表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

 桜の舞い散る公園で

 娘のはしゃぐ声を聞いたのは、いつのことだっただろうか。



 この日、私は自治会主催のお花見で、楠姫城(くすきのじょう)市の城址公園を訪れていた。

 満開の桜の下、あちらこちらで宴会の輪が盛り上がっている。

 そんな中を、昼食を摂る予定になっている食事処を目指して、吉村さんと藤本さん、河野さんといったメンバーと一緒に歩いていた。

 息子と吉村さんのお嬢さんが同級生だった関係で、この人達とは昔から一緒に行動することが多いのだけれど。

 なんと言うか……話題についていけないことが多くって、少々気疲れする人たちだった。

 今日は朝から一日一緒だと思うと、帰宅後に熱でも出てきそうで。

 内心でため息が出てしまう。


「生田さん?」

「あ、はい」

「ご主人は、今日は?」

「主人は……」

 家でゴロゴロ、なのだけど。

 こういったご近所づきあいは、私の仕事と割り切っている人だから。自治会の会合にも、近隣の一斉掃除にも顔を出したことは無い。

 それを知ってか知らずか、話しかけてきた河野さんにあいまいな返事をする。あいまいな微笑を添えて。

「旦那になんて、こんなきれいな花、見せること無いわよ」

「そうよねぇ。お食事だって……」

 吉村さんの言葉に、河野さんが同意して二人で笑いあう。


 きれいな花を、喜んでいたのは。

 確かに。主人よりも、娘だった。


 かつて家族で出かけたお花見は、いったいどこの桜だったのか。

 そう思い返しながら、舞い散る花びらを手のひらで受ける。



「あ、ねぇ、あれって」

「うわぁ。本物?」

 小さく嬌声を上げた吉村さんの声に、我に返った。

 藤本さんが指差すほうに、背の高い男性が妊婦をエスコートして歩いている姿があった。

 金に近い色の髪をした男性は、もしかして……。


「生田さん、知ってる?」

「ええっと……」

「生田さんは、知らない、よね」

 吉村さんの言葉に頷いて、知らないふりをした。

 知らない人だと思いたかった。


 『この辺りに活動拠点をおいているロックバンドのメンバーで』と、三人が、口々に説明してくれるのを、いつもの様に軽く相槌を打ちながら聞く。

 韓流スターにも、若手アイドルにも興味のない私には、初めて聞く話、である”はず”の事。

「皆さん、詳しいですねぇ」

「うちは、娘がファンでね。影響されちゃった」

「我が子と同い年、だったりするけど。中々、これがどうして。いい声してるのよ」

 河野さんの娘さんと同い歳、つまりうちの息子の二歳年上。

「知美ちゃんは……興味ない、わよね?」

 吉村さんから出てきた娘の名前に、一つ鼓動が跳ねる。

「え、ええ」

 冷や汗をかきながら頷く。


 その会話が聞こえたように、金髪の男性がこちらを向いた。

「キャー」

 悲鳴をあげて、藤本さんがバンバンと私の肩を叩く。

 軽く会釈をするように男性の頭が動いて、傍らの女性の方へと身をかがめる。


 その一瞬。

 ほんの一瞬。


 彼に、睨まれた気がした。



 辛うじて横顔の見えていた女性になにやら耳打ちをした後。彼女の肩を抱くようにして、男性が小径を左手の方へと進んでいく。

 そんな二人を、四人でなんとなく黙って見送った。


「あのバンドって、メンバー全員が愛妻家って、娘が言っていたけど」

 口を開いたのは、藤本さん。

 ふーっと溜息をつきながら、河野さんが同調する。

「今どきの人って、私達の若いころと違って人前でも平気でスキンシップするけど。別格、よねぇ」

「ほんと、ドラマの世界よね」

 眼福眼福と、藤本さんが、何故かお腹をさすっている。


 その横で私は、胸がいっぱいで、何も言えなかった。


 『愛妻家』と言われる男性に肩を抱かれ、ドラマのワンシーンのようにエスコートされていた女性。

 それは。

 数年前、彼との結婚を反対した主人に勘当された私の娘。

 知美、だった。



 主人に親子の縁を切られたあと、知美は私達の前から、完全に姿を消した。

 いつの間にか、賃貸マンションを引き払い、電話も解約して。

 

 その娘が、声が届きそうな所に居たのに。

 エスコートしている男性は、私に気づいていたのに。

 チラリとこちらを見ることもなく、彼らは立ち去っていった。遠目にも妊娠しているのがわかるほどに大きくなったお腹に、私の知らない娘の時間が流れたことを見せつけながら。


 元気そうな娘の姿を見れた安堵と、私の存在に気付かなかった恨みを抱えた、昼食会は味気なく。

 その夜は、これまで経験のしたことのないほどの熱が出た。三日間も寝こむことになるほどの高熱を。



 その年の夏から秋にかけて、私は心騒ぐ日々を過ごした。

 知美のあのお腹の感じだったら、そろそろ産まれているのではないかと。

 

 選りによって、姪の出産が秋口にあり、祝いの品を贈る準備をしながら知美を思う。

 

 あの子は、おなかの子は。

 誰か、祝ってくれているのだろうか。

 お願い、連絡してきて。

 お父さんの怒りも、きっと。子供の顔を見れば和らぐから、知美を許してくれると思うわ。 


 そんな私の願いも虚しく、娘からの音沙汰はなかった。


 昔から、何度も言って聞かせたのに。『素直になりなさい』と。

 主人に似て頑なな娘に呆れているうちに、日は流れていった。



 私宛に一通の封書が届いたのは、十一月の下旬だった。

 少々厚みのある白封筒に、首を捻りながら裏返す。封筒の裏面に書かれていたのは、わずかに二文字。


 『知美』、と。


 見慣れた娘の手蹟とは違うことにためらいながら、私は玄関ドアをあけた。


 買い物を冷蔵庫にしまってから、テーブルに置いた封筒を手に取る。

 主人が仕事から帰ってくるまで、あと二時間ほど。

 

 夕食の支度の前に、私は封を切った。



 『前略』で始まる手紙には、封筒と同じ手蹟で知美に息子が生まれたことと、写真を同封したことが書かれていた。

 封筒から顔を覗かせる写真を手に取る。


 産まれたての赤ん坊を胸に抱いて、幸せそうに微笑む知美。

 ”(あきら)”と、名づけたらしい男の子の顔を、指で撫でてみる。

 そう。暁くん。

 貴方が、あの時、知美のおなかに居たのね。


 数葉の写真を順番にめくっていく。


 眠っている暁。

 おっぱいを飲んでいる暁と、幸せそうに見守る知美。

 そして、お食い初めらしき光景……。


 お食い初めが済んだってことは、もう生後百日が経ってしまったのね。

 どうして、もっと早く教えてくれなかったの?


 娘を責めながら、読み返した手紙の末尾には、差出人として知美の夫の名前が書かれていた。

 

 そうか。

 知美は

 知美からは

 私に連絡する気なんて、無かったのね。


 

 私は写真と手紙を封筒に納める。

 改めて、リターンアドレスの無い封筒を目にして、知美の夫のほうも私からの連絡を望んでいないことに気づいた。

 がっくりと。全身から力が抜けた。


 私は、重たい足を引きずりながら二階に上がると、知美の部屋のドアを開ける。

 そして学習机の引き出しに、封筒を放り込んだ。 



 手紙の存在を意識的に忘れていた私の元に、二通目の手紙が届いたのは、それから一年後。知美の誕生日の翌日だった。

 去年と同じ手蹟で書かれた『知美』の二文字に、ため息をつきながら封を切る。


 便箋を取り出そうとして、ひらひらと二葉の写真がテーブルに落ちる。


 表向きに落ちた一葉は。

 満開の桜の下、全身で伸び上がるように花に手を伸ばす暁と、彼を抱き上げた知美。


 『お母さん、お花、きれいね』

 写真の中から、はしゃぐ知美の声が聞こえる。

 あの子を抱き上げたときの重みと、ぬくもりが腕に蘇る。

 三十数年前の、昨日。確かに私と命を分けた子の、体温の記憶。



 桜の写真を封筒の上に置いた私は、裏返った写真をそっと手にとって……。

 思わず、息を呑んだ。


 結婚式、だわ。


 ウエディングドレスを着た知美が、夫となった彼と腕を組むようにして写っていた。

 カメラが異なるせいだろうか。この写真にだけ日付が入っていた。二年前のゴールデンウィーク、ということは、あの桜の下での再会の前の年。

 

 幸せそうに微笑んでいる写真なのに。

 『お母さん、どうぞお元気で』

 この家を出て行った日。居間で別れを告げた、あの子の冷たい声が蘇る。



 これは、罰なのか。

 勘当を言い渡す主人を止められなかった、私への。

 一生、私はあの子の冷たい声から逃げることは、できない。

 一生、あのぬくもりに触れることは許されない。


 心凍えるような冷たさが、私の”罪”の温度。


 END. 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ