を口にしたことはなかった。それが今、カタリナは自分で決めるよう言ってくれている。……命令ではなく。それがアンナにはとても嬉しかった。
「……お傍に置いていただけませんか?」
アンナの言葉に、ちらりとカタリナがマルレーネに視線をやった。
「アタシたちがアルシークに来た目的、訳あってあんたには言えないわよ?」
「構いません」
「アタシたち魔族だから、いざとなったら人間と敵対するわよ?」
「あたしだって、もう不死ですよ?」
「はいはい、カタリナの負け」
マルレーネがカタリナの敗北を宣言する。
もちろんマルレーネとてカタリナの内心は理解している。魔界からの仲間でもないアンナに目的も告げず、こちらの都合で連れ回すのを不安に思っているのだ。割り切って「太陽光に当たって自害しろ」と命じれば良いものの、それをできないのがカタリナの優しさであり、甘さであった。
「もともと前衛は現地調達するつもりだったでしょ。魔族の血ゆえか並みの不死より強力なんだし、いいじゃないの」
「マリィがそう言うなら従うけどさ」
恥ずかしいのか、ふいっと視線を逸らすカタリナ。
「照れるお嬢様萌え~、ハァハァ」
ゴスッ!
鼻息を荒くするテオドラを無言で殴り倒し、マルレーネはどこからともなく、大人の頭ほどの大きさがある赤錆色の金属塊を取り出した。
まるでその金属塊に吸い寄せられるようにアンナはふらふらと歩み寄って、気がつけば手に取ってまじまじと見つめていた。
「それは魔鋼と言って、魔界でのみ作られる稀少金属よ」
「魔鋼……」
「……相性は良さそうね」
魅入られたように魔鋼を凝視しているアンナを見て、カタリナはホッと呟いた。マルレーネは無表情に同意する。
魔鋼とは、限界まで凝縮した瘴気が結晶化したものであり、その結晶を錬金術で精錬し、熟練の鍛冶師が魔法を用いた鍛冶技術にて金属塊としたものである。素となる結晶を人工的に作ることができず、また精錬に膨大な時間が必要になるため、魔鋼製の武具は魔王と一部の上級魔族のみにしか所持が許されていない。今回の特殊任務がなければ、マルレーネたちが手にすることもできないほどの稀少金属である。
「その魔鋼でアンナの鎧を作るわ。それならば太陽光にも耐えられるし。だけど、一度着用したら脱ぐことはできない、それでも……ついてくる?」
マルレーネの問いに一瞬怯むアンナ。彼女の動揺を表すかのように雲が月明かりを遮り室内を闇に沈める。しかし、そんな動揺を振り払うかのようにアンナはすぐに大きく頷いた。
「行きます」
「じゃあ……テオドラ」
「はいは~い」
頭にコブを作ったままのテオドラが、腰に下げた細剣をアンナに差し出す。
「全身を覆う鎧を想像しながら、自分の手首を切って魔鋼に血液を捧げなさい。それがあなたと魔鋼の契約になるわ」
自傷行為を要求されて驚いたアンナはしかし、意を決して刃を手首に当てた。かつて村で見た、全身鎧で身を固めた冒険者の姿を思い出しつつ。
「わっ、わわっ!?」
さほど力を入れてもいないのに、アッサリと刃は手首を切り裂き、粘度の高い血液が噴き出した。実はこの細剣、華奢な見た目ではあるが実はカタリナの実家が所有していた業物であり、驚くほどの切れ味と耐久性を持っている。アルシークへ向かうにあたり、カタリナの父親が護衛のテオドラに与えたものだったのだ。
不死の高い再生能力によって傷口はすぐに塞がったが、かなりの血液が魔鋼を濡らした。次の瞬間、まるで生物のように魔鋼が脈動し、粘妖のごとくアンナの足首に纏わりつくと、悲鳴を上げる暇も与えず幼い裸体を這い上がって全身を覆い尽くした。
赤錆色の粘液が人型から徐々に姿を変えていく。雲が去り、カーテンの隙間から月明かりが再び室内を照らし出した時、そこには赤錆色の無骨な全身鎧が立っていた。
「……玩具みたいね」
「むうう、ひどいですよお」
カタリナの呟きにくぐもった声でアンナが抗議した。分厚い面甲のせいで表情まではわからないが、きっと頬を膨らませていることだろう。
アンナに合わせただけあって小柄な全身鎧は無骨であるがゆえに滑稽であり、そのアンバランスさが作り物めいて見えてしまった。
その足元には魔鋼の欠片が転がっている。アンナが小柄だったため余ったようだった。まだ使い道があるためマルレーネはそれを回収し、一同を見回した。
「さて。じゃあ、今後の方針を決めましょう」