第一話
魔界。
七柱の神に敗れた魔王が追放され、封印された空間がそう呼ばれている。
「魔界とは、魔王を頂点とする弱肉強食の世界であり、日々血で血を洗う争いが繰り広げられる修羅の世界である」
聖職者はそう説くが、それがプロパガンダだというのは今では誰もが知っている。
その昔、小さな子供がこう訊いたのだ。
「司祭様、詳しいんですね。魔界を見てきたんですか?」
司祭は沈黙し、人々は苦笑した。それ以降、聖職者たちは神の啓示によって魔界の全容を知ったことにしているが、効果は上がっていない。
今ではすっかり「魔界を見てきたんですか?」と言えば嘘くさい言葉の代名詞となっている。
では魔界はどんなところか。
実をいうと一般的な王国と大差はない。文字通りの王である魔王の下に貴族階級の魔族がおり、その下に兵士がいる。魔界は国民総兵士なのだ。
国民全員が戦闘訓練を受けており、華奢な酒場の美人ウェイトレスの魔族でさえ、単体で複数人の人間兵を相手に無双できるほどの力を持っている。
魔界各地には【戦闘技能訓練所】があり、まだまだ未熟な魔族たちが、いつか来るアルシーク侵攻の末席に加わろうと日々努力していた。
リンゴーン リンゴーン
その日、魔界の北方に位置する【ノルン戦闘技能訓練所】に呼び出しの鐘が鳴った。
『各学科のクラス長は至急所長室に集合のこと。繰り返す、各学科の───』
「なんだろう?」
休憩時間、クラスメイトとカードゲームをしていた【特別学科】のクラス長であるマルレーネは突然の呼び出しに首を傾げながらも席を立った。遅れるわけにはいかない。ここ【特別学科】は所長室まで一番遠いのだ。
「ふふん、どうやら逃げる口実ができたようだな」
一緒にゲームに興じていた牛頭のクラスメイトが言った。先ほどまでグイグイとマルレーネを攻撃しており、防戦一方にしていた彼の言葉に、隣に座る単眼の魔族も同意する。
「戻ってくるまで待っていてもいいんだが、ここは見逃してやるよ」
「そう? じゃあ、行ってくるね」
二人と違い、ただの人間にしか見えないマルレーネは手札を放り出して扉に向かった。後ろから二人の悲鳴が聞こえてきた。
「ふ、伏兵のカードが二枚も!?」
「防戦一方だったのは芝居かあっ!」
どうやら見逃されたのは自分達だと知ったようだった。
足早に廊下を進むも、マルレーネが所長室に到着した時にはすでに他の学科のクラス長は揃っていた。所長の姿はない。
「一番最後に到着とは。特別学科の生徒は行動が遅いですわね」
開口一番、マルレーネに嫌味を投げたのは【魔法学科】のベアトリス・フォン・アルフォルン。ここ【ノルン戦闘技能訓練所】がある北方地域を任される貴族の一人、アルフォルン伯爵の一人娘で、金髪ドリルの完璧なお嬢様だ。小さな角と悪魔の羽がなければ人間に見えるだろう。
マルレーネとは幼馴染で仲も良かったのだが、ここ訓練所で学ぶようになってからは関係は悪化の一途をたどっている。
なにを言ったところでベアトリスの機嫌を損ねるのはわかっていたので、マルレーネは肩をすくめただけで黙って所長の机の前に並んだ。
「なにか言ってはいかがですの?」
「……ダジャレでも言えばいい?」
「全力でおやめくださいなっ!?」
なぜかベアトリスが顔色を無くしてマルレーネを止めようとしたところで、隣室に続くドアが開いた。まず各学科の教官たちが入室し、続いて所長が入ってきた。
所長は巨大な二本の角を持つ魔族だが、片方の角は途中で折れている。四百年前のアルシーク侵攻で勇者の持つ聖剣で斬り落とされたのだ。
その時の傷が原因で一線を退いたのだが、豊富な実戦経験を埋もれさせるには惜しいということで所長の座を与えられた。当人は生き恥を晒すことを恥じていたが、もともと部下の面倒見の良かったこともあり、訓練生たちに慕われている。
所長はそのまま自分の椅子に向かうかと思いきや、出てきた扉に向けて恭しく一礼した。それに応えるように一人の老魔族が入ってきた。
線の細いナイスミドルだ。だがマルレーネたちクラス長が注目したのは彼の角だった。所長の角より巨大な、羊のような巻角は生き血を塗り固めたような禍々しさであり、全員が知らず緊張から生唾を飲み込んだ。
純粋な魔族の強さは角を見ればわかる。
所長が腰を折るだけあって、さてとんでもない大物がやってきたのだけは理解できた。
「えー、今から諸君らにこちら───宰相メアガス様から大事なお話がある。心して聞くように」
「「「「「「……………………え?」」」」」」
所長の言葉の意味を理解するまでに少々時間が必要だった。
「「「「「「って…………えええええええっ!?」」」」」」
魔界宰相メアガス。神話の時代より魔王の右腕として魔族を率いてきた時代の生き証人。魔王が勇者に破れてから復活するまでの間、魔界を実質的に統治する最高権力者である。
魔界でメアガスの名を知らぬ者はいないのだが、半人前の訓練生が直にご尊顔を拝することなどできない雲上人。その雲上人が地方の訓練所にわざわざ脚を運んで自分たちの眼前にいるという事実を、マルレーネたちは現実として受け止められなかった。
あまりに唐突で非現実的な展開にクラス長たちは混乱して適切な行動ができないでいたのだが、さすがは貴族といったところか、最初にベアトリスが我に返り、膝を折って上位者に対する礼をとった。次々にそれに従って膝を折るクラス長たち。
((((((俺達に恥かかせるんじゃねえよっ!!))))))
教官たちからすれば冷や汗ものだ。
そんな礼を失したクラス長たちの姿にもメアガスは穏やかな表情を崩さず、静かに口を開いた。
「本日はお忍びでこちらに来ているのです。どうか、楽にしてください」
無茶な注文だ。楽にできるわけがない。
結果、直立不動で言葉を待つクラス長たちに苦笑を浮かべ、メアガスいきなり本題に入った。
「さて、諸君らにはアルシークに潜入していただきます。各学科より最大四名までメンバーを選び、準備を整えた上で、三日後の鐘四つにここ訓練所の大ホールに集合するように。目的はその時に説明します。……なにか質問は?」
緊張も露わにベアトリスが手を挙げた。許しを得て話しだす。
「魔法学科のベアトリスです。恐れ多くも宰相閣下の御下命とあらば、わたくし達は喜んでアルシークに参ります。ですが、何故わたくし達なのでしょう。未だ卒業も認められぬ半人前です」
先のアルシーク侵攻から二百年。魔王が復活し、六度目の侵攻は近いと魔界は興奮と緊張に包まれている。
しかしアルシーク侵攻に加わるためには訓練所の卒業が最低条件。半人前の自分たちに白羽の矢が立つには何か理由があるはずだ。
何故、自分たちが選ばれたのか。それはこの場にいるクラス長たち全員の思いであった。
……マルレーネを除いて。
「弱いからでしょ」
ポツリと漏らした呟きは、緊張から静まり返っていた室内で思いのほかよく聞こえた。隣のベアトリスが殺気のこもった目でマルレーネを睨みつけた。
(マズったー。……殺されるかな、これは……)
さて、どう言い訳しようかとマルレーネが必死に頭を悩ませていると、意外にも助け船を出したのはメアガスだった。
「先を続けなさい」
穏やかに先を促す。
マルレーネにはその穏やかさが逆に恐怖だったが。
「特別学科のマルレーネです。えと……先ほど宰相閣下は『潜入』とおっしゃられました。斥候学科や工作学科ならばまだ話はわかりますが、それ以外の学科の訓練生も参加となると、訓練生自体に利点があるとしか思えません。
ならば、私たち訓練生の利点は何かといえば……弱いこと。アルシークで目立ちにくいことだと考えました」
ひとことで魔族と言ってもその外見は実に多様だ。マルレーネのように人間と変わらない外見の者もいれば、直立した竜のような姿の者もいる。人型であっても獣頭の者から半人半馬のような半人半獣、人妖蜘蛛のような半人半蟲まで多彩である。
だが、これら魔族に共通した点がひとつだけある。それは、強くなればなるほど、人型から逸脱していくという事だった。
角や翼、尻尾などは巨大に、または数が増える。爪は刃のように伸び、牙が隠せなくなる。全身が鱗に包まれる者、炎を纏う者……特徴は様々なれど、強者ほどその姿を隠し、偽ることができなくなるのだ。
無論、それら魔族の特徴を隠す魔法がないわけではない。しかし強さに比例して消費魔力が増大し、逆に効果時間は短くなってしまう。消費魔力に比例して、魔法探知にかかりやすくなるのも問題だ。
その点半人前のマルレーネたち訓練生ならば、わずかな魔力で長時間の隠蔽が可能であり、探知もされにくい。
マルレーネの言葉にメアガスは静かに頷いた。
「君達訓練生をアルシークに送り込む理由は三つありますが、その内の一つはマルレーネ君が言った通りです。君たちには極力目立たずに任務を遂行していただきたいのです」
どうやら助かったみたい、とマルレーネが安堵していると、【特別学科】担当のマリア教官と目が合った。ほんわか癒し系のマリアは、いつもよりぽやぽや度増しマシで頷いた。教え子が褒められてよほど嬉しかったのだろう。
メアガスは残る二つの理由も説明した。
一つは魔界からアルシークへ魔族を転移させるためのコストの問題だ。
魔族がアルシークへと転移する方法は三つある。
まず、復活した魔王と共に転移する方法。魔王は数万の軍勢を連れてアルシークへ転移することが可能であり、これがリスクもなく一番確実な転移方法なのだが、魔王が復活し、力を回復させていなければ不可能だ。
次に魔界から転移の魔法陣を用いてアルシークへ転移させる方法。
しかし、これは転移させたい魔族の強さに比例して魔力コストも増大し、転移座標の誤差も大きくなるというデメリットがある。一定以上の実力を持つ魔族を送り込む場合、コストとリスクがまったく吊り合わなくなる。
最後の方法はアルシーク側から召喚用の魔法陣を用いて魔族を召喚する方法である。
少数ではあるが人間の中にも魔王崇拝者が存在し、時折大規模な儀式を行って魔族を召喚しようとしている。彼らの求めに応じれば比較的簡単にアルシークへと転移できるのだが、当然魔族側の都合に合わせてなどくれない。いつ召喚されるか不明であるし、召喚先で行動するために余計な契約を結ばされることもある。不確実性とリスクの高さから現実的ではない。
二つ目の理由は、魔族としての階級が上がるほど活動に多量の瘴気を必要とすることである。
瘴気は魔族にとって酸素のようなもので魔界には豊富に存在するが、当然アルシークでは瘴気はほとんど存在しない。廃墟や地下迷宮など、瘴気が溜まりやすい場所はあるものの、そこから移動できないのでは意味が無い。
魔王は自身から大量の瘴気を放つため、アルシーク侵攻に上級魔族を同行させても問題ないのだが、今回のように少数潜入させる場合には瘴気の量に影響されにくい下位の魔族がふさわしい。
ならば、訓練生まで動員しなければならない今回の目的はなんなのか。誰もが気になるところだが、それは当日発表だと念を押された。
その後、いくつかの質問のやり取りがあって解散となった。
所長室を出てすぐに、クラス長たちは打ち合わせに入った。
「一度に転送できる人数が四人までとなると、他の学科の訓練生とパーティを組む方がいいよな」
「おっしゃる通り。斥候学科と工作学科の者は各パーティに一人は欲しいですね」
任務内容は未だ不明であるが、どのような状況にも対応できるよう打ち合わせに熱が入る。
ここ訓練所にはいくつかの学科があり、その学科ごとに伸ばせる特性が違ってくる。
白兵戦や肉弾戦を主に学ぶ【戦技学科】
魔法や召喚術を学ぶ【魔法学科】
偵察や隠密行動を学ぶ【斥候学科】
情報操作、破壊工作を学ぶ【工作学科】
様々な物質や薬物を合成、創造する【錬金学科】
訓練生の長所を伸ばすことに特化している各学科には当然得手不得手がある。他の学科の訓練生と組むことによって欠点を補おうとするのは当然のことだ。
熱心に話し合うそんなクラス長たちから完全に浮いているのはマルレーネ。自分に声がかからないのを知っているので早々にその場を離れる。もたもたしていたらベアトリスから嫌味が飛んでくるだろう。
なぜにマルレーネに声がかからないかといえば、マルレーネの所属する【特別学科】が所謂問題児の集まりだと認識されているからに他ならない。
【特別学科】は他の学科と違って特定の技術を学ぶ場所ではない。ここは言ってみれば、能力は高いが問題を抱えている者達を矯正する学科である。
強大な魔力を持ちながら制御できない者。
魔法の効果が安定しない者、または効果にランダム性がある者。
特殊能力の使用に面倒な条件がある者。
能力や魔法の効果より副作用が大きい者等々。
担当教官であるマリアが【特別学科】出身であるので、【特別学科】=問題児という図式は決して当てはまらないのだが、実技の度に暴発やら味方撃ちを連発してしまっては他の学科から敬遠されるのも致し方ない。マルレーネとベアトリスの関係がぎこちなくなったのも、マルレーネが【特別学科】に編入させられてからだ。
他の学科から敬遠されていても、今までなんとも思わなかったマルレーネだが、結果的に今回は【特別学科】の訓練生だけでパーティを組まなくてはならなくなってしまった。
マルレーネは頭を抱えながら、教室へと戻って行った。