第54話 天使になりたい
「そう言えば摂理。」
「なんですか遥さん。」
「前に言っていたアイリーンとやらについて説明してくれるかな。」
「……意外です。」
「何処がかな?」
「遥さんが他人に興味を持つなんて。
そんな叙情的な興味を持つ方だとは。」
「特殊な天使であることや、
彼女が作りだしたモンスターに少し興味がある。
随分と有用そうだからね。」
「…そんな事だろうと思いました。」
「遥さんが興味が無い部分からお話ししますが、
其処はご容赦を。
彼女の生涯は決して幸せなものでは無かったと思います。
私も、全てを知るわけではありませんが、
母は、彼女が幼い時に死に、
それから元々酒狂いだった父親を止める者が無くなり、
一家の稼ぎ手は働かずに酒ばかりを飲むようになりました。
それでは当然お金も尽きます。
そして金に困った父親はこともあろうに、
知り合いの男たちに彼女を貸し出しました。
…詳しい事はお察しください、そういうことです。
そんな中私は彼女に出会いました。
私も少し特殊な在り方で、その事も絡んできます。
私はその時は遥さんに出荷される前に試験運用中で、
まだ感情等を調整中でしたが、
彼女は自分自身がそのような状況の中、
私に縋るわけでもなく、
私を妬むわけでもなく、
優しくしてくれました。
ただ、一度だけ、自分も天使に生まれていればと入っていました。
その時はまだ父親を信じているとも言っていました。
天使の時間と人間の時間、
迷宮や世界に組する場所の時間とそうでない所の時間は違います。
彼女に久しぶりに遭った時には、
彼女は随分と大人になっていました。
彼女が憎むお酒と色欲を用いて、
彼女が嫌悪する男たちから、
彼女を苦しめることになったお金を巻き上げる。
一言で言うと娼婦になっていました。
その時には父親の事を悪しざまに言っていましたが、
それでも見捨てなかったところは彼女に憎みながらも愛情があったということなのだと思います。
ですが、その次の日、
客の一人が激情して彼女の家を訪ねてきました。
明らかに様子がおかしかったようです。
ですが、玄関に立って対応した父親はお金を貰うと、
部屋にいる彼女の所へ通したようです。
その日は客と会うつもりは無いと言っていたらしいのです。
恐らく私に逢う前に汚れをしたくは無かったのでしょう。
私が訪ねた時に、彼女は、血塗れでした。
父親はすぐ隣の部屋で酒を飲みながら娘の悲鳴を聞きつつも動こうともしなかったようです。
最低の男です。
私は彼女を助けようとしましたが、
彼女は断りました。
無理だと思ったのだけではなく、
行きたいという執念も無かったのでしょう。
私も、天使だったらよかったのにね。
それが彼女の最期の言葉でした。
私はそれに応えようと、
私の天使の存在力をもって彼女を天使に作り替えました。
完全ではなかったようですが、
彼女はようやく、天使になりました。
彼女は補助者を持たない迷宮主の所へ配属になりました。
ですが、その迷宮主も最低の男でした。
ポイントで酒を呼び出し、彼女の気持ちを無視し、
何度も命令で身体を求める。
けれども悲しいことに其れになれすぎていた彼女はそれを受け入れました。
…結局、その迷宮主は破産し、
彼女がその代行として代わることになりました。
そのころ、前の私の存在に限界が来ていました。
彼女に譲渡した天使としての存在が欠けたことが遂に決壊したのです。
それでも、元の材料が良かったのでしょうけれど、
かつては上位天使長の権限にまで至った私の存在は惜しかったのか、
私程のものが必要になったのかはわかりませんが、
世界は新たなる知識と器を持って新たな迷宮主に宛がいました。
それが―――」
「それが僕だというわけか。」
「あの借金取りを覚えていますか。」
「一応ね。」
「元は私の部下です。
補助者ではなく広域神明執行者であった頃の私の部下だった男でした。
真面目な青年で、私に想いを寄せていたこともありました。
ですから借金取りの係を当てられたのを知った時は驚いたものです。」
「……天使としての摂理の価値は少し理解できたよ。
それほどの天使をなぜ一迷宮の補助者に?」
「所詮は造り直しというのもありますけど、
一番はそれが必要となるだけの魔王がいるからです。
姫宮遥の無意識をこの場所に呼び込むだけの価値があると思わせるには、
それなりの条件が必要でした。
強いモンスターを呼び出すのに多くのポイントがいるのに似ています。
加えて、詰まらない下僕では遥さん自身への供物として処分され、
対処をより困難にさせる、その可能性もありました。
嘗てそのような行動を取った迷宮主もいたそうです。
その時には私は未生産でしたけど、その対処には、
それなりの規模の天使と罠、そして最大のものではないですが、
大きめの『バグ』の発生も許容されたようです。」
「…で、その迷宮主は?」
「それは、教えられてはいません。」
そうか、なかなか面白そうな狂人だと思うのだけれどね。
「簡単にまとめると、あの緑袖乃霞娼婦を作れたのは、
摂理が渡した天使の業だということだよね。」
「…随分と工業的な主観の要点ですね。
戦力的な価値を求める遥さんらしいと言えばそれもそうですが。
…厳密には彼女の中で崩れた私の力が、
彼女の意思の元再構成された彼女の力です。
…私に同じことをしろというのは難しいかと。
ご期待に沿えずすみません。」
できないのなら仕方がない。
「それならそれでいい。
それなら手元の卵を戦力に出来るように努力してくれればいいさ。
摂理の力が何かしらの御利益があることを期待するよ。」
「私がこの卵に与えられるのは精々愛情ぐらいです。」
「それでもいいさ。」
愛情も戦力になるのなら問題は何処にも無い。