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第7話 薔薇色の疫病

ソラはその場に立ち尽くしていた。頭の中は混乱していたが、ひとつだけははっきりしている。――ここは、もう自分の世界ではない。


理解が追いつかないのも無理はなかった。


一度、死んだ。


その後、「神」を名乗る存在に力を与えられた。

それは、生物兵器同然の能力だった。

理解する暇もないまま、滅亡寸前の異世界へ放り込まれた。


周囲の景色は異様だった。


建物はある。少なくとも、かつては都市だったと分かる程度には。しかし、人の気配どころか、生き物の存在を一切感じない。視界は悪く、まるで何かが世界そのものを少しずつ喰らっているかのようだった。


「ピンクが嫌いってわけじゃないけどさ……これはさすがにやりすぎだろ」


小さく呟きながら、辺りを見渡す。


「……これが、薔薇色の疫病ってやつか」


淡い霧がすべてを包み込んでいた。建物も、地面も、空さえも。世界全体が、不健康なピンク色の膜に覆われているように見える。


《エクス・マキナ》と名乗ったあの存在の言葉は、今でも信用できない。それでも、もう決めたのだ。


何が起ころうと、受け入れるしかない。


この薔薇色の荒野が、彼のスタート地点だった。


「うわ……なんだ、この臭い……」


鼻を押さえようとして、思うように体が動かない。まだ全身がぎこちなく、自分のものじゃない感覚が残っている。


空気は最悪だった。焼けたゴミ、腐った肉、そして――なぜか混じる、わたあめのような甘ったるい匂い。


正直、頭がどうかしそうだった。

(甘いのか腐ってるのか、どっちかにしろ……)


***

【サポートシステム

 ウイルス親和性:進行中……

 結果:周辺に存在するRウイルスの一部を自動抑制しました。

 ※警告:病原体濃度は依然として極めて高い状態です。

 システム単体での制御は不可能。ユーザーによる直接介入が必要です。】


***


一歩、前に出ようとして――よろめいた。


とっさに壁へ手をつく。だが、触れた瞬間、その壁はさらさらと崩れ落ちた。まるで、最初から固体ではなかったかのように。


「……粉? ピンク色の……」


脆すぎる。


壁も、地面も、空気さえも。すべてが分解寸前で、ほんの少し前まで“構造物”だったとは信じられない。それなのに、不思議と体は楽になっていく。包み込まれるような、妙な安心感があった。


ソラは自分の手を見下ろした。


指の形、皮膚の質感――何かが違う。

こんな手だっただろうか?


眉をひそめたが、その疑問はすぐに霧の中へ溶けていく。感覚が、また鈍っていく。


「……悪くない、気がする」


自分でも理由が分からず、そう呟いた。


この奇妙な安らぎは、そこまで悪いものじゃない。むしろ、このまま地面に寝転がって、何も考えず眠ってしまいたい。そんな衝動すら湧いてくる。


――だが、それは長く続かなかった。


霧が、服に、肌に、髪にまとわりつく。


皮膚の内側で、じわりとした熱が走った。次の瞬間、その熱は痛みに変わり、秒を追うごとに増していく。体が、内側から壊れていく感覚。


「ちょっと……これは、さすがにまずくないか……?」


息が荒くなる。


***


【サポートシステム

警告:病原体の極端な高濃度を検知。

『ウイルス親和性』による自動制御に失敗しました。

『生体レジリエンス』限界超過。肉体の安定を維持できません。

行動:サンプル収集中……生体適応を開始します。】


***

再び、手を見る。


指先が崩れ始めていた。薔薇色の粒子となり、灰のように空中へ舞い上がる。


腕が軋み、乾いた音とともに砕け、霧に触れた瞬間、存在そのものが消えていく。


「……また、死ねってことかよ」


力なく、そう漏らした。


「まあ……どうしようもない、か」


立ち上がろうとしたが、膝が笑う。


全身が、薔薇色の粉塵へと分解され、ゆっくりと宙へ溶けていった。霧と混ざり合い、境界が消えていく。


最後まで残っていたのは、その顔だった。


そして――


ソラの意識は、再び闇へと沈んだ。


◇◇◇


空は青く、陽射しはやさしかった。

木々の葉を揺らすそよ風が、公園全体を別世界のような静けさで満たしている。


ソラは、いつもの公園の芝生に座っていた。

その隣にはユメ。裸足で、オレンジ色の髪をなびかせ、生命力に満ちた瞳で微笑んでいる。まるで、この世界には二人しか存在しないかのように。


「ソラってさ、ちょっとドジじゃない?」


膝をすりむいて立ち上がるソラを見て、ユメが言った。


「……まあな。でも悪いのは木だろ。向こうから来たんだ」


土を払いつつ、ぼそっと返す。


「動かない枝に襲われたって?」


ユメが片眉を上げる。


ソラは真顔で視線を落とした。


「知らないのか? 木は生きてる。たぶん、個人的な恨みだ」


その瞬間、ユメは吹き出した。


「もう……ほんと、どうしようもないんだから」


彼女は少し距離を詰め、膝に腕を乗せる。

オレンジ色の瞳が、優しくソラを映していた。


「なあ、ユメ。ひとつ聞いてもいいか?」


「え? なに? もしかして愛の告白?」


いたずらっぽく身を乗り出す。


「ち、違うっ! そういうのじゃない!」


ソラは慌てて息を詰まらせ、顔を赤くした。


ユメは小さくため息をつく。


「はいはい。どうせソラのことだから、告白する頃には老人ホームだよね」


「今、何か言ったか?」


「ううん、なんでもない。さあさあ、宇宙一優しい親友が何でも答えてあげます。どうぞ?」


ソラは一度、深く息を吸った。


「……ユメの体、よくないだろ。それなのに、どうしてそんなに笑っていられるんだ?」


ユメは一瞬目を丸くしたが、すぐに彼の腕を軽く突いた。


「なに言ってるの。私は元気だよ? ちょっと家にいたり、病院でエネルギー補充してるだけ」


「それ、答えになってない」


ソラはずっと分かっていた。

元気だと言う日でも、彼女の体は確実に弱っていた。それでもユメは前を向き、笑い続ける。

――強くて、眩しくて。ソラは、彼女のようになりたかった。


「こほん……私の話じゃないけどさ」


わざとらしく咳払いをして、ユメは言った。


「もし誰かが言うとしたら、こんな感じかな。

『周りが元気そうだからって、何もしないのって悲しくない? やりたいことがあるなら、やればいいじゃん。考えすぎなくていいでしょ』」


びしっとソラを指さす。


「忘れないで、ソラ。この世界はね、先に動いた人の勝ち。止まってたら、何も手に入らない。転んでもいいから、前に進むの」


「……ユメ、すごいな」


思わず漏れた一言。


「ち、違うから! 私の話じゃないし!」


慌てて手を振り、視線を逸らす。頬は真っ赤だ。


「そ、それに……ソラの方が、ずっとすごいし……」


「俺が?」


「そ、そう! 病気の人のこと気にかけるし、優しいし、ちょっと一人が好きなところも……可愛いと思うし……」


声が震えていた。


ソラが困惑しているのを察し、ユメは慌てて話題を変える。


「そ、それにね! ソラって全然病気しないでしょ? 周りが風邪でも平気だし、転んでも怪我してるの見たことない。すぐ治っちゃう感じ」


真剣な目で見つめる。


「うん。やっぱり、ソラは特別だよ。私が言うんだから間違いない。だから、絶対に疑わないで」


少し間を置き、柔らかな声で続けた。


「もし迷ったら、一回立ち止まって、深呼吸して。

それから考えるの。

『宇宙一可愛い親友なら、どうするかな』って」


にこっと笑う。


「それでも足りなかったら……過去は手放して、未来に向かって歩くこと」


ソラは半目になった。


「それ、前に一緒に観た映画の台詞だろ」


「しーっ」


ユメはそっぽを向き、腕を組んで口笛を吹く。


「知らないなあ。きっと向こうが私を真似したんだよ」


ソラは笑った。


少しして、ユメはまた優しく彼を見た。


「あとね、“世界が嫌いです”みたいな顔やめなさい。そんな顔してたら、半分くらいの人類が逃げちゃうよ」


「……気をつける。でも、どうしても人が苦手な時はある」


「うん。病気の人といる時だけ落ち着く感じ、あるよね」


くすっと笑って続ける。


「でも、完全に閉じこもらないで。分かってもらえないからって、間違ってるわけじゃないんだから。いつかソラが人気者になる日も来るよ」


そして、ほとんど聞こえない声で呟いた。


「その時は、ユメが浮気猫を追い払わなきゃ」


「……猫?」


「ううん、なんでもない」


ユメは微笑んだ。


「覚えておいて。ソラは、愛されていい人。愛していい人。落ち込んだり、変なこと考えたりしちゃだめだよ」


ソラは驚きと感謝が入り混じった表情で彼女を見た。


「……もし忘れたら?」


ユメは舌を出し、指で彼の額を軽く弾いた。


「その時は、何度でも思い出させてあげる。ソラがちゃんとした、可愛い大人になるまで離れないから」


「母親みたいだな」


「えへへ……ソラがそう思うなら、ソラはきっと素敵なお父さんになるね」


 二人は笑った。


 一瞬だけ、世界はとても単純だった。

 ここには、二人しかいない。


ユメは立ち上がり、スカートを払う。


「さあ、行って」


ウインクする。


「任務開始。一歩ずつ、止まらずに」


「はいはい」


ソラが笑うと、ユメは身を屈め、彼の髪をくしゃっと撫でて囁いた。


「自分を信じて、ソラ……私は、向こうで待ってるから」


公園が揺らぎ、光が白く滲む。

ユメの姿も、水に溶ける絵のように薄れていき、やがて薔薇色の霧がすべてを覆った。


完全に消える直前、遠くてやさしい声が、彼の耳にだけ届いた。


「……また、いつか会おうね。でも、急がなくていいから」


◇◇◇


――そして、ソラは目を覚ました。


ゆっくりと瞼を開く。

一瞬、瞬きをしたらまた体が崩れ落ちるのではないかと恐れた。


「……本当に、生きてるのか?」


小さく呟く。


手も、脚も、体も、ちゃんとそこにあった。

混乱は次第に薄れ、見たところ致命的な異常はない。痛みはあるが、少なくとも、今にも分解しそうな感覚は消えていた。


***


【サポートシステム

・内部診断:外部ウイルスレベル安定

・ストレスレベル:6/10

・表層組織の再構築:完了

・差し迫った脅威:なし】


***


「……どうやら、体が適応したらしい」


掠れた声で思考する。


「今は……呼吸すると痛い。

 それ以外の時間も、普通に痛いけど」


ソラは地面に倒れたままだった。

空気は相変わらず、焼けたゴミと腐肉、そして甘ったるい匂いが混ざり合っている。息を吸うたび、肺が鈍く抗議したが、耐えられないほどではない。


「……どれくらいだったんだ? 六秒くらい?」


信じられない、というように呟く。


束の間の安堵は、不安へと変わった。

本当に、ここまで無理をする必要があったのか。

あの神は、他にもっと適任を選べなかったのか。


その時、そよ風のような声が、心をかすめた。


『宇宙一可愛い親友なら、どうするかな?』


その声。

その優しさ。

額を軽く弾かれた、あの感触。


夢か。記憶か。

判別はできなかった。けれど、思い出すだけで、完全に一人ではないと感じられた。


「……」


ソラは自分の額を、ぺしっと叩く。


「何やってんだ、俺……。

 ほんの少しツラい日が続いただけで、今までの全部を無駄にするつもりか?」


深く息を吸う。痛みはある。それでも、空気は入った。

体は、ちゃんと応えてくれている。


「……ありがとう、ユメ」


そう呟き、ゆっくりと立ち上がった。


一歩。

もう一歩。


足元の地面は軋み、薔薇色の粉へと崩れたが、もう沈み込むことはなかった。


――もう、馬鹿な真似はしない。


あの記憶は、必要な瞬間に、小さな火花を灯してくれた。


ユメだけじゃない。

かつて、奇跡のように手に入れた友人たち。

彼らの存在こそが、すべてが終わっていない証拠だった。


まだ、いい日々は来る。

そう信じていい。


「……この二度目の人生、無駄にはしない」


風だけが、彼の歩みに寄り添い、空中の粒子を静かに運んでいく。

理由は分からないが、胸の奥が少し軽かった。


記憶が、彼を支えていた。

幸福は幻なんかじゃない。

――もう一度、手を伸ばせば届くのだと。

【メンタルフラグメント】


アレクシア(黒):

「えっ!? ソラ、異世界に行ったの!?

 いつからこんな終末系いせかいになったのよ!?」


ユメ(橙):

「ソラ! ユメはどこにいても応援してるよーっ!」


メイ(白):

「ええ。今回はソラを信じるべき」

「……って、え!? ちょ、待って!? ユメ!?

 どうしてここにいるの!?」


アリシア(黄):

「え……? 私の騎士様が……

 薔薇色の粉に……」


メイ(白):

「そんな……ソラが消えるなんて!

 ユメさん、何をしているんですか!?

 やめてください!」


ユメ(橙):

「止めないで!

 愛の力でマルチバース突破するから!」


アレクシア(黒):

「魂リセットされるわよ、この子!

 いいから落ち着きなさい!」


アリシア(黄):

「……どうか、おやめください。

 私を打ち倒したあなたは、誇り高い存在です。

 信じてください……

 信仰を失えば、私たちも立てなくなります」


ユメ(諦観):

「……ソラ、待ってて。

 神を倒してでも、ユメは行くから」


アニス(茶):

「ゆっほー!

 留守の間に何があったの?

 あ、ユメだ〜。やっほ〜♪」


メイ(白):

「……本気で驚いてるの、私だけ?

 それとアニス、あなたは一体どこに行ってたんですか……」


アニス(茶):

「甘いもの探してた」


メイ(白):

「……でしょうね」

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