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魔剣に恋して  作者: セキムラ
第一の主人 アルティシア
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1.プロローグ

どーしても¥が揃わないんです……

 こんなはずじゃなかった。


 そんな風に思うことってあるよね。


 信頼してお金を預けた銀行が潰れてしまったり、友達になろうと思って話しかけたのに嫌われてしまうとか、美人になろうと思って整形したのに不評だったり。


 俺の人生どこで狂っちまったのかなあ、なんて思う日は、まだ若造の俺でも結構ある。


 とにかく今日、俺の身に起こったことは、まさしく「こんなはずじゃなかった」と言える出来事だ。




「牛丼特盛、ネギ抜き、つゆ抜きで。あと卵ください」いつもの中盛りではなく特盛をオーダーして、俺はカウンター席に座った。平日深夜かつ三日降り続く大雨のおかげか、客は俺一人だった。


 この牛丼チェーン店では、オーダーから二分以内に商品を提供することを義務付けられているらしい。


 俺が牛丼を作るのに少々手間が増えるオーダーをしても、それは守られているし、いつも店員さんは嫌な顔一つせずに笑顔で商品を提供してくれる。


 だけど今夜の店員さんは、すごく嫌そうな顔でオーダーを受けた。オーダーの復唱もせず「……かしこまりました」とぼそぼそ言うと、調理場に引っ込んでしまった。


 この店舗に週五は通っている俺が、初めて見るオッサンだった。髪の毛に白いものが混じるくらいの年齢の人が、深夜の牛丼チェーン店で、胸に『アルバイト』と明記された名札を付けて働かなきゃいけない状況は、なんとなく可哀想なんて思う。だからって無愛想な対応が許されるわけじゃない。


 俺の両親が生きていたとして、さらに父親が深夜の牛丼屋でバイトをしていたとして、こんなふてくされた態度で接客していると知ったらどんな気持ちになっただろうか。


 俺は産まれてすぐに両親を交通事故で亡くした。


 小学校を卒業するまで育ててくれた親戚の夫婦は、卒業記念に連れて行ってくれた外国で、自爆テロに巻き込まれて亡くなった。


 その後、養護施設のお世話になって中学校を卒業した俺は、そこで知り合ったダチの紹介で、ガテン系の仕事をしつつ、俳優を目指している。


 俺は『マジョリカ・マジョルカ』っていう小さな劇団に所属している。


 団長以外は皆社会人だから、稽古はいつも夜から始まって深夜に終わる。今夜も稽古はハードだったけど、俺は全然疲れを感じなかった。なぜなら、初めて名前のある役を貰えたからだ。


 『断捨離男爵と温故知新な僕』というタイトルで、主人公は、物が捨てられず、変化を恐れる若者だ。彼は、やたらと過去を切り捨てて成り上がって行く男の会社に就職し、そこで切り捨てられたものたちの処理を任される。そこで出会う人や物から、主人公は人生にとって大切なものは何かを見つけていく――そんな物語である。


 名前があると役といっても、脇役もいいとこなのだけれど。それでも俺は嬉しかった。脚本を書いてくれた吉村さんが「このシーンは、最初から御剣君をイメージしてたよ」と言ってくれた時には、涙が出た。


 そんなわけで、細やかなお祝いをと特盛をオーダーしたのだが、かれこれ五分。まだ俺の前にどんぶりは現れない。


「……お待ちどうさまです」


 俺が、仕方なくセルフサービスのお冷をコップに注いでいると、先ほどの不愛想なオッサン店員が、ドンと音を立ててどんぶりを俺の前に置いた。

 

 あのさあ、お冷を注いでるんだから、目の前に急にどんぶり置いたら危ないだろ!? あんたはどうか知らないけど、俺は今日すげー幸せな気持ちでここに牛丼食べに来たんだぜ? そんなことあんたには関係ないし、察しろとか言わないから、せめて気持ちよく食べさせろ!!

 

 なんて言えるわけもなく、俺は仏頂面でコップをダン! と置いた。


「……ちっ」


 すでに調理場に引っ込んでいたおっさんが舌打ちしたのが聞こえた。


 くっそムカつく!!

 

 せっかくのお祝い気分が台無しだ。まあでも、牛丼の味はおっさんが作っても変わらないんだし、気持ちを切り替えて食うぞーっと割り箸を割って、どんぶりを覗き込んだ瞬間、俺は凍り付いた。


「なんだよこれ……」


 今度こそ俺は声に出した。


 特盛のどんぶりは大きい。そこにぺんぺんに詰められた米に、どんぶりから溢れそうなくらいに出汁と醤油、砂糖のバランスが絶妙なつゆで煮込まれた牛バラ肉が盛られている。


 そして、見え隠れどころか、しっかりと存在をアピールしている大量の玉ネギ。


 俺、ネギ抜きって言いましたよね?


 そして、どんぶりの縁まで達するつゆ。


 これじゃあなた、つゆだくじゃないですか。


 そして、あるはずの卵がない。俺がつゆ抜きを選択した最大の理由は、卵にある。


 この牛丼チェーン店は、焼き肉丼も結構な人気だが、牛丼より百五十円も高い。そのためかわからないけれど、フリーで利用できる調味料の中に、焼き肉のたれが置いてある。


 俺は、この焼き肉のたれと溶き卵を牛丼にかけて食らうのが大好きなんだ。つゆだく状態で溶き卵なんて投入したらあなた、溢れちゃうじゃありませんか。


「……」


 だけど俺は、黙って汁べちゃの牛丼に箸を付けた。


 俺は、なるべく我慢して生きてきた。


 育ててくれたおじさんとおばさんの負担にならないように、欲しいものがあってもねだらなかった。鉛筆だって小刀で削れなくなるレベルまで使ったし、消しゴムだって無くしたことはない。


 学校でトラブルがあってはいけないと、できるだけ目立たないように、端の方でちんまり過ごしていた。


 なあ、オッサン。そんな俺が、こんなに怒ってるんだぜ? あんたまさか、わざとやってんじゃないだろうな? ついうっかり、オーダーと真逆の品を作っちゃっただけで、決して俺への嫌がらせってことじゃないんだろ?


 途中からスプーンを使った。あんまり味わわないで食べた。


 早く帰ろう。


 そう思って席を立つと、オッサンがレジに向かっていた。

 

 足でリズムをとっている。


 店内には有線か何かで、GTDゴタンダ480という、史上類を見ない大型女性ユニットが歌う『こんにちはバタフライ』というポップスが流れている。オッサンこれ好きなのか。


 おや、腕を組んで、下になった右手の人差指で二の腕をとんとんし始めた。ノリノリだな。


 違うな。あれは「早くしろ」って思っている人がよくやる動きだ。


 くっそムカつく!!!!


 よほどクレームでもつけてやろうかと思ったけれど、もうこのおっさんと関わりたくないので、さっさとお金を払って帰ろう。そう思って請求書を手に取って値段を見た。


ギュウドン特×1 ¥780

タマゴ×1    ¥50

小計       ¥830

外税計      ¥66

合計       ¥896


「すみません。卵が入ってますけど……?」


 俺は、怒りを押し殺して言った。料理が運ばれて来た時点で言わなかった俺もよくない。提供されたものを黙って食ったのだ。ネギだくつゆだくの件は目をつぶります。


 だから、食ってないもののお金まで取るのは勘弁してください。


「はあ?」


 こういう時にどう対応するかとか、マニュアルに書いてないの?少なくとも「はあ?」って言うのはダメだろ。店員だからとかの前に人として。


「いやだから、卵持ってきてくれなかったんで」


「はあ、そうですか」


 オッサンの口調にも態度にも、口から臭い息とともに吐かれた言葉にすら、まったく反省の色ってものが伺えなかった。


 俺はあのとき、よく我慢したと思うよ。俺のダチだったら絶対キレてるね。オッサン、命拾いしたな。


 その後、卵代を引いた金額を支払って、俺は店を出た。


「ありがとうございました」と言ってくれたのは自動ドアの上に設置された赤外線センサー付きのスピーカーだ。


「……こんなはずじゃなかったのになあ」


 俺は土砂降りの雨の中を、ビニール傘を開いてノロノロと歩いた。


 牛丼屋からアパートまでは川沿いを歩いて五分くらいだ。川沿いには桜の木がたくさん植えられている。春にはお花見客でにぎわうし、お祭りなんかも開かれる。俺は、この町が好きだ。


 俺は、斜めに掛けた鞄の上から台本を握りしめた。


 牛丼屋ではやな思いをしたけれど、ようやく役がもらえたことの喜びが再び仁割と俺の心を満たしていった。これでポスターに名前を載せてもらえる。いつもなら、帰ったらシャワーを浴びてすぐ寝てしまう。このまま雨だと、どうせ現場の仕事は休みだ。台本を読みだしたらきっと寝れないだろう。


「……怖いな」


 アパートまでもう少し。


 俺は川にかかる石造りの橋の上から、増水した川を覗き込んでいた。茶色く濁り、普段の姿からは考えられない激流となった川を見て、俺は素直に怖いと思った。増水していなくても深さは三メートルくらいある。今落ちたら助からないな。


「?」


 家路を進もうと、川を覗き込んでいた姿勢からもとに戻ったとき、俺の目は女性の姿を捉えた。


 いつの間に俺の横に立っていたのか、携帯片手に大声で話している。


「もー頭にきたんですけどー! 会いに来てくれないなら、あんたの猫、捨てちゃうからね!」


 そして反対の手で持つ何かをぶんぶんと振り回している。ビニール袋に包まれた何かを。


 白い雨合羽を着たその人は、それを川に向かって投げた。袋の口が縛られていないかつ、けっこうな勢いでぶん投げたみたいで、袋の中身がかなり出た。


「猫じゃん!!」


 俺がその正体に気付いた直後、橋の下で大きな水音がした。


 俺は、すぐに橋の下流側に飛びついて下を覗き込んだ。ビニール袋を絡ませた猫の身体がすごい勢いで通過していく。


 なんでかはわからない。


 泳ぎに自信があったわけでもない。


 猫を投げた女性の知り合いですらなかった。


 だけど俺は、飛び込んだ。


 それを見た女の人が「あ、それぬいぐるみなんですけどー」と言ったのを背中で聞きながら。




 視界は茶色で埋め尽くされて、空気を求めて口を開けた俺は、大量に水を飲んだ。肺が痛い。上も下もわからない。嫌だ。痛い。死にたくない!


 意識が途切れる前に、俺は叫んだ。


「助けてくれ!!!!」


 実際には、口がパクパクと動いていただけだった。なぜか俺は、流れに逆らわず、脱力した身体をあちこちにぶつけながら流されていく自分を見ていた。


 徐々に遠ざかる身体と意識。


 ああ、俺は今幽体離脱ってやつを経験してるんだ。


 そう思うのと同時に、俺は水面からふわりと浮きあがって雨を降らし続ける灰色の空へ上っていった。


 橋の上でさっきの女の人が、携帯電話に向かって何か叫んでいた。


 警察か何か呼んでくれているのだろうか。まさか、彼氏に「ちょーウケるんですけどー!」とか話してるんじゃないだろうな? ずいぶんお顔が楽しげにほころんでますけど、あなた正気ですか。


 ぐんぐん上っていく。


 どんどん眠くなってきた。

 

 このまま眠ったら、あの世行きな気がする。


 ああ、死にたくない。


 神様、いるならどうか、生き返らせてください。


 身体が流れちゃって無理なら、別の身体でもいいんでお願いします。


 どうか、神様……

 

 俺の意識が途切れる瞬間、光が俺を包んだ。柔らかい、けどとても強いエネルギーの流れを感じた。俺は、その流れに身を任せた。


 それからのことはうまく説明できない。


 あれは、地獄の責苦だったのだろうか。


 熱い風呂に浸かっているような感覚があったと思ったら、とつぜんつまみ出された。そしてしたたかに顔面を打たれ、今度は水風呂に沈められる。


 それを延々と繰り返され、俺の意識はまた闇に落ちていった。




「おはよう。ジュン」


 女性の声がして、目が覚めた。そして俺は両足を掴まれた。


 柔らかい手の感触だった。しかし力は強く、俺の足は少しも動かせない。


 顔にマスクでも被せられているような感覚があり、目を開いても何も見えない。


 右腕は「よっ」と人に挨拶するように、左腕は逆に曲がって、はにわみたいなポーズで固定されていて、これもまったく動かせない。


 首も回せない。


 硬いところに寝かされているみたいだけど、起き上がることもできない。文字通り身じろぎひとつできない俺は、足を掴まれたまま持ち上げられた。


「!!」


 俺は身長体重共に十七歳男子の平均だった。これはすなわち、女性が片手で持ち上げられるような重さじゃない。それがなんの苦も無く持ち上げられ、頭に被せられたマスクか何かが取り払われた。


 目に飛び込んできた光に一瞬怯んだが、目が慣れてくると、すぐ近くに女性の顔があった。鼻筋が通っていて、きれいなブルーの瞳とぽってりとした赤い唇が印象的な、金髪の美女だ。肌は陶器のように白い。


 だがいかんせん、顔が近い。というかでかい。俺の足を掴んだままくるりくるりと回して全身を眺めている女性の腕力を想像して、俺は心底恐怖していた。


 俺は女性経験などない。彼女いない歴がそのまま年齢を表しているから、飲み会なんかに参加してきれいな女性がいると緊張してしまうのだが、今回ばかりは恐怖しか感じない。


 いや、そんなことより俺はどうしてこんな状況なんだ。


 いや、というか今、俺はどういう状況なんだ。


 頭が混乱して、まともに考えられない。


「さあ、今夜も頼むわよ……?」


 俺のパニックをよそに、女性はぐいと顔を近づけて、俺の額に唇を近づけた。軽く触れただけでも、分かる。彼女の唇は柔らかく、感触はすばらしいものだったが、ものすごく冷たかった。


 彼女はハミングしながら歩き始めた。よく磨きこまれた石材を敷き詰めた床に、靴音が響いた。床と同じような材質の壁に、大きな鏡が埋め込んであった。


 さながら巨大スクリーンのようなそれに、真っ黒なコートを羽織った、ダイナマイトボディの女性が映っている。コートの下には同じく黒のレザーっぽいボディコンスーツを着用している。ロングコートの隙間から覗く生足がとてもセクシーだ。


 女性は右手に、抜身の剣を持っていた。


 細身で少し反った形状の剣で、片方の鍔が大きく下方に伸びて、柄を握る手を保護するような形状となっている。


 これはあれだ、サーベルってやつだ。マジョリカマジョルカで、ベルばらのパロディをやったとき、小道具で作ったのを覚えている。


 不思議なことに、彼女が俺の身体をひゅっと振るうと、鏡の中のサーベルが動いた。俺は、すごいスピードで景色が通り過ぎて行く中、確かにそれを見た。そして、俺がよく知る俺の姿は鏡に映っていない。


 彼女が満足そうな顔で、左手に持っていた高そうな宝飾が施された鞘に、サーベルを収納していく。


 それに合わせるかのように、俺の視界も徐々に狭くなり、やがて闇が訪れた。

 



 俺……剣になった?


 あまりのショックに、俺はまた気を失った。




どーしても! ¥が! 揃わない!

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