12.虎穴に入らずんば
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
小学生のとき、虎穴を「おケツ」に変えて大笑いしたことってあるよね。加えて、虎子を「切れ痔」に変えると意味が通るような気がしてくるけど、そういうアブノーマルなプレイはよくない。
あと、「ずんば」のところが、なんか「るんば」みたいで面白いね。
さて、危険を冒さなければ手に入らないものってのは、確かにある。
馴染みのないところでは海底に沈んだ船からお宝を引き上げるときとか、馴染み深いところで例を挙げればレンタルビデオ店で十八禁コーナーへ足を踏み入れるときなんか、まさにこういう気持ちだろう。実は出ていくときの方が、ばったり他人――時間帯や店舗によっては、魅力的な異性、最悪の場合知人――に出くわしたりして気まずいんだけど。
ちなみに俺が荒れる川に飛び込んで得た人生もとい剣生がそれにあたるかといえば、ちょっと違うような気がする。アルティシアやクリーム、マタジロウとの出会えたことは間違いなく虎子だけど、俺の場合それを得ようと思って虎穴に入ったわけじゃないからな。
とにかく、情報屋で貴重だけど不可解な情報を得たアルティシアと俺たちは、危険な虎が手ぐすね引いて待ち受ける闘技場へ向かっていた。
朝一番でアルグキュアの洋品店で買い物を済ませ、休む間もなく馬車に乗り込み、ガタゴトと揺られることまた半日。日が落ちかけた頃になって、アルティシア一行は闘技場がある町まであと一時間程度の距離で馬車を降りた。訝る御者のおじさんは、倍額で代金を支払うと逆にお礼を言って馬車を走らせて行った。
「……それでは、ちょっと失礼いたしますわ」
ずいぶん昔のことのように思えるが、アルティシアと初めてじっくり会話をした森を少し分け入った辺りで、クリームがごそごそと着替えを始めた。もちろん、俺は敬愛する主人の腰に吊るされたまま、きちんと鞘に納められている。
「…………」
アルティシアがしきりに前後左右に身体を捻って、辺りを警戒していた。町へとつながる街道は南北に一本ずつであり、周辺は当然サソリの心臓によって監視されているだろうと彼女は言っていた。ただでさえ、アルティシアとクリームの美女二人が歩いていれば目立つ。できるだけ穏便に町へと入るためにも、変装が必要だった。
「はぁっ!」
クリームが短く息を吐くと、鞘に強烈な風が叩きつけられた。
「ふむ……さて、アルティシア。ボスのところへ連れて行ってもらおうか」
風が治まると、低く押し殺したような声が発せられた。彼女の変身魔法が発動した時のエフェクトは一度見ているし、そんな低い声を発する喉を持つものに変身した彼女の姿など見たくもない。俺の瞼の裏には、昨晩拝んだ神々しいまでの裸体が焼き付いている。この時ばかりは、抜刀されていなくてよかったと神に――いや俺をこんな姿にした奴に感謝する必要なんてないか。ありがとう、アルティシア様。
「何度見ても驚かされる。変身魔法とはすごいものだな……」
「おほめにあずかりまして、光栄ですわ」
アルティシアが感嘆の溜息を洩らすと、クリームがゴスっぽい口調で答えた。ドスの利いた声でこれをやられると、違和感が半端ない。それを口に出したところで怒られるだけだろうから、俺は黙っていた。
それから二人は、洋品店で購入した服に着替えて変装を完了させ、ゆっくりと街へ向かって歩み始めた。
街に着くまで暇なので、昨晩から始まった弾丸ツアーを経て分かったことと、今後の展望について考えを整理してみよう。
まず、第三王子暗殺未遂事件を引き起こしたのは誰なのか。ヒュッテが個人でそんなことをするとは考えにくく、裏で糸を引く黒幕がいるはずだと俺たちは考えていた。王子の死を望むのはやはり他の王子とその派閥だろうと思われたが、事が発覚した際のダメージの大きさを考えると、慎重派だという第一、第二王子派ではなく、まだ十歳だという第四王子を旗頭に謀略を巡らすという――アルティシアは父親が王城に努める騎士であったためその辺の事情にはある程度詳しい――連中が怪しいのでは、という予測を立てた。
第四王子派とつながりが深いという意味で真っ先に頭に浮かぶのはサソリの心臓の名前だ。
クリームことパピーが独断で行ったアルティシアへの報復は失敗に終わった。これはすでに、マフィアたちの知るところとなっているだろう。マタジロウとアルティシアが飲んでいる最中に汚い宿「銀ぎつね」を囲んでいたマフィアの構成員の証言でもあれば十分に予測がつく話だからだ。
パピーが姿を消したことと、アルティシアが町を離れたこと(クリーム曰く、マフィアの連中の常套手段として、町から姿を消したものを調べるときはまず御者のところに向かう。彼らを脅せば馬車を使った人の出入りはすぐに分かるそうだ)を関連付けない馬鹿はいない。
アルティシアが剣闘大会に出場しつつ、マフィアの周辺を探っている目的が、父親が投獄される原因となった事件の調査だということもバレているわけだから、パピーを利用して交渉を持ちかけてくるだろうということも、サソリの心臓は予想していることだろう。
パピーは第四王子派の組織とマフィアの繋がりをかなり深いところまで知っているので、サソリの心臓としては、アルティシアが捕らえたパピーを王城に直接連れていき、その辺りのことを証言させられるのは非常にまずい。
表向きは国策に従って解散を宣言しておきながら、裏ではバッチリマフィア家業を続けてきたサソリの心臓との繋がりが明るみに出れば、互いに牽制しあい、隙あらば兄弟を失脚させんと目論んでいる兄たちにとって、もっとも若い第四王子派を叩き潰すかっこうのエサを与えることになる。もちろん、政治に黒い噂はつきものらしいのでただマフィアと結託して利権をむさぼっていた程度のことで王子を一人が失脚するようなことはない。トカゲのしっぽのように、ポルチアーノは切り捨てられるだろう。問題は、パピーの証言だけでなく、第三王子暗殺未遂事件にまで話が及んだ場合だ。
ヒュッテが毒矢を放った人間なら、凶器を提供したのがサソリの心臓だろう、と、アルティシアは踏んでいた。致死毒の製造、所持、販売は全国的に禁止されており、それを王城にいて騎士として活動しながら入手することは困難だ。バルサザールでそれを入手しようと思った場合、サソリの心臓のような裏組織がそれに関与している可能性は非常に高い。また、トカゲのしっぽにされないために、使用された凶器はマフィアのもとで厳重に保管されていると考えられた。
「へっへっへ、アンタレスを売ろうなんて変な気を起こしやがったら、こいつを第三王子殿下に差し出すぞ? ヒュッテの指紋がべったりついた弩を見たら、どんな顔をするだろうなあ?」なんて言っているに違いないのだ。
パピーは第三王子暗殺未遂事件の後に組織に入ったため、その辺りの情報を持っていないが、第四王子派の連中が厳しい尋問にかけられることは必至であり、芋づる式に事態が発覚してしまう可能性もある。とにもかくにも、ポルチアーノは第四王子派とマフィアとの繋がりが暴かれてしまうことだけは、なんとしても阻止してくるだろう。
実際のところは、変身魔法というバルサザールでは違法とされる手段を用いて情報を得たパピーもといクリームが、公的機関の前に出ていって証言することなどできはしない。だがマフィアはパピーの正体を知らないのだ。
恐らく、アルティシアは消される。
誰だってそう考えるだろう。下手に騒がれる前に、口を封じてしまう方が簡単だ。マフィアに属する用心棒の中には、アルティシアの剣――先代のジュン――を叩き折った強者までいるのだから。
そこで、アルティシアは予防線を張った。
アルグキュアへと向かったのは、アルティシアがネズミにパピーが持つ情報をリークしたのでは、と、匂わせるためだった。情報屋は金で動く。例えばマフィアの刺客に囲まれたアルティシアが「私に何かあれば、ネズミに売った情報が第三王子派に届けられることになっている」などと言いだしてしまったら――マフィアがそんな風に考えて、交渉のテーブルについてくれれば重畳だと思っていたところへ、だめもとで持ち掛けてみた情報交換の結果、毒矢を放った人物の名前がわかったのは幸運としか言いようがない。
アルティシアはパピーの引き渡しと情報の秘匿を条件に、凶器を回収しようと考えていた。それが叶ったら凶器をネタにヒュッテから繋がる黒幕――恐らくは第四王子派――と交渉し、父ディオセウスの釈放を要求するという算段だった。
「それにしても、お世辞にも着心地がいいとは言えませんわね」
「騎士団の一兵卒の制服なんてそんなものだ。それよりももう町に入ったんだ。油断するな」
「うむ。では、さっそく闘技場へ向かおうではないか」
「……その前に受付だ」
変装したアルティシアと、青年に変身して騎士団の制服――中学生の制服のように、町の洋品店で販売されている――に身を包んだクリームは、堂々と帰還を果たしていた。向日葵のような髪をもったいなくも黒髪ストレートのヅラで隠し、四角いフレームのサングラスをかけて目元を隠し、口には火をつけていない葉巻を咥え、着慣れないワンピースにトレンチコート姿となった上に、背中にサーベルを隠した状態でいるアルティシアはどう考えても怪しいし目立っていると思われたが、制服姿のクリームのおかげなのか誰に呼び止められるでもなく――絶対近づきたくないだけだと思うけど――道を進んでいった。
剣闘受付で「飛び入り登録」を行うために。
飛び入り登録とは、腕に覚えのあるものが、その日予定されていた試合がキャンセルになったり、予想より早く決着がついてしまった場合などに行われる予備試合に出ることができる特別出場枠のようなものらしい。アルティシアはこれに登録して闘技場内へ入り、さらに変身して別途観覧席のチケットを購入して場内へ進入したクリームと落ち合う手筈となっている。二人はそのままポルチアーノが控える部屋へと突き進み、その場で交渉を始めるつもりなのだ。
「はい、飛び入り登録のご希望ですねーって……アルティシア? どうしたんだ、その恰好は」
剣闘受付窓口に現れた怪しい女剣士――アルティシアの呼び出しに応えて現れたオリバーが、目を丸くしたのも無理はない。現在アルティシアは、これまでとはずいぶん趣の異なる出で立ちをしており、背中に俺を隠しているおかげで妙な感じに背筋を伸ばしていて、カウンター越しに怪しむオリバーに顔を近づけることもできない。
「……なぜ、わかった? いや、もういい。何も言うな」
アルティシアがむっつりと肯定し、何か言おうとしたオリバーに釘を刺した。オリバーに正体がばれても彼女が動じないのは、もしそうなった場合の言い訳もきちんと準備しておいたからだ。
オリバーは「ああ……わかった」と応じた後、以前のようにチェックを受けるつもりだったのか背中の剣に手を伸ばしたアルティシアを「あ、剣はいい」と制した。
「どうした? 次の対戦相手が決まるまで、腕を鈍らせたくないんだ。自分で言うのもなんだが、飛び入りの剣闘士が私だったら、会場も沸くと思うのだが」
「いや、そうかもしれないが……」
「?」
訝るアルティシアにしばらく待つように伝えると、オリバーの足音がカウンターから離れて行った。
「アルティシア、嫌な予感がする」
オリバーのよそよそしい態度がなんとなく気になった俺は、アルティシアに小声で話しかけたが、アルティシアは応えなかった。騎士は剣闘受付に用などないため、クリームは外で待っている。何か異常が在った場合――例えばサソリの心臓の待ち伏せ――すぐに飛び込んでくることになってはいるが。
「待たせたな。アルティシア」
黙したまま待つこと一分ほどで、オリバーが戻ってきた
「たしかにお前の言う通りだ。聞かない方がいいんだろうな。“逮捕状”が出ているような奴の事情なんて」
「なんだと!?」
「「「動くな!!」」」
アルティシアが驚愕の声を上げたのと、周囲から複数の警告が発せられたのはほぼ同時だった。
「アルティシア・ハルバランドだな? 我々は王国騎士団“赤蛇隊”である! 第三王子暗殺未遂の疑いで、貴様を拘束する!」
右側から張りのある声が宣言した。
「な……に?」
愕然としたアルティシアは、背中の俺に手を伸ばすこともなく、拘束された。
お待たせしました!