9.人は見かけによらない3
「それで、どうして窓から入ってきたんですか?」
クリームの正体が美少女メイド(その前職は泥棒で、現マフィアの幹部)であることがわかり、ようやく落ち着いた俺は、なぜ彼女が窓から侵入したのかについて質問した。
「ノリですわ」
「え?」
「冗談ですわ」
一瞬、無い目が点になった俺であったが、クリーム・ライトニング女史の言い訳は以下のような内容だった。
大恩あるハルバランド家当主の汚名返上のため、変装(もはや変身)してサソリの心臓に侵入し、組織と第四王子派の繋がりを探っていたクリーム。
ジュンとアルティシアは真正面から、クリームは裏から組織を探っていたわけだが、黙って出奔したクリームが今更名乗り出る訳にもいかず、どうにか対戦カードを操作したりと陰ながら姉弟に危害が及ばないようにすることしかできない自分に歯噛みしていた。しかし、姉弟の調査がようやく実を結びかけたとき、ジュンが大けがを負ってしまった。
伝手からその怪我がもとで、ジュンがこの世を去ったと聞かされたクリームは、いよいよ自分がアルティシアを守らねばと決心していた。
そんな折、マタジロウを見事に屈服させたアルティシアに、ボスからお呼びがかかった。
もちろん、女の身で魔法も使わずに戦鬼を制した実力を買われたわけではなかった。王国騎士の家系であるハルバランドの姉弟が二人とも剣闘士となり、日夜戦いに明け暮れている時点で、叩かれれば埃しか出てこないマフィアのボスとしては、姉弟の目的なぞ気付いて当然。呼び出しは褒賞授与が建前で、本音は口止めまたは口封じであった。
クリームは、必死にアルティシアを恭順させようとしたが、逆に一触即発の空気になってしまい、焦りに焦った。
ボスとアルティシアが初めて臨んだ交渉の場であったが、結果は決裂。徹底抗戦の構えを崩さなかったアルティシアに対して、組織から抹殺指令が下されるのは時間の問題だった。
そこで、クリームは一計を案じた。
パピーはボスの前でハゲ扱いされたことを恨み、組織の若い連中を連れて宿を襲撃に向かう。戦鬼の性質を知っていたクリームは、どうせ若い構成員など連れて行っても宿に入ることすらできはしないと分かっていた。
夜になって構成員を帰宅させたが、腹の虫が治まらないマフィアの幹部パピーは、窓ガラスを叩き破ってアルティシアを襲撃した――。
「――という筋書きですわ」
突然のことで申し訳ございませんと、彼女はぺこりと頭を下げた。
「襲撃の筋書きは分かりましたけど……このあとどうなるんで?」
だからって窓から入ることはなかったのじゃないかとも思うが、襲撃したという演出は、確かに必要だろう。舞台でも、演出は大事だからな。
「マフィアの幹部、パピーはアルティシアとマタジロウに取り押さえられてしまうのですわ。そして、お上に逆らってマフィア家業を続け、第四王子派との繋がりも深いサソリの心臓の実態を知る彼を、第三王子派に引き渡されたくなければ……?」
「アルティシアの要求通り、暗殺者を引き渡せってことかよ。なるほどなぁ」
マタジロウは感心したように頷いていたが、アルティシアは渋い顔だった。
「だがそれでは、クリームが危険では?」
「俺もそう思いますよ。交渉のテーブルに着く前に、全員殺されるなんてことも……」
俺とアルティシアは懸念を示したが、クリームは笑ってそれを否定した。
「すでにサソリの心臓は、名門ハルバランドの令嬢を襲っているのですよ? これに輪をかけて暗殺などを企てて返り討ちにでもあってごらんなさい、第三王子派が、喜んで捕まえにやって来ますわ。それに、わたくしの容姿はどう見てもパピーのものではありませんもの。口封じにパピーを殺そうにも、存在しないハゲなど誰も殺せませんわ」
今の段階では、アルティシアの宿の窓ガラスが割れただけで、その原因がマフィアの襲撃だと明かせる者は、当事者のみ。ここでパピーが姿を消し、アルティシアが口をつぐんでいれば、憲兵は介入することはできない。
マフィアとしては、身内が勝手にやったことにして、パピーを切り捨てる訳にもいかない。彼女がパピーとして潜入していた数年間で知り得た、第四王子派とマフィアは相当太いパイプでつながっているとのことだ。そんな裏情報の塊のようなパピーが第三王子派の手に渡ることを見過ごすことはできず、ことを王城に知られたくもないポルチアーノが、交渉の席に着く可能性は高いだろう。
パピーを暗殺しようにも、そんな人間は最初から存在していないのだ。
確かに、よく考えられてはいる。
「でもクリームさん、組織が交渉の席に着いたとして、人質交換というか、暗殺者と交換になった場合……あなたの命が危ないんじゃないでしょうか」
「ジュンの言う通りだ。クリームがパピーの姿をして組織に戻れば、確実に殺されるだろう」
俺の懸念を、アルティシアがより明確な言葉をもってクリームに伝えると、彼女は笑って答えた。
「嫌ですわね、お二人とも。その場に第三王子派の憲兵か騎士を呼んでおけば、サソリの心臓を一網打尽にできますわ」
これで万事解決ですわぁ! と力強く言ったクリーム・ライトニング女史であったが、アルティシアの視線は冷たかった。
「それでは、クリームも憲兵に捕らえられてしまうではないか……」
「いやそこは、華麗に変装魔法を解けばよろしいではありませんか」
「変装の魔法自体が、バルサザールではご法度だぜ?」
側頭部から汗を一筋流したクリームに、バルサザール出身でもないマタジロウが止めを刺した。
「う~ん……。よい案だと思ったのですが……」
クリームは肩を落とし、もう窓も割ってしまいしたしねぇ、などと言いだした。
「クリーム、気を落とすことはない。窓ガラスは弁償させてもらうとして、お前は身を隠さねば。この時世に未許可のカチコミなんて真似をして、許されるような組織でもあるまい?」
突っ走ってしまったクリームに対し、アルティシアはやさしく声をかけた。全てはハルバランド家のためにと頑張っているのだから、それを彼女が責めないのは当然といえば当然だ。しかしいきなり窓ガラスを割ってきた時点でかなり動揺し、その追求という形でクリームに説明を求めた俺なんかより、アルティシアはよほどできた人間なんだと、俺は感心してしまった。
「マタジロウ、すまないが、女将さんによろしく伝えておいてくれ。私とクリームは、行くところができた」
アルティシアが立ち上がり、頷いたクリームが隣に並んだ。ローテーブルからはお二人の……いや、余計なことを言う雰囲気じゃない。俺は、断じて変態魔剣ではない。
「そりゃかまわねえが……蒸発とかするんじゃねえぞ?」
アルティシアの言に、マタジロウは眉を寄せたが、彼女はクールに笑って答えた。
「ふっ。安心しろ。この件が片付いたら、お前との再戦に応じると約束する」
「わかったぜ。宿のことは、俺に任せな」
「すまないが、頼む。連絡は、二日以内に『ネズミ』の手の者が行くだろう」
「ネズミを使うか……。わかったぜ」
鷹揚に頷くと、マタジロウは棍棒を担いでのしのしと歩いていった。そう言えば、破壊したドアの修理費は誰がもつんだ?
「さて、クリーム。まずはネズミのところへ行こう」
「わかりましたわ」
「なあ、ネズミって誰なんだ?」
訳知り顔のクリームとアルティシアに俺が訊ねると、アルティシアが低い声で答えた。
「ネズミは、情報屋だ。奴にお前が喋る剣だと知れたが最後、国中にお前の存在が知られることとなる。魔剣は、各国が喉から手が出るほど欲しているのだ。ネズミの目があるうちは、絶対に、一言も発するな」
「わ、わかったよ……」
情報屋に行って何をするつもりなのかわからないが、俺はきつく無言の行を言いつけられて、納刀された。
伝わってくる振動と、数秒の浮遊感、そして衝撃。
別に二人とも、窓から飛び出さなくてよかったんじゃないの……?