初めての買い物の話。
続き物ですよ
ユーリスはその日、追っ手の目を誤魔化すために女物の服を着ていた。
凄絶に整った美貌に、髪の毛が膝丈ほどもあるユーリスは、どこからどう見ても女にしか見えなかった。
つまり、美貌の少女に自分の髪と引き換えに宝石を売ってくれとしきりにせがまれ、宝石店店主はとても困っていたのだ。
確かに少女の髪はそれはそれは綺麗な真珠色をしていて、グリーンやピンクの輝きを放ち、大層見事なものだった。
店主はこんな美しい髪を、今までに一度も見たことがなかった。
長さもあるこの髪でかつらを作ったら、さぞ宝石なんかよりも高く売れることは間違いなかった。
最近ではかつらもファッションの一部として受け入れられているからだ。
きっと高貴な方が買ってくれるだろう。
そうしたら宝石店としての新たな顧客も増えるかもしれない。
そんな下心が湧いて出た。
いやしかしだ。
少女の髪はきちんと手入れされた髪だ。
身なりも旅装だが、そう悪いものではない。
恐らく世話をする人間がいる階級の少女だ。
勝手に髪を切ることは許されないはずだ。
はずなのだが。
「ねえ、いいよね? このネックレス、どうしても欲しいのだけど、この髪と交換できないかな。それともこの髪にそれほどの価値はないのかな」
「いや、そんな美しい髪を切るなんて言っちゃいけないよ。もちろん、その髪さえあればこのネックレスがいくつでも買えるだろうさ」
店主は冷や汗をかきながら答えた。
髪は欲しい。だが、麗しい少女に髪を切らせるなんてことはさせたくなかった。
だから迂闊だったという他ない。
ジュエリーケースに結ぶリボンを切るためのハサミが、そこに置いてあったことは。
「だったらはい、これ。これで買えるだけの宝石をちょうだい」
あっという間の早業だった。
いつからそのハサミに目をつけていたのか。
気づいた時には長く編まれていた三つ編みが根元から切り落とされ、店主の手の中にあった。
呆然とする。
しかし、髪はもう切られてしまった。
店主が好きなのを持って行っていいよと言おうとした、その時。
カララン。
ドアベルが軽やかな音を鳴らした。
入ってきたのはどこにでもいそうな茶色の髪をした、少し背の高い男だった。剣を左の腰に差している。あまり宝石店に用のある人間には思えなかったが、主人のお使いか、はたまたこの少女の護衛だろうか。答えははたして。
「リリィさま、勝手にいなくならないでくださ……」
やはり知り合いだったようだが、言葉は途中で消えた。その男の目は少女の髪を凝視している。
「なっ、なんてことを……」
男はそっと少女の髪を撫でた。
男の顔は青ざめている。
「アレクセイ様に知られたら、私殺されますよ……。どうして髪を切ってしまったんですか」
「これ、ほしかったけどお金なかったから」
ユーリスが指差したのは、大きなピンクの宝石が付いたネックレス。
「これですか? アクセサリーなんていくらでも持っているでしょう」
男は額に手を当てて呆れている。
「この石は持ってないよ。ほら中に花が咲いているように見える」
ユーリスはネックレスを持ち上げてその男、サイに見せた。
サイはため息を一つ吐いて。
「店主、このネックレスはおいくらですか」
その代わり髪は返していただきますよ、と店主の手に乗っていた三つ編みを問答無用で取り上げた。
***
「まさか、たかが宝石一つのために髪を切るとは」
「宝石を馬鹿にしたら許さないよ」
「馬鹿にしてるのは、宝石ではなくあなたの頭です」
二人は店を出て、通りを歩いていた。
「その髪どうするの」
サイは取り戻したユーリスの髪を、袋に入れて持っていた。
「かつらにします。いつか国に帰るとき、その髪では困るでしょう」
かつらで誤魔化せればいいんですけどね、とサイは小さく付け加える。
「僕は別に困らないよ。頭が軽くなって精々した気分だ」
「私が困るんです。というより、もしかしてそもそも髪を切りたかったんですか」
「昨日の夜に髪を洗うのが大変だったし、朝も三つ編みにするのが大変だった」
「昨日……俺が洗えばよかったのか……」
そんなことで、という顔でサイが呻く。
ユーリスはちょっと意趣返しができたようで愉快だった。
「いや、寮に入れば俺がやるわけにいかないから、自分でやらせることも必要だと思ったんだし……」
サイはまだぶつぶつと言っていた。よほどユーリスが髪を切ったことがショックだったらしい。
「これからも自分で洗わないといけないから、切った」
「そうですけど、そうではなくてですね。ああ、もういいです。もう二度と切らないでくださいね」
「えっ、いやだよ。伸びたら切る」
ユーリスは心底心外だと顔をした。
「国では短い髪の人なんていなかったでしょう」
「いたよ」
「誰ですか?」
「誰かわからないけど、窓を拭いてる男の人だった」
「ああ、なるほど。確かに身分の低い人の中には短く切ってしまう人もいますね。でもあなたには許されませんので、絶対にこれからは切らないと約束して下さい」
いいですか、とサイは念を押した。
サイの笑顔が怖かったのでユーリスはしぶしぶ頷いた。
だが、いつ国に帰れるのかも、そもそも帰国が許されるのかも分からない現状で、髪の長さなどどうでもいいことのように思えた。
それに、ダンジョンで冒険するなら、髪の重さで頭を振り回されるなんてことは良くないし……
黙ってしまったユーリスを見てサイは、少し言い過ぎたかもしれないと考えていた。
「そうだ、お昼ご飯を買いましょう。何が食べたいですか」
「……肉?」
「いいですね。この辺りは牧畜が盛んですし」
ニコニコしているが、いまいち信頼できないこの男を、ユーリスは横目でちらりと睨んだ。
つづくよ!