五人の冒険者と鍛錬 (3)
坂野紀子。
26歳、元OL。
彼女は、この異世界に来て悲嘆にくれていた。
自分が亡くなった事を、彼女は理解していた。
なぜなら、その時の、直前までの記憶があるからだ。
私は、死んだ。
それは、彼女にとってはゆるぎない事実である。
最近仕事で行き詰っていた所に、大学時代から付き合っていた恋人に裏切られた。
やけになってさほど飲めない酒を飲み、泥酔して事故にあってしまったのだった。
どう考えても自業自得だし、さらに"もう、死んでもいいや"という思いが強く、死を受け入れる気持ちがあった。
なのに、気がつくと、不思議な空間にいて、いきなり変な人が現れ。理解不能な事を言いだしたのだ。
いわく……
『貴方は今から異世界に転移します。
そして、その異世界には、貴方と同じような転移者が100人いますので、その人達と殺しあってください。
生き残れば、なんでも好きな"願い"を1つだけ、叶えて差し上げます。
なお、最低でも、三ヶ月後までに1人は他の転移者を殺さないと、自分が死ぬことになりますのでご注意ください』
彼女は、その時あまりに突拍子も無い話に、まったくついていけず、殆ど話を理解できずにいた。
でも、そんな事は関係なく、変な人は、説明を淡々と続けてくる。
そして、話が終わると世界は暗転し、気がつくと、深い森の中に放り出されていたのだ。
暗い森の中で半日程、彼女は放心状態のまま、ただただボーとすごした。
日が傾き夕闇が迫る頃になって、やっと自分の身にとんでもない事が起きている事を、いやでも理解する出来事がおきる。
森の奥の暗闇から、何かが現れた。
巨大な体、高く上げられた手の先の鋭い爪、そして、大きく開けられた口から覗き見える牙。
それは、熊に頭に三本の角をもつ熊に似た猛獣だった。
殺される。
直感的に、そう思った。
恐怖が彼女の全身を包み込んだ。
だが、絶望と恐怖の中で彼女の心の奥底に、強烈な生への渇望が生まれてくる。
「いや、死にたくない!!」
暗い森の中で、彼女の悲痛な叫びが響きわたった。
けっきょく、転移者は体力や反射神経がかなり向上している為に、その熊に似た動物からは、比較的簡単に逃げることができた。だが、熊とであった時に生じた『死にたくない』と言う思い、生への渇望は、彼女の中から消えることが無かった。
私は、死にたくない。
今、改めて思うと、なんで仕事に行き詰ったり、恋人に振られたくらいで死にたいと思ったのか。自分でも理解できない。
とにかく私は、死にたくない。だから、生き残る努力をしよう。
彼女は、そう素直に考えるようになっていたのだった。
でも、生き残る為には、異世界で、転移者を100人の中から生き残らなければならない。
変な人に渡された唯一の持ち物"殺戮録"。
それを見ると、転移者達のスキルが乗っていた。
『雷神召還』『風切断』『火炎攻撃』『水霊怨攻』『極烈光』『爆烈魔攻』『重力操作』etc etc
どんなスキルなのかは、実際は解らないが、名前からして、強そうなスキルが多い。
ただ、中には『保護色』や『思想管理』など、今ひとつ、戦闘であまり役に立ちそうにない能力もごく一部だが存在する。
どうやら、スキルにも"当たり"と"外れ"があるようだ。
そんな中、自分の特殊スキルは、『完全回復』だった。
どんな傷でも、病気でも治すことが出来るスキルだ。
単純に、スキルの能力としては、かなり強力で有意義で有効な能力だと思われる。
だが、この特殊スキルでいったいどうやって他の転移者と戦い、生き残るというのか。
森の中で、彼女は途方に暮れていた。
さらに、途方に暮れたまま、さして何もせずに三日間程を過ごした。
生き残ると言う思いはあるものの、自分の特殊スキル『完全回復』で、他の転移者とどう戦えばいいのか、具体的に何をどうすればいいのかまったく考えが思い浮かばない。
体力も反射神経も強化されている転移者である彼女には、森の猛獣はさほど恐怖ではなく、さらに 森の木々には、りんごや、バナナの様な木の実が豊富になっているので、生きていく分には問題は無い。
ただ、無為に日々を過ごしていく。
元々、坂野紀子はそれ程、必死になって窮地を乗り切るタイプではない。
セミロングの黒い癖の無い髪、派手ではないがすっきりとした目鼻立ち、温和でおとなしい性格。
勉強はそこそこ得意だったので、比較的良い高校から、比較的良い大学へと進学して、比較的良い会社にも就職した。
ファッションや流行には普通に興味があるものの、特別な趣味がある訳でない。
お金を溜めて、年に一度、学生時代の友達と海外に旅行に行くのが人生の中で最大の楽しみである。ちなみに今年の旅行はグアムだった。
今まで、人と本気で争うことなど一度も無い、ごく平凡で静かな人生を送っていたのだ。
そんな、彼女の今まで持っている常識や知識のうちでは、この今の状況を打破する案など浮かんでくるはずも無い。
ただ、ただ、無為に、なんとなく日々を過ごしていく。
そんな、彼女の状況を変化させたのは、偶然の出会いだった。
ぎゃぁあああああ
何処からか、悲鳴が聞こえてきたのだ。
その悲鳴に、彼女はビクッと、体を震わせる。
何処から、誰の悲鳴が聞こえてきたのか解らない。
さらに、どう行動していいのかも解らない。
逃げるべきなのか、悲鳴を発した者を、探しにいくべきなのか。結局何も判断できず、ただオロオロとする。
「たすけてくれぇ!」「ああああ!」「駄目だ、一旦、逃げるぞ!」
更に声が聞こえてくる。しかもその声を発している者達はこちらに近づいてきているのが解った。
不意に目の前に、森の奥から、冒険者風な格好をした4人組が現れた。
屈強な男、赤毛の女性、ローブを着た人物、金髪の青年。
皆、体中に大きな傷を負い、血を流している。
特に金髪の青年の傷は酷く、屈強な男に肩をかしてもらいかろうじて立ってはいるものの、息は絶え絶えで、今にも絶命しそうな状態だった。
「そこな娘! すまぬが、回復薬を持っていたら分けてくれないか?!」
屈強な男が、唸るような声で、そう言ってくる。
だが、彼女は、まともに答えることなどできない。
え?! なに?! この人たちの格好?! なんなの?!
そんな思いがわきあがり、ただただ混乱する。
この異世界の人々と見るのも初めてで、その格好に対してすら、驚いている。
まったく重要でない所に驚き、混乱して、有意義な答えなど出せるはずが無い。
もちろん、いきなり回復薬などと言われて、反応できるはずが無かった。
「ちくしょう! まだ、追ってくるよ!」
赤毛の女性が、叫んだ。
「私が、足止めするから! 皆、逃げろ!」
両手の剣を構え、後方を睨みつける。
坂野紀子が、その声につられて後方に目をやる。
その視線の先には、例の熊のような猛獣を見えた。
そしてその猛獣の姿を見て、やっと彼女は"死にたくない"と強烈に感じた思いを取り戻し、心の中のどこかに、火が灯った。
私が逃げるだけなら、難なく逃げられる。
でも、この怪我してる人達が危ないわ。
なんとかしないと!
そんな思いが、彼女を叫ばした。
『完全回復!』
彼女の手から発せられた光が、息も絶え絶えだった金色の青年の傷が、ほんの一瞬で回復させる。
「傷が治って、更に体力、魔力さえも復活すれば、こんな角持ち熊くらい、楽勝だ!」
回復した金髪の青年が、にこやかに微笑みながらそう言ってから、熊に向けて手をかざして、更に叫ぶ。
『破壊光弾!』
かざした手から、まばゆいばかりの光弾が発射され、猛獣を粉々に打ち砕いたのだった。
……
「行くあてが無いなら、よかったら、一緒にこないか」
熊を退治した後に、金髪の青年にそう誘われた。
本当にまったく行くあての無い坂野紀子は、その誘いにすぐに首を縦にふり、あっさりと冒険者達と共に旅をすることが決まったのだった。
坂野紀子と冒険者達は、数日の旅の後に、ある街へとたどり着く。
城壁に囲まれた地方都市。そこは、冒険者達が活動の拠点にしている街だ。
そこで、彼女は、森の中でずっと考えていた事を実行することにした。
「私の力。本当は他の『転移者』と戦う為に使う力だと思うんです。
でも、今までずっと考えてて、戦うよりも、皆のために使ったほうが絶対に役立つと思ったんです。
だから、皆さんの為に、使いたいんです」
そう言って、その街で、特殊スキル『完全回復』を使って、次々と人々を救っていったのだ。
『完全回復』のスキルは、死んでしまった者を生き返らすことはできなかったが、僅かでも息があれば、完全な状態まで回復できる。さらに難病を治す事も、可能だった。
彼女が、歩けなかった子供に手をかざし、光をあてる。それだけで、子供は歩けるようになった。子供は満面の笑顔で部屋の中を歩き回り、子供の母親は喜びで号泣しながら子供を抱きしめながら、彼女に感謝する。
もう、余命幾ばくも無い難病に冒された女性に手をかざし、光を当てる。それだけで、女性の顔色はみるみる良くなり、難病が治る。女性の家族達は、彼女の手を取り"有難う有難う"と、礼を言い続ける。
事故で片手を失った猟師のに手をかざし、光を当てる。それだけで、失った片手が生えてくる。
猟師は自分の妻や子供を抱きしめながら、静かに感謝の意を示してくる。
スキルは無限に使える訳では無いので、一日に救える人の数は、それなりに限られていた。
更に、街の者だけでなく噂を聞きつけた近隣の者達も集まってくるようになり 彼女が泊まる宿の前には、連日、長い長い人の行列が出来ている。
彼女のスキルによる治療は無料だったが、殆どの者が、今まで溜めていたなけなしの金や、金の無い者は自分の畑で取れた食べ物や、造ったお酒などを手に持って来てくれた。
そして、坂野紀子は、いつの間にか、この街でまるで女神のように、崇められる存在となっていったのだった。
"おしゃべり" それは、女性にとって人生最大の娯楽かも知れない。
街の人からは、まるで女神のようだと崇められた坂野紀子だが、中身はいたって普通の女性である。
そんな彼女は、他の一般的な女性と同じく、"おしゃべり"と言う物が大変好きであった。
宿で夜になると、冒険者達と食事したりお酒を飲んだりしながら、自分の事を色々と語って聞かせていた。
『転移者』の事、元の世界の事、過去の自分の事、そして、これからどうして良いのかわからない事。
好奇心の強い冒険者達は、物珍しさでその話をよく聞いてくれていた。
ある晩。
いつものように、冒険者達とおしゃべりをしているときに、不意に、金髪の青年が坂野紀子の目を正面から覗き込みながらつぶやいた。
「紀子は、すごいな。
街の人を無償で救おうと考えるなんて。普通の人は、そんな事を考えても、なかなか実行しないものだよ。
紀子はやっぱり、異世界から来た女神なんじゃないか?」
坂野紀子は、手を振って、あわてて否定する。
「そ、そんな女神なんて、そんな事無いです。全然無いです」
私なんて、本当に普通のひとですよ。
この異世界に来る前の私の人生なんて、本当にずっとずっとずっと平凡だったんですから。
今が、一番充実している感じですよ。
スキルで、街の人々を救うことができて……、みんなに感謝されて……、
本当に、今は充実しています」
それから、目を伏せて、呟くように言葉を続けた。
「できれば、ずっと……、
ずっと、このまま、こうして生きていけたらいいんですけどね……」
その言葉は、彼女の紛れも無い本音だった。
しかし、『転移者』は他の転移者を殺さないと、生き残ることが出来ないという、非情な現実がある。
だが、どう考えても、自分の特殊スキル『完全回復』で、他の転移者との熾烈な生存競争に生き残れるとは思えない。
色々と思考を巡らせていたが、どうやっても他の転移者に打ち勝つ方法が、思いつかない。
そして、それは、三ヵ月後の"死"を意味しているのだ
「大丈夫だ、安心してくれ。君は街の人たちを救ってくれた。
今度は、僕が、君を守る」
金髪の青年は、そう言いながら、そっと坂野紀子の手を握る。
更に青年の蒼い瞳が、正面から彼女の瞳を覗き込んできた。
蒼い目に正面から覗き込まれた、紀子は、ちょっと内心で、ドキリとする。
普段から冒険者達は皆、自分の話に耳を傾けて聞いてくれるが、特に金髪の青年は、熱心に聞いてくれている。
そして、最近は、熱心に話を聞きながら彼女を見つめる金髪の青年のその瞳に、好奇心以上のさらに強い思いが宿っていることに、紀子も気がついていた。
思わず、自分の胸も高まる。
「もちろん、俺達も、あんたを守るぜ」
屈強な男が、その横でニヤリと笑いながら言う。
「私のおじいちゃんの病気も助けてもらったしね。もちろん、あたしも、貴方を守らせてもらうわよ」
赤毛の女性も、苦笑しつつ言う。
「…………」
ローブを着た老人は、何も言わずに、親指を挙げてみせた。
「み、みんな有難う」
彼女は、嬉しさのあまり、思わず涙がこぼれる。一度流れ始めた涙は、自分の意思ではまったく止めることができなかった。次々と涙が溢れてくる。
嬉しくて泣くなんて……、何年ぶりだろう。
そんな事を思いながら、坂野紀子は、遠慮なく泣き続けたのだった。