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大きな猫  作者: 篠義
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何かを反論する前に、堀内にハイツの階段を登らせられた。沢野のクルマは、そのまま走り去った様子だ。ピンポンラリーに反応して扉が開くと、堀内が俺の荷物を、まず、玄関へ投げ入れる。


「返品。」


「はあ? 返却の間違いやろ? 」


「どうでもええわ。メシは食わせてあるからな。」


 そういう遣り取りの後で、掴まれていた腕を、前へ突き出さされて、花月の温度に変わった。


「おかえり、水都。お疲れやったな? 」


 にっこりと微笑んでいる俺の旦那は、四日前とは、まったく違う顔だった。また、俺が忘れているとでも思っているのだろう。


 堀内のほうは、カンカンと足音を響かせて、ハイツの階段を降りて行く。しばらくは関西に居るから、と、沢野共々の予定は教えられた。だから、関西統括のほうも、堀内がしばらく捌くらしい。俺には、これから三日の休みをくれた。


「ほんまに、お腹は空いてへんのか? 」


 ずるずると、そのまま玄関へ引き入れられて、声を掛けられた。喋らない俺に、別に焦ることもなく、俺の旦那は、俺の靴を脱がせている。


「はい、足あげて。」


 旦那の後頭部を眺めつつ、今まで考えていたことを思い返して、それから、ちょっと笑った。いろんなことを考えて、距離を空けて突き詰めて考えようとしたことなんて、旦那の姿に比べたら些細なことだと思えた。


 嘘をつかれた。


 それに腹を立てた。


 約束したのに破った。


 それが悲しかった。


 けど、そのどれもが、俺のためであるのは、間違いのないことで、花月が、得することなんてないのだ。俺がおかしくなるから、入院したことを出張だと言い張るのだとしたら、俺は、それを出張だと肯定するべきなのも、わかっている。



・・・・・何より、俺・・・・この体温がないと、あかんわ・・・・・・



 足を上げるのに、旦那の肩に手を置いた。その体温があれば、今まで怒っていたことすら、どうでもよくなった。


「はい、終わり。ほれ、風呂に入れ。疲れたやろ? 」


 また、手を引かれて、居間へ誘導される。そこで、スーツとかワイシャツとかネクタイを脱がされる。まるで、子供のように世話されているのだが、その世話している旦那が、大変嬉しそうなので、こちらも頬が歪んでくる。


「ん? なんか、ええことあったか? 」


「・・・・・花月・・・・・・」


「ん? 」


「・・・ただいま・・・・・」


「おう、おかえり。風呂入り。」


「・・・・うん・・・・」


 また、風呂場に誘導された。ぽちゃんと湯船に浸かるのを確認すると、また、旦那はへらっと笑っている。


「なに? 」


「いや、俺、かなり、おまえに依存してるらしいわ。おまえが居てないと、どうも調子が狂うんや。・・・・・あんま、出張とかせんといてくれな。」


「うん。」


 パタンと閉まった風呂の扉に、俺は笑った。依存しているのは、俺のほうだ。どこの世界に、三十を越えたくせに、靴を脱がせてもらうあほがおるんや? 食事も着替えも、なんだかんだと世話を焼かれているのは、俺のほうなのに、俺の旦那は、それがないと調子が狂うなんて、おかしなことをいう。


・・・・・ほんま、おまえは、おかしなヤツやわ・・・・・・・


 俺みたいなおかしな人間の相手ができるのだから、あのマトモそうな俺の旦那も、どこか壊れているのかもしれない。壊れたもの同士で、協力して生きているのだとしたら、それは至極マトモな行いだと思う。というか、俺は、あの体温がある限り、楽しく生きて居られるのだと思う。


「事実でなくても事実になる。」 


 壊れているから、事実がわからなくても、相手の言葉だけを信じようとすればいいのだろう。いや、実際は、そうはいかないが、今度のことは、そういうことで片付けなければならない。と゜うしたって、俺は、旦那が居ないと困るのだから。


 今日、顔を合わせて、そう思った。それが一番大切なことだ。


「おまえっっ、また沈没しとるんかいっっ。・・・・ったく、世話の焼ける。」


 乱暴に扉が開いて、花月が飛び込んでくる。考え事をしていたつもりだったのだが、どうやら居眠りこいてたらしい。目は閉じたまま、湯船から引き摺り出そうとしている花月の首に腕を回した。


「なんや? 」


「花月、俺、三日間休み。」


「うん、ほんで? 」


「せやから、無茶してもええで? 」


「さよか、ほんなら、キレイキレイしてから、がんがん攻めたるわ。覚悟しとき。」


「うん。・・・・あのな・・・・」


「おう。」


「俺、看病できるから。」


「ああ、俺が具合が悪なったら頼むわな? 」


 とりあえず、言いたいことは言った。たぶん、通じていないだろうが、それでもいい。もし、俺の旦那が入院するような事態に陥ったら、次からは、ちゃんとしてみせると決意した。できるのかどうか、よくわからないが、とりあえず、旦那の顔だけは、毎日、拝みにいきたいことだけは、告げようと思う。


「大丈夫や。俺、健康やから、インフルエンザぐらいしかあらへん。」


 俺が思っていることが、わかっているのか、旦那は、そう声をかける。まあ、この至極健康体の男が患うものなんて、そんなものだろう。


「ちゃんと面倒看るわな。」


「うん、俺もちゃんと看るで。」


 あれほどの口喧嘩をしたはずなのに、なんだか、よくわからないうちに解消していた。翌日、俺は、寝たきり老人状態で、ベッドに転がっていたのは、言うまでもない。


 


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