終章 ~押す神~
「それがダメ押しになったんだ……」
ボクがそう言うと、羽佐間は頷く。
「そうみたいやな。それまで、自分が殺した。自分が、兄さん見殺しにしたと思うてたんや。そしたら、目のまえに根本の原因が現れてもうた」
「復讐って甘美だものね……」
ボクはそう言うと目の前の箱を見つめた。
彼は狂おしい程に、自分の罪悪感に苦しんでいた。
兄を見殺しにし、家を失い、両親も離婚して、いじめに遭って、北海道まで逃げだした。
何故、今さら戻って来たのだろう。
大学に入学したからとはいえ、どうしてあの地に戻って来たのだろう。
あんな辛い思い出のある場所に何故。
ボクにはそれは判らない。解りたくもない。
あるのは事実だけ。
「まさか、こんな事になるとはね……」
「自分には判ってたんやないか? 二人から話しを聞いた自分には――」
羽佐間が問いかける事にボクは、何のことかと問いかけた。
「カウンセリングの時や。アイツの次は春喜やった。似たような話を続けて聞けば、流石に感づくやろ」
ボクはそうねと答えた。
そう知っていた。でも、それでもボクは敢えてそれを秘密とした。
秘密として隠す事にした。
爾来屋斎寧として。
今生の罪と苦しみを、秘密として自分に封じこむ。
それが爾来屋斎寧としてのボクの仕事なのだから。
でも……。
「なら、あの時何故聞いた? もう、一度聞いてた事やろ? なんであの時、あの場でもう一度聞く必要があったんや?」
「それは、ボクがこの人を狂おしい程に愛してたからよ……」
ボクは少しの沈黙の後にそう答える。
カウンセリングの時に春喜が告白したのは、爾来屋斎寧としての自分だ。
それはボクにとって少し悔しいものだった。
だって、愛する人の秘密を、恋人の自分が知らないのは悔しいでしょう。
「あの時、彼が起きているだなんて知らなかった。だから、聞きたかったの、爾来屋でなく、ボクとして春喜さんの秘密を、罪を、苦しみを……。春喜さんの口からね」
だが、その所為で結果は悲劇になった。
「まさかこんな事になるとはね。まるであの時の押し花みたいじゃない。あのビリビリに破れた……」
ボクはそう言って箱をさすった。
「ボクは、彼を許さない……」
「自分にもこうなった原因はあるんや、それでもアイツを憎むんかい?」
「当たり前でしょう……だって彼は、ボクの愛おしかった人を二度も殺しているのよ」
ボクがそう言うと、羽佐間は意外そうな顔をした。
「二度も?」
「そう。ボクね、中学三年の時に好きだった人がいたんだ。家庭教師をしてくれていた人で、名前を御厨雪彦って言うの――」
雪彦さんは素敵な人だった。勉強を教えるのは上手だし、とても優しい。
そして学校の男子共とは違って、大人だった。
雪彦さんはボクの事を愛称で呼んでいた。
名前の最初の文字の読み方を変えて“なっちゃん”と……。
そしてよく話してくれた。
ボクと同じぐらいの弟がいると、喋り方がボクによく似ていると言っていた。
そう、だからボクは知っていた。
彼の本名を。両親が離婚した後の母親の旧姓でなく。
逃げだす前の本名を。
「貴方も聞いたんでしょう? 彼は雪彦さんを見殺しにして逃げだしたのよ」
彼は、ボクの愛する人を見殺しにして逃げだしたのだ。
「それでアイツを恨むんはお門違いやないか? アイツでもどうもできん状況だったんや。それにその根本の原因は春喜に有る。恨むんなら春喜の方やないか……」
「えぇ、そうね。でもボクは春喜さんを許したかった。だって好きだったんだもの。愛していたんだもの。春喜さんが爾来屋でなく、ボクとして罪を告白してくれたのなら、ボクは春喜さんを許すつもりだった。そして春喜さんは話してくれた。だから彼の事も許してあげるつもりだったの」
しかし、彼はそんな春喜を殺した。
背中を押して、やってきた電車の下敷きにした。
「ボクは許そうとしていたのに。彼は自分の我儘を、復讐を押し通したのよ。なのに、何故ボクが彼を許さなきゃいけないの? ボクの愛おしい人を二度も殺した、あの――」
浅間冬二を――。
「ボクは彼を、浅間君を許さない――愛する人二度も殺して、そして逃げた彼を許さない――」
ボクがそう言うと、死体安置所の中で声は反響した。
この小さな部屋にはボクしかいない。ボク一人しかいない。
羽佐間は人では無いのだし、この箱の中、かつて愛した春喜だったモノももうただの肉片でしかない。
まるで独り言だ。
しかし決意は固い。
ボクは彼を許さない。
例え、雪彦さんが予定外に家に帰った理由がボクにあったとしても。
春喜さんがあの場で罪を告白したのが、ボクの所為だったとしても。
責任転嫁だ。
ボクは全てを浅間君の所為にしようとしている。
でもボクは、野々宮夏乃の中では、全てが浅間君の所為で押し通すことに決めた。
だから、ボクは彼を許しはしない。
「それでお前はいつからウチが見えてたんや?」
羽佐間は話しを変えて来た。
「貴方が、浅間君の背中を押した時よ。まるでそれに押されたように浅間君が春喜さんを押すから、最初は貴方の所為だと思ったもの。
貴方が押した所為で春喜さんが死んだのだとね。でも貴方は他の誰にも見えなかった。
声も聞こえないし、触れも出来ない。
それに浅間君が逃げ出した後もその場で立ち尽くしていた。
だから声をかけたのよ」
全てを知っていそうだったから――。
羽佐間は少し寂しそうだった。
春喜を押し、騒然となる中、羽佐間は一人ホームを逃げ出す浅間の後姿を、ずっと見続けていた。
そして、言ったのだ。
『人間のやることは、しょうもないもんばっかりやなぁ――』
と――。
「それで? 許さない言うんはええけど自分どないする気や?」
ボクは羽佐間にそう言われて時間を確認した。
もうそろそろ、春喜の家族が駆けつけてくるだろう。
ボクは死体安置所の廊下へと近づいて行く。
「浅間君を探すわ。どうやらまだ逃げ回ってるみたいだしね。絶対に許さないから――」
ボクはドアノブに手をかけると、ドアを開きながらこれからの事を考えた。
まず何か凶器を手に入れなけらばならない。
確実に人を殺せるようなものを。
それから浅間を探さなければならない。
ボクが発見するまで、警察には捕まってほしくない。
だって、そうしたら殺せなくなってしまう。
死ぬ所が見れなくなってしまう――。
「殺す気か――?」
羽佐間に聞かれて当然と答える。続けて羽佐間が再び問う。
「それは恋人を殺された、野々宮夏乃としてか? それとも死を好む、爾来屋斎寧としてなのか?」
それは判らなかった。
それに自分が本当に“彼”を殺せるかも解らなかった。
だって、人を殺すのは初めてなのだから――。
扉を開くと、ボクは振り向いた。
そこには男が立っている。
黒い蝶の紋の入った青い振袖に帯は桜模様の入った薄紅色。
髪は肩で揃えられた小柄な美青年。
変な関西弁で喋るが、ボク以外その姿を見る事も、声を聞くことも出来ない神様。
“人の背中を押す神”
「もし彼を見つけた時、ボクが揺らいだり迷ったりしたら――」
“その時は、ボクの背中を押してね”
ボクはそう、神様にお願いをした。
―― 了 ――




