第五話
月は中天を過ぎた。いつもならば虫の鳴き声か木々のざわめきしか聞こえない時間なのだが、今夜のハスラ村は騒がしかった。
村の中央には大きな篝火が焚かれ、集められた村人たちがその周囲で横になって動かずにいる。恐らく眠りの魔法を使われているのだろう。
村の中をゆらゆらと彷徨うのは松明や光源の魔法だ。武装した男女が四人一組になり、村の中や周辺を調べて回っている。
「軍隊じゃないわね、武装が統一されていないわ」
村はずれの巨木の上から、マルレーネとテオドラが村の様子を伺っていた。魔族である二人は夜目が利くため照明など必要としなかったし、人間たちが光源を持って移動しているため、監視は容易かった。
「あ~、あれじゃないですか? 授業で教わった、冒険者ってやつじゃあ」
「なるほど、そうかも。小さな村の魔王崇拝者を摘発するくらいで軍は動かないだろうし」
テオドラの言葉にマルレーネは頷いた。
冒険者とは、冒険者ギルドに登録している者達の総称であり、冒険者ギルドは国境を越えて世界規模のネットワークを持つ巨大組織である。
神話時代、アルシークには優れた文明を持つ国家がいくつも存在していたのだが、魔王侵攻によって国も、技術も失われてしまった。それらはもはや神話の中の存在でしかなかったが、ある時そんな失われた国や文化を追い求める者たちが出てきた。探検家である。
探検家たちは純粋な学術的好奇心によって亡国の歴史や文化を少しでも世に残そうと行動を開始した。まずは国に話を持ちかけた探検家たちは、しかしそのほとんどが門前払いを受けてしまったという。復興に大きなリソースを裂いていた国にとって、かれら探検家は夢と浪漫の中に生きる存在であり、失われた歴史や文化に予算を回す理由を見いだせなかったのだ。
それでも探検家たちは諦めなかった。スポンサーを募り、志を同じくする者たちを集めて世界中を走り回った。やがて彼らはお互いの情報交換、共有を目的とした組織を作り上げるに至った。それが冒険者ギルドの前身となる探検家ギルドである。
その探検家ギルド最大の功績といえば、魔法の復活だ。魔王や魔族だけが使用できると言われていた魔法が、神話の時代では人間たちも使用できていたという事実、そしてその魔法の復活は全ての国家に衝撃を与えた。
各国はすぐに魔法の知識を独占するため探検家ギルドを支配下に置こうと試みたが、その時すでに探検家ギルドは国家の枠を越えた巨大組織に成長していた。また、所属する探検家たちは全員が高い能力を持つ万能家であった。
探検家ギルドは予算の少なかった時代が長く、遺跡調査なども少人数によるチームで行っていた。当然、求められる各人の能力は非常に高くなり、一人で戦闘、罠発見から解除、物品の鑑定もできるという達人ばかりで構成されていた。そんな達人たちが所属する超国家組織を支配下に置くことは、不可能ではないが極めてリスクの高い賭けになるのが目に見えていた。
探検家ギルドはもとより無償で魔法の知識を世界中に発信するつもりであった。いずれ来る魔王の再侵攻に対抗できる強力な武器になるからだ。しかし探検家ギルドの強大な力を恐れた国々の要請もあり、いくつかの協定を結ぶに至った。その最たるものが、
『探検家ギルドは国家間の争いに介入しない』
である。
もとより国家の垣根を越えている探検家ギルドは特定の国に肩入れするつもりもなく、また巻き込まれるつもりもなかったため、協定内容について異議が出ることはなかったという。
また、探検家ギルドが冒険者ギルドと名を変えたのもこの協定を境にしてからである。常に予算不足に悩まされていた探検家たちは、副業として護衛や魔物退治の仕事を受けることがあった。小鬼の襲撃に頭を悩ませる小さな村などは喜んで彼らを頼った。小鬼程度の襲撃では軍は動かないからだ。
魔法の復活を機に探検家ギルドの名は名声と共に世界中に広がり、それに合せて依頼も殺到するようになった。だが殺到する依頼が本業に差し障るようになり、ギルドは組織の新しいあり方を模索するようになった。そして紆余曲折の末、報酬と引き換えに依頼を受ける、現在の冒険者ギルドへと変わっていったのだった。
「……来たわね」
地下に踏み込んだ者たちから連絡があったのだろう。マルレーネたちに見張られているとは知らず、魔法の光源を浮かべた一団が偽装井戸へと走り寄ってきた。中を覗いて地下の者といくつかのやり取りの後、光源を増やして地面を調べ始めた。足跡などの手掛かりを探しているのだろう。
魔法が使える者がいれば魔法陣が起動したことはわかるし、明らかに他殺な神官の遺体を見れば、召喚された「何か」が神官を殺して逃走したと考えるのが妥当であろう。
「しまったなあ、神官は欠片も残さず喰っておけばよかった」
「え~、それならワタシが食べたかったですよぉ」
ゴスッ!
「馬鹿なこと言ってると殴るわよ」
「もう殴ってるじゃないですかぁ……」
クドイようだが、淫魔の「食べる」は性的に、である。
そんなくだらない会話の間にも、冒険者たちは忙しく動いている。駆けつける時間の早さからしても彼らの判断力と行動力が優れていることがわかる。
しかし、いくら行動が迅速であろうとも、飛行して地下から脱出したマルレーネたちの足取りを追うのは不可能であった。冒険者たちは井戸付近を念入りに調べていたが、やがて諦めたように村へと戻っていった。
やがて村中に散らばっていた光源は村の中心に集まり、動かなくなった。夜は魔物の時間、いくら四人一組で行動しているとはいえ、召喚されたモノの正体が不明である以上、最悪確固撃破の恐れもある。冒険者たちは守りを固め、安全に朝を迎えることを選んだ。そしてそれは正しい判断であり、マルレーネたちにも都合がよかった。
地上に降りたマルレーネとテオドラは音も立てずに暗闇の中を走った。森へと続く細い道を駆け抜け、途中、小さな祠を越えて小さな家にたどり着く。窓は閉ざされ、カーテンが閉められて中は窺えないが、二人は周囲を警戒した後、迷わず家の中へとすべり込む。暗闇の中でカタリナと生贄にされた少女が待っていた。
「お嬢様~! 外は寒かったですぅ~。温めてくださ────」
ゴスッ!
「お疲れ様。状況は?」
「乗り込んできたのは冒険者みたいね。今は村の中心に集まって朝まで動かないつもりみたい。……ここには?」
「家に踏み込んだ形跡があるわ。うまくすれ違ったみたいね」
「それなら、朝までは大丈夫……かな」
「あ、あの……その人、大丈夫です……か?」
生贄の少女が床にのびているテオドラを指さす。カタリナに抱きつこうとした瞬間にマルレーネに叩き落され、それきり動かない。
「大丈夫よ。それで、その子には?」
マルレーネは視線で生贄にされていた少女を示す。生まれたままの姿で座り込んでいた少女は、自分に矛先が向けられたと知ってオロオロと慌てはじめた。美しい青の瞳は今や真紅に染まり、少女が不死化していることを証明している。
「一通り、アタシたちが魔族だということは説明してあるわ。……自己紹介しなさい」
そんな少女を肘でつついてカタリナが促すと、ビクリと反応した少女がマルレーネと、突っ伏したままのテオドラに頭を下げた。
「アンナと申します。このたびは助けていただ……き? ありがとうございました」
不死化させたので厳密には助けたことにはならない。それゆえの疑問形なのだろう。それよりもマルレーネは、カタリナの指示に対するアンナの反応を気にした。
「あの結界を抜けるためにあなたを利用しただけだからお礼はいらないわ。それより……一応、主従関係にはなっているのね?」
後半の台詞はカタリナに向けたものだった。カタリナは肯定するように肩をすくめた。
「そうね、アタシの命令には絶対服従。だけど純粋な下級吸血鬼になってはいないみたいなのよ。魔族の血が流れてるからかしらね」
生前の記憶と自意識を持ち、尚且つ生前の姿を維持する不死は吸血鬼くらいだ。魔族の不死化は前例がないため、アンナはまったく新しい不死になったのかもしれなかった。
アンナは呆然と自身の両手を眺める。
「あたしに魔族の血が……」
「両親のどちらかが魔族だと思うけど、覚えてない?」
「……はい。あたしが生まれた時に両親は死んだと聞いています。両親は……村に災いを運んだと聞かされていました。だからその娘であるあたしは村の人から疎まれ、この家で一人で暮らしていたんです」
(そして疎まれついでに今回の生贄に選ばれた、というところかしらね)
アンナの説明に想像を巡らせるマルレーネ。大きく外れているとは思わなかった。
顔も知らぬ両親と自分の境遇を想ってか、言葉を無くして視線を落としたアンナをそのままにカタリナがマルレーネの耳に口を寄せた。
「アンナの両親に魔王崇拝者たち。いくらなんでも魔王様とは無関係よね」
「多分、ね。でも、アンナの年齢からして、十年ちょっと前には魔族がこの村にいたってことで、気にはなるわね」
どんなところにヒントが転がっているかは、わからない。調べる必要はあると思われた。とはいえ、詳しい話を聞こうにも生き残った村人たちは冒険者たちに押さえられている。必要な情報が得られるという確証がなければ、冒険者を出し抜いて村人に接触し、話を聞き出すだけの危険を冒す必要はないだろう。
マルレーネとカタリナが顔を見合わせて悩んでいると、
「あのぉ~、話を聞いてみますかぁ?」
復活したテオドラが自分の背中側を指差した。マルレーネとカタリナは同時に手を叩いた。
「「その手があったわね」」