4.剣闘士アルティシア2
『様』という敬称はよく使うと思う。
手紙やメールの宛名が代表だと勝手に思うけど、他にもたくさん使われているよね。神様、仏様、観音様、お殿様、某アイドル様……例を挙げだしたらキリがない。実はこの様ってやつは、当て字だって知ってた?
様という字は、ありさま、かたちとかを意味している。使い方は様子、有様など。
とにかく当て字だろうがなんだろうが、今夜の俺はもう「アルティシア様~! 素敵~!!」と金切り声を上げて、ブロマイドを張り付けた団扇などのグッズを振り回したくなるくらい、アルティシアに惚れ込んでしまっていた。
『――ファイッ!!』
派手服のおっさんが両腕をクロスさせて、試合開始を宣言した。素早く舞台から飛び退り、実況が始まった。
『まずは両者睨み合い! 闘技場の実力ランキングを五位に落としたとはいえ、未だかつて彼女の柔肌に刃が届いたことはない!! そのアルティシアを前にして、マタジロウは余裕の笑みを浮かべている! ああっと、マタジロウが六本腕を大きく広げて構えた!? いや、違うこれは、なんとノーガード! ノーガードだぁ! どこからでもかかってこいと言わんばかりに顎をしゃくって見せたぁ!! 大胆不敵! 傲岸不遜! さすがは戦鬼ぅぅう!!』
おっさんの盛り上げが尋常じゃない。試合開始十秒で闘技場の熱気は異常なまでに高まった。
不敵なニヤニヤ笑いを浮かべて、アルティシアを見下ろす巨躯のマタジロウは、日本人の俺から見ると、二本角の赤鬼にしか見えない。しかし解説によれば、彼は戦鬼という生き物らしい。
異世界なんだから、およそ人間とは思えない多数の種族が普通に暮らしていたり、モンスターが存在するなんてのは、よくある話だ。だからってあの六本腕は反則だろう。せめて剣は二本まで! とか決めとかないと、どう考えてもアルティシアが不利じゃないか。
アルティシアは、マタジロウの挑発に乗ったりはしないだろうけど、打ち込まれるよりは先手を打った方が有利なのだろうか。大丈夫なのかよと思ったとき、アルティシアが動いた。それに気付いたのは解説のおっさんも同じ。すぐさま木製マイクを握りしめ、怒涛の盛り上げに入った。
『アルティシアが動いた! だが攻めるわけではないようだぞ……? 鞘をベルトから外して舞台の外に放り投げた! そして、ゆっくりと自慢のサーベルを肩に担いだ! 非常にゆっくりとした動作だ! アルティシアを長く見てきたわたくしですが、こんな構えは見たことがない! まだ我々の知らない剣技を見せてくれると言うのかアルティシア! 否が応でも期待が高まっていくぅ!』
おお、すごいぞアルティシア! これはあれだな。油断した戦鬼に一発KOを狙って、すごい威力の大技を放つつもりだな。アルティシアは魔法も使えるみたいだし、これはもしかすると、スプラッターを経験しないで済むかもしれないぞ! 期待が高まっていくぅ!
……おっさんが俺に乗り移った。
『対するマタジロウもまたさすがの胆力! アルティシアの迫力を見て笑顔こそ消したものの、かかってこいと挑発した以上、アルティシアの所作に水を差すような真似はしない! これが戦うために生まれてきた種族の矜持ということかぁ! やるならやってみろ、貴様に俺は倒せないとでも言うかのように! 先ほどよりもやや膝を落として衝撃に備える構えだ!』
会場の熱気もさらに高まっていく。こころなしかアルティシアの応援をしている声に、女子が多い気がする。
『アルティシア動かない! まだか、まだなのかアルティシア! そこまでの溜めを必要とする大技なのか!?』
黙っているとどんどん煽りにかかってくる派手好きのおっさんはいいとして、さすがに目の前の戦鬼がしびれを切らしたように見える。
『アルティシアがついに動いた! だが動いたのはサーベルを持つ右手ではなく、空いた左手だ! 今ゆっくりとそれが水平に上げられた! まさかアルティシア、魔法を使うと言うのか!? この至近距離で戦鬼にダメージを与えるほどの魔法を使えば自身もただでは済まないぞ!? いったい何をするつもりなんだ、教えてくれアルティシアー!』
アルティシアは腕を水平に上げて、掌を戦鬼にではなく、天井に向けた。そしてこう、親指以外の四本の指を、内側に二回曲げ伸ばしした。くいっ、くいっと。
闘技場には静寂が訪れたが、すぐさまおっさんのマイクパフォーマンスがそれを破った。
『なんと! なんとなんとアルティシア! 六本の偃月刀を同時に操る戦士を前にして挑発し返したぁぁぁあ!! 腕力の差は誰の目にも明らか! 手数からして六倍! 体躯は自身の二倍はあろうかという戦鬼に対してこの余裕! なにがかかってこいだ、新参が調子に乗るなとその目が語っているぅ!』
おっさんが解説している通り、アルティシアは余裕の態度で立っている。俺の刀身を右肩にトントンと当てながら、マタジロウが動くのを待っているようだ。
「……ずいぶん余裕だな? お嬢ちゃん」
それを見たマタジロウが、ゴハアと息を吐いてしゃべった。見た目はモンスターだが、人語をしゃべれるようだ。その口調には、多分に怒りが込められていた。
「そう見えるのは、お前が弱いからだ」
対してアルティシアは、さらに挑発するようなことを言った。これでマタジロウがキレて襲い掛かってきたら、俺で偃月刀を受けるつもりなのかい? 心底怖いんですけど?
ちなみに会話が始まったのを、マイクパフォーマンスだとでも思ったのか、解説のおっさんがアルティシアの口元にサッと木製マイクを近づけていた。
……なんとなく、エロい。
「……なんだと?」
マタジロウの額に青筋が浮かんだ。皮膚が赤いから正確には赤筋なんだけど。これは確実に怒ってるサインだよね。
アルティシア様、どうかこれ以上の挑発は慎んでいただけないでしょうか。
「マタジロウ……とか言ったな。お前では、私には勝てない。勝てぬ訳があるのだ」
アルティシア様、もうやめましょう? ね?
「……ふん」
マタジロウが鼻を鳴らした直後、俺はとんでもない衝撃を喰らっていた。
「ういっ!?」
思わず声が出たが、アルティシアのお叱りが飛んでこなかった。代わりに俺の周囲の景色がすさまじいスピードで回転し始めた。回転だけじゃない。前後、上下左右に振り回され、一秒に一回以上のペースで金属音とともに衝撃が襲ってきた。すなわち六本の偃月刀と打ち合っているのだ。不思議と痛くはないことが救いだが、ジェットコースターや回し過ぎたコーヒーカップなど比較にならないスピードで振り回されているこの状況で、俺はある異常に気が付いていた。
俺には、見えていた。
マタジロウが繰り出す斬撃の軌道を知っていたかのように、打ち下ろされる刃をある時は受け、ある時は避けるアルティシアの身体に、偃月刀の刃は届かない。
俺は、その動きの全てが見えていた。
抜身の状態では、俺の視界は広い。鍔元から切っ先まで、かつ表も裏も見えているのだから当然と言えば当然だが、動体視力についてはよかったわけでもない。にもかかわらず、彼らの動きの全てを、俺はきっちりと目で見て、脳で処理していた。
俺が、想像を越えて優れていた自身の動体視力に気付き、ようやく攻防について行けるようになった頃、決着はついた。
左最上腕からの斬撃をアルティシアがサーベルの中ほどで受けたと同時に、迫る右中腕からの斬撃と、左中腕の刺突。アルティシアは先ほど受けた偃月刀を支点にして、バク中の要領でそれらを避けつつ、そうはさせんと繰り出された右最上腕から振り下ろされた偃月刀を、横から蹴って軌道を逸らした。
アルティシアはマタジロウの左上、中腕にロングコートを巻きつけ、今蹴った反動を利用して身体を大きく反らせてそれを脱ぎ去り、そのままマタジロウの左側に着地した。
マタジロウが少々体勢を崩しつつも、左足を軸に身体を回転させて、右の三本で同時に切り付けてきた。三本の偃月刀は、アルティシアの首、腹、腿の高さを水平に迫ってくる。
サーベルの長さなら受けられないことはないが、まず刀身が持たないのではと思った瞬間、アルティシアがマタジロウの腕に巻きつけたコートを思い切り引いた。
もともと左に偏っていたマタジロウの体軸が、さらに左にずらされて、上半身が大きく傾ぐ。しかし体幹の強さは並大抵ではないのだろう。少々スピードダウンし、狙いが上方に逸れたものの、三本の偃月刀は確実にアルティシアに迫っている。
その時アルティシアはすでに、マタジロウの左足に向かってスライディングしていた。偃月刀がその上をブウウンと横切っていったのと同時に、マタジロウの懐に入ったアルティシアのサーベルの切っ先は、彼の喉元に突き付けられていた――。
「……参った」
四本の偃月刀を取り落とし、マタジロウは降参した。
一拍遅れて、闘技場には大歓声が満ちていった。
『なんと、なんと、なんとぉぉ!!! 突如として始まった、息もつかせぬ攻防戦! わたくしですら解説を忘れて見入ってしまうほどの戦いを制したのは、アルティシア・ハルバランドぉお!! 会場の皆さま、ご覧になりましたでしょうか!? まるで竜巻のように荒れ狂う戦鬼の六剣を、華麗に捌いて見せた彼女の剣技を――』
再び解説のおっさんの煽りを無視して、アルティシアは観客の声援に手を振って応えた。そしてマタジロウに近づき、ちょっと迷ってから右の中腕に向かって手を差し伸べた。
「……?」
「すばらしい剣技だった」
敗者に何の用だとふてくされた態度のマタジロウにそれだけ言うと、アルティシアは差し出した手を引っ込めて肩を竦め、すでに外されていた愛用のコートを広い、埃を払って袖を通した。
「あんたも……すばらしい剣技だったぜ」
最後に抜身のサーベルを掲げて歓声に応えて立ち去ろうとするアルティシアの背中に、マタジロウの声がかかった。
アルティシアはそれには答えず、黙って舞台を降りた。
『皆さま、ご覧下さい!! 二人の剣士の間に、今、熱い友情が生まれましたああああ! わたくし、か、感動で涙が――』
何か話すたびに、二人の口元にササッと木製マイクを持ってきていたおっさんの解説と、大きさを増す一方の大歓声を背中に受けながら、アルティシアは会場を後にした。
くぅーっ、かっけーー!
アルティシア様ー! 結婚してー!!
控室に戻ってきた俺は、興奮しっぱなしだった。
「アルティシア様! マジハンパねえっス!! 自分、一生ついて行くっス!!」
「なんなんだ、急に」
「自分、めっちゃ感動したっス! アルティシア様が主人で本当によかったっス!!」
「つい先ほどまでは嫌だと言っていたくせに、なんだその心変わりの様は」
「いやもうさっきまでの自分は忘れてほしいっス! アルティシア様! 結婚してー!!」
「ええーいっ! うるさい! 大声を出すな!」
「……」
床にぽいっと投げられ、踏みつけられてしまった。
おや、眼福タイムの訪れですな。
「今度は急に黙って……ん?」
アルティシアはお互いの立ち位置が、森で語り合った時と酷似していることに気付いたらしい。
「見るな! 変態魔剣!」
またしても耳まで真っ赤になった彼女が素早く俺を拾い上げたが、鞘には仕舞わずにテーブルに置いた。
変態も何も、見える位置と体制を作ったのは俺じゃないからな。
しかし、戦いを経験した興奮とは別の刺激を与えられたおかげか、少し冷静になれた。
俺が、自分の視覚について尋ねようと思ったその時である。控室のドアが乱暴に開けられ、外から黒スーツの男が入ってきた。
「アルティシア・ハルバランド。ボスのところまで来てもらおうか」
黒スーツを着た男は、黒いサングラスをかけ、スキンヘッドだった。眉まで剃っていることと、サングラス、さらに口元を隠す髭のおかげでまったく表情が読めないが、纏う威圧感はなかなかのものだった。
「……早くしろ」
男は有無を言わさないといった口調で催促した。アルティシアは、黙って俺を鞘に納めて、立ち上がった。
視界はゼロになったが、足音で男が部屋を出たのが分かった。アルティシアもそれに続く。
ボスとはまさか、サソリの心臓のボスか!?
俺は、新たな展開にびびりつつも、アルティシアの手に握られていることに不思議な安心感を覚えていた。
俺たちなら、何があっても大丈夫さ!
なんて、俺が言っても説得力ないか……。