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魔剣に恋して  作者: セキムラ
第一の主人 アルティシア
12/14

閑話.魔剣も夢を見る 

「御剣くん、てさあ」


 カラン、と音を立てて僅かに汗をかいたグラスと丸氷がぶつかったのは、彼女がそれを艶めく赤いルージュがのった唇に運んだからだ。注がれていたのは悪役(アウト・ロー)の名を冠したバーボン。一杯三千円もする希少価値の高い品を、ゆっくりと飲み下した彼女は燻されたような息を吐いたのち、マスターにお替りを要求した。

 グラスをコルク製のコースターに置いて、言葉の続きを言うでもなく視線だけをマスターの背後に並ぶ数百種の酒瓶へ走らせ、明るめの茶髪をかき上げた吉村さんは、あらわになったうなじを右手で隠すようにしながらカウンターに肘をつくと、俺に流し目を送りながら口を開いた。


「好きな人、いるの」


「ブホッ!」


 そこは、劇団マジョリカ・マジョルカ略してマジョ×2 メンバー御用達のカウンターバー「マノス」だった。明け方四時まで営業しており、オトナの皆さんは稽古の後マノスに集まって演劇について語り合うのが定石なのだ。

 その会には、俺の様な未成年は滅多に誘われない。退廃的な団員が多いマジョ×2 ではあるが、さすがに十七歳の少年を捕まえて朝まで飲ませるようなまねは……たまにしかしなかった。何かとうるさい世の中だしな。


「あーあ。すいませんマスター……いや、大丈夫。服は全然気にしてませんから。もう、吉村さんがいきなり変なこと聞くから……」


「カスミ、でいいわ」


「は?」


 だがその晩は、勝手が違った。

 吉村カスミさん。我がマジョ×2 に多く脚本を書いてくれている奇特なお方で、本職は大企業の社長秘書だとか。ほっそりした身体にぴったりしたグレーのワンピースタイプのスーツを着て、十一センチはあろう黒いピンヒールが定番のスタイルだ。


「淳。吉村さんが生足の時に誘われたら、気を付けろ」とは先日喉の手術をすることになって、惜しまれながらも脱退したベテランの清水さんが俺に残した、演技とは関係なさそうなアドバイスだった。


「それで?」


「はい?」


「いるの? 彼女」


「いやあの、特定の彼女はいないっていいますか……」


 俺が言い淀むと、カスミさんはふぅん、とつまらなそうに言い丸い回転椅子を軋ませてこちらへ体を向けた。そして、これ見よがしに生足を組み替えた。


「あ、そういえば! 団長たち、遅いですねえ!」


 狭い店内にはマスターが氷をトリミングする音しか響いていないのだが、俺は自分の心臓が激しく鼓動するのを聞かれているんじゃないかと思い、必要以上に大きな声で言った。後で集合すると言っていた常連メンバーは、カスミさんが三杯のバーボンを飲み干した今となっても現れなかった。


「あの人たちなら……来ないわ」


「へ?」


「来ないわよ。今夜は、私と二人だけ……。迷惑だったかしら?」


 カスミさんがスマフォを取り出して軽く振り、他のメンバーは来ないということを強調した時に、四杯目のアウト・ローが現れた。彼女は目線を一瞬マスターに送った後に目を伏せた。


「い、いや。迷惑だなんて……とんでもない、です。はい」


 大人の女――世間では何歳からそういうふうに呼ばれるのか知らないが、少なくとも二十八歳は子供じゃないだろう。成人もしていない、ガテン系の現場で働き、毎晩ジャンクフードを食べてコーラを飲んでいる俺からすれば、都会のオフィスで働き、夜な夜な繁華街を飲み歩いているというカスミさんは、大人の女――まるで異世界の住人だった。

 

 なぜカスミさんが、今夜俺をマノスに誘ったのか。後から来ると言っていたメンバーを、さっき取り出したスマフォで連絡して、来ないようにとでも言ったのだろうか。そういえば、俺がトイレに行って戻って来た時、彼女がスマフォをいじっていたな。

 そこは推察の域を出ないし、この場に他のメンバーがいないからと言って別段迷惑ということはない。

 ただ、大人の女と何を話せばいいのかわからない。演劇と脚本の話だろうか。まだ演劇というものを勉強し始めたばかりの俺では、盛り上がらないだろう。

 だいたい、店に入ってから黙って酒を飲み続け、ようやく口を開いたと思ったら「彼女いるの」なわけだから、演劇の話をしたいわけでもないのだろう。


「ふふ……キンチョーしてるの? かわいい」


 カスミさんの手が、俺の太腿に触れた。そこで初めて、俺は自分の身体がガチガチに固まっていることに気づいた。

 このシチュエーションをどう判断すればいいのだ。

 深夜、通常の生活を送っていればまず出逢うことはない二人が、劇団の稽古帰りに薄暗いバーで二人きり。女は程よくというか、何が程よいのかわからないが酒を飲んで頬に赤みが差していて、必要以上に近距離から話しかけてくる。


「そんなに硬くならなくても大丈夫よ……ちょっと、御剣くんと話がしたかっただけだから」


 カスミさんが口元をほころばせると、それに合わせて頬の小さな黒子が動いた。


「そ、そうですか。お、お話し、しましょう」


 我ながら、なんてつまらないセリフを吐いたものだと言ってから後悔した。どもっているし、この後の展開に何も期待できない。


「そうね……。じゃあ、これを見てほしいの」


 案の定というか、カスミさんが軽くため息をついた。それを失望の表れと感じた俺は激しく落ち込んだのだが、彼女が鞄から取り出したA4の紙束を見て先ほどとは別の期待が高まった。


 マジョ×2 のメンバーに、脚本家が見てほしいと言って取り出す紙束の正体は、脚本に決まっている。カスミさんが脚本を書くときに、始めからキャストが決まっていることがある。主人公を、劇団の人メンバーからイマジネートして書いた方がしっくりくるそうだ。それで、団長に許可を取ってから、そのメンバーと打ち合わせをしつつ脚本を作っていくという手法を取り入れていた。


「同じ物語でも、演じる人間が違えば、違う物語になる」とは、カスミさんがロミオとジュリエットのパロディーを作った際に言った言葉だ。役者の人となりを知らずに作った脚本では、必ず演技に無理が生じるというのが彼女の持論だった。

 生の演技を披露する舞台においては、それは猶更顕著に表れる。だから、彼女は脚本を俳優と一緒に作る。そういうやり方を否定する人もいるみたいだけど、彼女も団長も気にしていない。


 そういうわけで、彼女が取り出した紙束の表紙に「断捨離男爵と温故知新な僕」という題字がプリントされているのを目ざとく認めた俺は、小躍りしそうになったのだった。







「――でね。私は、彼の目的は何かって、考えたわけ」


「はあ……」


「だってそうでしょ? 『目的は、断捨離だ』なんて言われたって、全然意味わからないじゃない!」


「ええ……」


 どんどん熱を帯びていくカスミさんのトークに、俺は生返事を繰り返していた。


「人の行動にはね、必ず目的があるの。他人からはどんなに無意味に見えても、ううん。逆にそう見える行動ほど、真意は隠されているものなのよ」


「…………」


「ちょっと御剣くん!? 今寝てたでしょ!?」


「痛っ!?」


 すでにカウンターに突っ伏している俺の意識が飛びそうになったのを、しっかりと見咎めたカスミさんが、俺の腿をぎゅっとつねった。


「君の、一見脇役に過ぎない用務員のお兄さんにだって、男爵の過去に繋がるエピソードが隠されているのよ。彼が密かに思いを寄せている庶務課のポニ子さんにもね。さあ、この役について、もっと突き詰めて考えないと――」







 カスミさんが生足の時には、気を付けよう。俺は彼女の白い太腿を脳裏に焼き付けて、意識を手放した。







「ジュン。起きろ」


「おわあ!?」


 唐突に身体が持ち上げられ、ハスキーな声が俺の名前を呼んだ。


「ずいぶんうなされていたようですけど……大丈夫ですの?」


 続いて、優しいソプラノの持ち主が俺を気遣ってくれた。俺は頭を下にして硬い床に置かれ、足の部分をベッドのマットレスに立て掛けられた。視界は真っ暗で、何も見えない。腕はハニワのようなポージングで固定されており、足はぴんとまっすぐに伸びて、どちらも動かすことができなかった。


「……夢か」


 俺は転生する前の世界の夢を見ていたのだと認識して、低く呟いた。


「剣でも夢を見ることがあるのだな……そんなに悪い夢だったのか?」


 アルティシアが、俺の柄――ちょうど太腿の辺りか――に手を添えて優しい声を出した。夢の内容的には悪夢ではなかったように思う。カスミさんや団員の皆は元気でやっているだろうか。


「お嬢様の太腿に挟まれて、悪夢など見るはずがありませんわよ。ねえ?」


「馬鹿な! 私はそんな寝方はしていない!」


「アルティシアが俺を抱きかかえて寝ていただって!?」


 クリームが悪戯っぽく言うと、俺とアルティシアがほぼ同時に反応した。


「ええ。まるで恋人のように、お二人はしっっかりと――」


「アルティシア――おおっ!?」


 頭頂部――すっぽりと鞘に納められたそこへ、硬質の何かが衝突した。俺は床へ横倒しになって悲鳴を上げ、すわ、踏みつけられると思って身構えたのだが、


「ふん。さっさと闘技場へ向かうぞ!」


 我が女主人はブーツの踵を鳴らして、歩き始めた。


「あれ、アルティシア? 大事な剣を忘れてるよ? おーい」


「ふん。お前などなくとも交渉くらいできる!」


 バタン! と木戸が閉まる音がした。彼女は廊下を足早に歩いていく。


「あらあら、置いていかれてしまいましたわねえ」


 両肩を竦めているに違いないクリーム女史が、愉快そうに言った。あのなあ、どんな寝方をしていたか知らないが、元はといえばあんたが余計なことを言わなきゃこうならなかったんだぞ?


「クリーム……なんか恨みでもあるのか?」


 そんなことございませんわと言って、彼女は俺を携えて部屋を出た。その足取りは軽く、楽しげですらあった。これから俺たちがしようとしていることを考えると、とてもそんな気持ちにはなれないと思うのだが。


 人の行動の裏には、必ず理由がある。ヒュッテがアルティシアの父親を嵌めたことも。俺たちはそれを探るため、再びアンタレスとまみえる。




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