第三話
あっという間に三日が経った。
メンバーの選定に装備や道具の準備。行動方針の決定にメンバー間の連携訓練。そして、アルシークに関する情報の総復習。
アルシークに関しては講義で教えられてきてはいるが、先の侵攻から二百年も経っている。国の興亡もあるかもしれないし、貨幣や言語が変わっている可能性もある。あらゆる可能性を考慮してその対処法を叩き込まれた三日間は、訓練生には短すぎる準備期間であった。
さすがにそのまま訓練生を送り出すのは忍びないと思ったのか、各パーティには一つだけ特別なアイテムの貸与が許された。まあ、そのアイテム選びがまた時間を圧迫したのだが。
我らが特別学科はといえば、メンバー選定はあっさり終わった。学科の特性上、訓練生の数が少ないからだ。
現在の特別学科訓練生は二十一名。他の学科が軽く百名を超える大所帯なのに比べれば圧倒的に少ない。
勿論、あの日、午後の講義を変更して行われたマルレーネの説明とメンバー選定は他の学科に劣らず盛り上がった。誰もが自分を選べと声をあげたからだ。
「じゃあ、カードゲームで決めよう」
クラスメイトの提案に例の二人がこの世の終わりのような顔をして笑いを誘ったりしたのだが、マルレーネはその提案を却下した。メンバー選定で最も重要な条件があったからだ。
メンバーは人型であること。
目的は当日発表とされ未だ不明であるが、今回の任務は目立たないことが優先されている。能力以前に人間に近い外見の者が必要とされていた。
この時点でメンバー候補は八人に絞られてしまった。
そこから各自の欠点や能力の問題点を吟味した結果……。
「あらあら、特別学科は必要人数を揃えることができなかったのかしら?」
集合場所の大ホールに向かう途中で会ったベアトリスがさっそく嫌味を飛ばしてきた。
そう、特別学科のメンバーはマルレーネ、カタリナ、テオドラの三人だけだ。残念ながら他五人の候補者は能力的にリスクが高くなるため涙を呑んでもらった。
わずかでも血を見れば殺戮衝動が励起されるとか、常に魔法の暴発リスクがつきまとうとか、魔界にしかない酒の中毒者とかトラブルの臭いしかしない。
無論、マルレーネ達三人にも問題点はあるのだが、他の五人に比べればまだマシなのだった。
「アタシ達は少数精鋭、数を揃えなきゃ任務も果たせない人たちとは違うのよ」
「誰のことを言ってらっしゃるのかしら……」
「あら、おわかりにならない? 魔法学科のクラス長ともあろう方が」
「なあんですってぇ!!」
同じ家格とあってか、カタリナとベアトリスは事あるごとに張り合い、ぶつかり合うことが多かった。今回も例外ではないのだが、重要な任務直前にガチバトルでどちらかがリタイアというのは避けたい。
「ハァハァ……このままお嬢様とベアトリス様がキャットファ……」
ゴッ。
「痛いじゃないですかぁ」
「なにやってるのよ。主を諌めるのもメイドの仕事でしょ」
「そんな! マルレーネ様は見たくないんですか? お嬢様とベアトリス様がくんずほぐれつ、汗を飛ばしながら……」
ゴスッ!!
再び妄想の世界にトリップしそうになったテオドラを、マルレーネは無言で殴り飛ばした。
鎚矛で。
「「もうすぐ鐘が鳴るわよ(ぞ)」」
マルレーネとベアトリスのパーティメンバーの声が重なった。危惧するところは一緒であるらしい。
さすがに実力行使を控えたものの、睨みあう二人と気絶したテオドラを引きずるようにマルレーネ達は大ホールへと脚を踏み入れた。
おおっ、と思わず声が出た。大ホールの床に巨大な転移用の魔法陣が描かれ、魔法陣を取り囲むように何人かの魔族が配置されている。転移魔法陣を起動させるための上級魔族であるらしく、放たれる強者の気配に睨み合っていたカタリナとベアトリスの頭も一気に冷えた。
すでに到着していた訓練生たちはパーティごとに整列している。全員がアルシークでの活動のため魔族の特徴を隠しており、服装や装備も無難なものに揃えているため、パッと見は人間の集会に見える。
普段は裸エプロンなテオドラも、今回ばかりはさすがにメイド服を着用している。……とはいえ、
「淫魔は露出が減ると死んじゃうのっ!」
という本人の主張もあって、露出の多い改造メイド風衣装になっている。
他の訓練生たちが無難な装備に納まっているだけに悪目立ちしており、今から頭が痛いマルレーネだった。
大ホールにどんよりした気配が立ち込め始めると、壁際に並んでいたマリア教官がそれに気づいて視線で整列を促してきたので、マルレーネは気分を切り替えてそそくさと列に並んだ。
マルレーネたちが整列してほどなく鐘が鳴り、大ホールの入り口は閉ざされた。同時にホール奥の扉が開き、護衛と所長、そして大きな箱を乗せた台車を引き連れた宰相メアガスが入ってきた。
メアガスの入室に合わせてホール全体が一瞬、魔法の光に満たされた。なんらかの結界が張られたようで、情報の漏えいを防ぐためだろうとマルレーネは予想した。
「若き訓練生たちよ、よくぞ来てくれました。宰相のメアガスです」
メアガスの自己紹介に訓練生たちが静かにどよめいた。マルレーネもそうだが他のクラス長たちも事前に大物が来るので驚かないよう言い含めていたのだろう、幸い大騒ぎにはならなかった。
「今回は特別な事情があり、君たち訓練生をアルシークに送り込まなければならないことを心苦しく思っています。目的はこれから説明しますが、目的達成の目途も立っておらず、潜入期間も明言できません。もし、自信がないという者がいたら恥じることはありません、遠慮なく退出しなさい。責めはしません」
沈黙と静寂。誰も踵を返す者はいなかった。
メアガスは満足そうに頷いた。
「よろしい。この場にいる者全員、これから話すことを他言しないと誓ったとみなします」
再び光るホール内。そして全員が、自分の内に命令が書き込まれるのを自覚した。
契約の魔法。それも宰相直々の高度なものだ。
ここまで念入りに情報漏えいを防ごうとする自分たちの目的はなんなのか。訓練生のみならず、教官たちも固唾を呑んでメアガスの言葉を待った。
「諸君らにはアルシークに潜入し…………魔王様を捜していただきます」
え?
全員、言葉は理解できても意味が理解できなかった。
「魔王様はすでに復活なさっておられます。しかし、我らになにも告げずに単身アルシークに転移し、行方をくらませておいでです。諸君らには、魔王様の行方を追ってもらいます」
(ええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!)
「静粛に」
訓練生のみならず教官たちも思わず叫びそうになる前に放たれたメアガスの声は決して大きくはなかったが、全員の喉まで出かかった声を呑みこませるには十分な力があった。
格の違いを見せつけられ、訓練生どころか教官すら背筋に寒いものを感じた。
「諸君らの動揺は当然です。ですが、何故? どうして? との問いに明確に答えられるのは魔王様以外におりません。諸君らは自身の心に拡がった疑問という名の靄を払うため、なんとしてでも魔王様を捜すのです」
そう告げてメアガスは台車に歩いていく。やや時間をかけて、訓練生たちが魔王様を捜す以外に方法は無いと納得する時間を作る。
「台車の箱には諸君らから申請のあった武具、アイテムが入っています。呼ばれたパーティ順に受け取りに来るように。
また、同時に私が書いた魔王様宛ての手紙を託します。魔王様以外に開封させてはいけません、十分注意するように」
それから順にパーティが呼ばれ、アイテムと手紙を受け取り、順番に転移され始めた。
順番的にマルレーネのパーティは最後になるようだった。ジッと待つのに耐えられなかったのか、カタリナが不安げに話しかけてきた。
「なんだか、予想以上に大事だったわね」
「確かにね。でも、私たち以上に大変なのは宰相様たちじゃないかしら」
アルシークで勇者に敗れた魔王が復活に要する期間はおおよそ二百年。魔界では昨年がその復活の年だとされており、すでに六度目のアルシーク侵攻の準備に入っている。
いつも魔王復活の日には多少のズレはあるものの、年単位でズレが生じたことはない。訓練生たちがいつ魔王を見つけるのか予想がつかない現状で、魔王行方不明の事実を隠しながら、魔王復活を渇望する魔族たちの熱意を維持しつづけるのがどれほど困難か、マルレーネでなくとも簡単に想像ができる。
時間がかかりすぎれば魔王の不在が露見する可能性が高まる。そうなった時、血気盛んな魔族たちが暴発すれば魔界の存亡にも関わる。改めて責任の重大さを噛みしめるマルレーネたちだった。
そんな時、隣に並んでいたベアトリスがずいっとマルレーネとの距離を詰めてきた。
「マルレーネさん、勝負ですわ」
「……はぁ?」
唐突な勝負の申し込みにマルレーネの反応は一瞬遅れた。
「どちらのパーティが先に魔王様を捜しだすか、勝負いたしましょう!」
「なにゆえ?」
「なんですの、勝つ自信がないんですの?」
「勝ち負けの問題じゃないよ」
マルレーネとしては、今回の魔王捜索は訓練生全員に課せられた使命だと考えている。どのパーティでもいい、魔王を発見できれば、それすなわち訓練生たちの勝利なのだ。そこに個人的な勝負を持ち込む理由は無い。むしろ協力すべきだろう。
マルレーネの返答をベアトリスはお気に召さなかった。
「覇気が感じられませんわね。そんなだから特別学科は見くびられるんですのよ」
「慣れてるからいいよ」
平然と答えるマルレーネ。
『なにも』起らないことからも、それが本心であることがわかる。ベアトリスは歯噛みした。
「まったく、あなたという人は……いつもそうやって……」
囁くような呟きはマルレーネにはよく聞こえなかった。聞き返そうとした時、ベアトリスたちのパーティが呼ばれた。
ベアトリスはマルレーネを睨みつけるようにして何かを言おうと口を開いたが、結局それは言葉にならず、肩を怒らせて仲間の後を追って行った。
「なんだったの? アレ」
「……さて、ね。」
カタリナの問いにマルレーネは肩をすくめるだけだった。
ベアトリスのパーティが転移陣に入ると、マルレーネのパーティがアイテム受け取りに呼ばれた。
台車に向かいながら輝き始めた転移陣に視線をやるとベアトリスと目が合ったので、マルレーネは少し迷ってから軽く手を振った。驚いたように目を見開いたベアトリスはしかし、勢いよく視線を逸らしてしまった。
微妙に頬に朱が差したように見えたのは転移陣の輝きのためだろうか。
(昔はお互いに呼び捨てにしてたし、もっと普通に話せてたんだけどなあ……)
訓練所に入ってからお互いの距離感がわからなくなってしまった。
寂しげにため息をつくマルレーネと転移されていくベアトリスを、テオドラが息を荒くして交互に見ていることに気づいてはいたが、メアガスの前で粗相をするわけにもいかない。
後で必ず殴る。
そう決意して、マルレーネは係の者からアイテムを受け取った。
「希望の物を用意したが、本当にこれで良いのか?」
係員はアイテムを渡しながら心配そうに訊いてきた。隣に立つメアガスも少し驚いているようだ。
「ありがとうございます。私達には純粋な前衛がいないので、現地で調達しようと思いまして」
マルレーネの返答の意味を理解し、係員は苦笑した。
「まあ、派手にやるなよ?」
「わかっています」
受け取った物を収納し、隣のメアガスから魔王宛ての手紙を受け取る。
「魔王様は常に瘴気を放っておられます。魔王様がどれだけ地下に潜ろうとも、どれだけ深い森の奥に潜もうとも、そこは必ず魔境と化すでしょう。瘴気を追いなさい、訓練生よ」
「了解しました、宰相様」
メアガスからのアドバイスに三人揃って返礼し、踵を返して転移陣に歩み寄った。
最後のパーティということもあって、大ホール中の視線が集まる。気恥ずかしさもあって足早に三人が転移陣に入ると、まるで待っていたかのように転移陣が輝きだし、大ホールにどよめきが走った。
「まだ詠唱を始めていないぞ!」
「どうなっている、止められないのか!?」
明らかなトラブルの気配。しかし発動した転移陣から出ることはできない。マルレーネたちには為す術は無い。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?」
「大丈夫です、お嬢様。なにがあっても私がお護りいたします」
うろたえるカタリナを抱きしめて力強く宣言するテオドラ。言葉だけ聞けばメイドの鏡だが、荒ぶる鼻息ですべてが台無しだ。
やはり殴っておこう。決意したマルレーネが腰の鎚矛に手をかけた時、一際強く転移陣が輝いた。転移陣の輝きが収まると、そこに三人の姿はなかった。
慌てて転移陣起動要員の魔族たちが輝きを失った転移陣に駆け寄り、調査を始める。しばらくして、代表の者がメアガスに歩み寄り、膝を折った。
「申しあげます。どうやら先の三名はアルシークに召喚されたようです」
「召喚……。このタイミングで?」
「転移陣により、アルシークへの道はすでに用意されておりました。そこに偶然リンクしたものと思われます」
アルシークに潜む魔王崇拝者たちが大規模な召喚儀式を行い、魔族召喚を試みることは珍しくない。
召喚は魔法陣を用いて魔界とのゲートを開き、儀式の規模に応じてふさわしい強さ、能力のある魔族に召喚主が呼びかけることから始まる。その呼びかけ内容に興味を示した魔族が交渉の意志を示した場合、魔族は精神体だけでアルシークの魔法陣に転移し、そこで改めて召喚主と交渉することになる。交渉が成立すれば、魔族はようやく実体を得てアルシークでの活動が可能になるのだ。
アルシークと魔界を繋ぎ、適切な場所に適切な大きさのゲートを開くのには、本来ならば大量の魔力と大規模な儀式、そして時間が必要になるのだが、今回は魔界側からゲートを開いていたため、それを召喚に利用されてしまった形になる。
さらに悪いことに、マルレーネたち三人は最初から実体でアルシークに行くつもりであったため、召喚内容に同意したとみなされる可能性が高い。まだ未熟な(魔族の中では、であるが)三人がどのような契約履行を求められるのか……誰もが三人の無事を祈った。