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大きな猫  作者: 篠義
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今でも忘れられない言葉がある。


「おまえの猫は、大きい猫か、小さい猫か? どっちや。」


「最後まで責任持って世話したれ。・・・・・そのために、やることは、どんなことでもやったらええ。」


 たぶん、あのおっさんは、知ってたのではないかと思う。転属で、お互いにバラバラになって、おっさんは定年退職したけど、結局、最後まで、大きい猫のことは話せなかった。


 たった三日間の事件だったが、あれで、俺は腹を括った。何があろうと、俺は健康で元気でいなくてはならない。最後まで面倒を看るために、それは必要不可欠で、そうでないと、あれは小さくなって消えてしまうからだ。


 働き出して一年目、職場の駐車場で、俺は、トラックから荷物を運び出していた。何人かで、それを運んでいたわけだが、そこへ、同じ職場の公用車が突っ込んできた。完全な余所見運転だったので、俺と後二人が、撥ねられた。


 ひとりは、鎖骨骨折、ひとりは、片足にヒビ、そして、俺は、頭を打って脳震盪で、ついでに頭を切ったから、俺が一番重傷だと思われた。


「検査入院に三日? 」


 頭を打っているから、その検査に時間がかかると、脳震盪から意識が戻って、医者から申し渡された。明日、検査をするまで、なるべくベッドからも降りるな、と、注意もされた。けど、俺には同居している嫁がいて、帰れないなら、それを連絡しなければならない。といっても運ばれて来た時は、何も持ってなかったから、連絡しようにも金がない。


 後から現れた、その当時の上司のおっさんに、金を貸してくれ、と、言ったら、理由を問われた。一人暮らしのはずの俺が家に連絡する必要はないからだ。


「ねっネコがおりますねん。」


「ネコ? ほおう、ネコな。おまえの猫は、大きい猫か、小さい猫か? どっちや。」


「大きい猫です。」


「・・・わかった・・・」


 その当時、俺は携帯がなかったから、上司が携帯を貸してくれた。もちろん、その上司は、部屋から理由をつけて外してくれる。


「・・・水都?・・・・あのな、俺、ちょっと怪我してな。ほんで、検査とかなんとかで三日ほど入院やねん。別に、なんもあらへんねんよ。ただ検査があるから帰れへんだけや。・・・うん。着替え?・・・・病院ので間に合わすわ。・・・あー下着か・・・・せやな、それだけ頼んでもええか? ・・・うん・・・うん・・・」


 すぐに、水都が入用なものを運んでくれた。着替えとか保険証とか、そういうものだ。後頭部を切ったので大袈裟に包帯が巻かれていて、びっくりしていたが、普通だった。


「どんくさいこっちゃ。」


「じゃかましいわ。」


「怪我は、切っただけか? 」


「おう、これだけや。せやけど頭打ってるからな。検査せなあかんねんて。」


「ちょっと賢こうなるように改造してもらえ。」


「はははは・・・ほんまやなあ。」


 びっくりはしたものの、気を取り直して、いつもの会話をして帰った。だから、俺も気にしていなかったが、三日して家に帰ったら、それは跡形もなく消えていた。そして、堀内のメモがあって、慌てて電話をしたら、凄まれた。







 唐突に、無断欠勤なんてことがある。そういう場合は、倒れていることが多いので、時間の都合をつけて、堀内は、浪速の住居へ顔を出した。玄関の扉に鍵もかかっていない。入り込んで、居間を覗いたら、やはり倒れていた。世話好きのバクダン小僧と同居して、倒れることもなくなっていたのに、これはどういうこっちゃ、と、堀内も首を傾げた。


「みっちゃん、どうした? あほはどこや?」


 ぐったりしている浪速を揺すったら、「消えるねん。」 と、呟いた。


「はあ? 何事や? 『消える』って、なんや? 」


「・・・・俺・・・どんどん小さくなって・・・消えるから・・・・もうええねん・・・・」


 目が虚ろだし、ただごとではない。だが、別れた様子ではない。その部屋には、ふたり分の荷物がちゃんとある。何事かあったか、と、堀内が吉本の職場へ連絡すると、吉本は休んでいるという返事だ。


 公用車で交通事故という事実を隠蔽するため、吉本たち怪我人は公休扱いになっていて、入院しているということは伏せられていたのだ。だから、部外者の堀内には入院の事実なんて教えられるはずがない。これでは埒が明かない。当人が携帯を持っていないから、どこにいるかがわからないので、仕方なく、電話機の横に、自分の携帯番号をメモして、戻ったら連絡するように書いておいた。


 浪速の様子が常のダウンではないから、余計に心配した。三日して連絡がなければ、それから探すとしようと、浪速を会社の寮の空き部屋に放り込んだ。けど、浪速は食事も水も自力では取らない。堀内が、箸で口元へ運ぶと無意識に食べるのだが、それ以外には手を出さない。どんどん、浪速はやつれるし、動きも鈍くなってくる。そろそろ医者に診せようか、と、思っていたら、ようやく当人から連絡が入った。


「交通事故? ・・・・なんでもええわ。戻ってるんやったら、こっちへ顔出せっっ。おまえよりみっちゃんが死にそうじゃっっ。」


 事情は判明した。けど、これは、とんでもないと、堀内も思った。吉本が入院するような事態になると、それだけで耐えられなくなるということが、はっきりしたからだ。


「みっちゃん、あほ花月が迎えに来るで? 」


 床に転がっている浪速の身体を、足で小突いて声をかけた。


「・・・・・花月・・・・・怪我したから・・・・ほんで、俺・・・・だいぶ小さくなったから・・・・・」


「そんなことはあらへん。あほ花月は退院した。もう、どこへも行かへんわ。」


「・・・花月な・・・・ベッドから・・動いたらあかんねんて・・・・・せやから・・・帰られへん・・・」


 自分の許へ帰ってこないという事実だけで、こうなるのだとしたら、無理に引き剥がすことはできないだろう。というか、そこまで根付いてしまった存在は、とても厄介なものだ。存在がなければ、消滅を選ぶなんて、とんでもない。




 やってきた吉本は、まだ痛々しい包帯姿だったが、それを外させた。兎に角、怪我したことも、入院したことも浪速の前ではなかったことにしようと、堀内が説明した。


「消えるって言うんや。・・・・・おまえ、何があっても、みっちゃんの前から消えるなよ。消えるなら、先にわしに連絡してこい。最後まで責任持って世話したれ。・・・・・そのために、やることは、どんなことでもやったらええ。」


 堀内にしても、そうするしかないのは、わかったから、そう提案した。もちろん、花月も、扉から覗いた浪速の様子に、愕然とした。自分が、検査で入院しただけで、こんなことが起こるというのなら、入院なんてできるわけがない。


・・・それほどなんかい、おまえん中の俺は・・・・・


 嬉しいと思う反面、それしかない水都が憐れだとも思った。壊れていて、大切なものを作らなかった水都に、大切なものを作った。その責任は、水都が息を引き取る瞬間まで、花月が背負うものだ。他の誰かではない。花月にしか取れないものだった。


 後頭部のキズを見せないように、ゆっくりと水都に近寄って起こして抱き締めた。


「かげつ? 」


「うん、ただいま、俺の嫁。遅なってすまん。・・・・・・家に帰って、メシ食うか? 」


 抱き締めた身体は、小刻みに揺れて、「お粥さんがええな。」 と、笑って、花月の背中に手が添えられた。





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