表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

第6話 望んでいない贈り物

風見 空 が目を開いたとき、そこにはもう列車も雪も存在していなかった。

あるのは、形も境界も持たない、ただの虚無だけ。

――いや、変わったのは世界ではなく、自分自身のほうだったのかもしれない。

彼は「感じ取る」という能力そのものを失っていた。


体の感覚がない。

寒さも、熱も。

肺に空気が満ちる感触さえもない。


それでも――意識だけは、はっきりとそこにあった。


空は動こうとした。必要だったからではない。ただ、試してみただけだった。

だが、何も起こらない。

抵抗も、重さも、距離も感じられない。

まるで彼の存在そのものが、器を失った“概念”のようになってしまったかのようだった。


事故に遭ったのだろうか。

そう考えようとしても、記憶はひどく曖昧で、誰かにかき混ぜられた後のように断片しか残っていない。

それが奇妙であるはずなのに、不思議と不快ではなかった。


時間――もしこの場所に時間と呼べるものがあるのなら――が経つにつれ、彼の意識はさらに薄れていった。

かつて感じていたはずの痛みも、感情も、記憶も、少しずつ溶けるように消えていく。

それは恐怖ではなく、むしろ長い目的を果たそうとしているかのような、妙に心地よい安らぎだった。


そのとき――何かが変わった。


虚無の中心に、ひとつの“存在”が形を取り始めた。


―――

【名前:ソラ・カザミ】

【警告:認知崩壊の危険性】

状態:

・意識:不安定

・コア:回収済み

・転移フェーズ:進行中

―――


その存在は、かつて彼の肉体であった粒子の集合へと手を伸ばした。


「……なに、だ……?」


消えかけていた空の意識が、無理やり引き戻される。


彼を構成していた粒子が集まり、濃い霧のような輪郭を形作っていく。

最初は頼りなかったそれは、次第に密度を増し、やがて“形”と呼べるものになった。

それと同時に、重さが戻り、温度が戻り、空間という概念が彼の中に再構築されていく。


プロセスが終わった瞬間、空はその場に膝をついた。

頭を上げる力すら残っていない。

体は鉛のように重く、思考は現実を理解できずに混乱していた。


それでも、ひとつだけ確かなことがあった。


「……こんなの……ありえない……」

震える声で、彼は呟く。

「冗談だろ……これは……」


―――

【名前:ソラ・カザミ】

状態:

・意識:安定

・コア:回収済み

・転移フェーズ:完了

―――


混乱の中で自分の感情を整理しようとしていたそのとき、声が響いた。


「ほら、空。いつまでも私の部屋に閉じこもってちゃだめでしょう?」


空の動きが止まる。


その声を、彼は間違えようがなかった。

だが顔を上げても、そこに吉住 よしずみ・ゆめの姿はなかった。


彼の前に立っていたのは、顔のない金属の存在だった。

背中からは二対の翼が広がっている。上には白い翼、下には黒い翼。

その姿は、まるで――人工的に作られた天使のようだった。


「……お前は……誰だ?」


混乱したまま、空は問いかける。


【私はこの世界を管理する存在。神、あるいは“エクス・マキナ”と呼べばいい。】


「理解しようとはしてる……でも……」

空は慎重に言葉を選んだ。

「ここに来てから、思考も感情もぐちゃぐちゃだ。……教えてくれ。俺は、死んだのか?」


【確認済み。あなたは人間として修復不可能な構造的損傷を受けた。】


「……そうか……」

空は小さく息を吐いた。

「やっぱり、そうだったんだな……」


思い出そうとすると、雪と、遠くを走る列車の音が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。

それ以降の記憶は、何もない。


――急いでいた。

きっと、事故に遭ったのだろう。


そう理解した瞬間、新たな不安が胸を締めつけた。


家族はどう思うだろう。

友達は。

そして……夢は?


自分の死を受け入れることよりも、大切な人たちを悲しませてしまったことのほうが、耐えがたかった。

だが今となっては、どうしようもない。


そんな彼の思考に重なるように、声が響いた。


【ある。】


「……え?」


空の唇が、無意識に動く。

「……何が……あるんだ?」


【あなたには選択肢がある。ここで休み、物語を終えることもできる。……あるいは、命を救う側に回ることも。選ぶのは、あなただ。】


「……」


沈黙が続く。


やがて、エクス・マキナの姿が変化を始めた。


金属の装甲が再構成され、翼の硬質な輪郭が溶けるように変わっていく。

数秒後、その威圧的な天使の姿は、一人の若い女性へと変わっていた。


透き通るような白い肌。

澄んだ青い瞳。

光の糸のように流れる金色の長い髪。

白を基調とした衣装は、彼女の体を上品に引き立てていた。


その存在は、あまりにも静かで、あまりにも――完成されていた。


「……いま、何をした?」


戸惑いを隠せないまま、空が問いかける。


「このほうが受け入れやすいと思っただけよ」

彼女――いや、エクス・マキナは穏やかに答えた。

「だって、普通の男の子なら、こういう姿のほうが安心するでしょう?」


空は小さく、乾いた笑いを漏らした。

それは緊張の反射に近かった。


「……なるほどな……」


数秒、彼女を見つめる。

確かに美しい。だが彼を落ち着かなくさせているのは外見ではなく、その“儚さ”だった。

そして、どこか――アリシアに似ている。


先ほどまで完全に人工的だった声には、今や妙な“温度”が宿っていた。

それが、最初に現れた金属の天使の姿とひどくちぐはぐに思えた。


【受信。】


その瞬間、乙女の姿がノイズのように歪んだ。


「――コノ声ノ方ガ好マシカ、ヒューマン?」


声は再び機械的になり、悪夢の反響のように歪んでいた。


「気遣いには感謝する」

空は落ち着こうと努めながら言う。

「でも必要ない。あんたが俺の思考を読めることはもう分かってる。……好きな形で話してくれ」


【了解。】


やり取りを挟むことなく、情報が直接、空の脳へと流れ込んだ。

そこには二つの選択肢だけが、簡潔に示されていた。


――

A:安らかな休息。

問題も試練もなく、魂は集合体に溶け、やがて別の生命として再利用される。


B:生き続けること。

できる限り多くの命を救うために、新たな危険と責任を背負う。

――


効率的で、無駄のない伝達。

それでも空は、会話としてそれを受け取りたかった。


「……ずいぶん融通の利かない話し方だな」


「すまない。死んだのは初めてでね」

空は苦笑する。

「本当に俺が役に立つと思ってるのか? あんた自身が地上に降りて助ければいいだろ」


「それはよくある質問だ」

エクス・マキナは淡々と答える。

「神と呼ばれる存在は、極端な場合を除いて直接介入できない。……多くの場所で、人々は病と災厄で死んでいる。悲しいことだと思わないか? 君が受け入れれば、彼らに“希望”を与えられる」


「……断ったら?」


「本気で言ってるのか、空?」

声色は変わらない。

「何百万もの命が失われる。他にも候補はいるが……君が最も適合している」


空は目を閉じた。


ずっと、人を守りたいと思ってきた。

友人たちに言った言葉は嘘じゃない。

母親も、友人も、夢も――置いていきたくなかった。


それでも心のどこかで、叫んでいる自分がいた。

――もう終わりにしろ。

――安らかに眠れ。

――戦うことは、きっと後悔になる。


「……やっぱり、ただ――」


言葉を継げなかった、そのとき。


「約束、あるでしょ。……だから、もう少しだけ、待って」


夢の声だった。


涙が、こみ上げそうになる。

痛い。

胸が、どうしようもなく痛かった。


「彼女だけじゃない」

エクス・マキナが静かに続ける。

「君には家族も友人もいる。それくらい、分かっているだろう?」


「……」


「君は、とても恵まれている」

その声は、優しくも残酷だった。

「だからこそ……諦めてはいけない」


なぜか分からないが、その言葉はひどく胸に刺さった。

だが、否定できなかった。


「……ああ」

空はゆっくりと息を吐く。

「本当に……俺は、幸運だ。だから……逃げるわけにはいかない。最後くらい、誰かを失望させる自分でいたくない」


エクス・マキナは、わずかに頷いた。


次の瞬間、白い空間が、奇妙に温かい光で満ちていく。


***

【アラート:承認確認】

〈アクション:起動プロトコル開始〉

***


―――

【中枢能力:病原核パソジェニック・コア

説明:

あなたの存在には、ウイルスおよび細菌を管理・保存する生体コアが内蔵されている。

この内部生態系は常に進化し、株を蓄積し、最適化される。

感染制御・免疫・病原操作に関するすべての能力は、この病原核に接続される。

―――


―――

【スキル:生体レジリエンス】

説明:

細胞レベルで身体が強化されている。

・病原核に保存された感染症に完全耐性

・毒素、生体放射線、極限環境への高い耐性

・段階的再生:身体は常に最適状態へ回復しようとする

―――


―――

【スキル:病原感知】

説明:

病原核により、病原体・感染個体・ウイルス汚染を本能的かつ正確に感知できる。

・視認前でも感染者の接近を察知可能

・対象を集中観察することで、生体状態(感染、耐性、優勢株、危険度)を解析

・不可視の汚染区域や異常濃度、感染構造体を感知

―――


―――

【スキル:疫病適応】

説明:

病原核内の病原体を進化・変異させ、新たな脅威や目的に適応させる能力。

・内部防御の強化

・個別免疫反応の生成

・攻撃・防御・治癒用のウイルス化合物の生成

―――


―――

【スキル:ウイルス親和】

説明:

病原核から放たれる生体信号により、外部ウイルスはあなたを“上位存在”として認識する。

・周囲のウイルスが沈静化、反応、あるいは命令に従う

・状況次第で感染者が中立化、あるいは即座に味方化することもある

―――


空は動けずにいた。

情報が脳へ直接流し込まれ、その瞬間、怒りが胸に走る。

夢の声を使い……そして今度は、これか。


「……これを……“贈り物”だと思えってのか……」


緊張した声で呟く。


「もっと単純なものを想像してた……炎を飛ばすとかさ。……これは、どう考えても“生物兵器”だろ。英雄の力って感じじゃない」


「落ち着きなさい」

エクス・マキナは静かに答えた。

「道具の価値は形ではなく、使い方で決まる。……注射針も、人を救うことも、傷つけることもできる。君の力も、それと同じ。中立だ」


空は視線を落とし、黙り込んだ。

彼はずっと、医者になりたかった。病に苦しむ人々を救いたかった。


――少なくとも、そう自分に言い聞かせてきた。


だが高校を出たばかりの自分に、医学的な知識などほとんどない。

空は深く息を吸い、気持ちを落ち着かせようとした。


与えられた能力は、あまりにも危険だ。

まるで子供に核兵器を渡すようなものだ。

一度でも使い方を誤れば、世界規模のパンデミックを引き起こしかねない。


「心配はいらないわ」


その存在は穏やかな声で言った。


「誰だって、失敗しながら学ぶものよ。あなたが力を扱えるように、サポート用の“システム”を用意する。必須ではないけれど、役に立つはず」


「システム……?」

空は眉をひそめる。

「ゲームとか、漫画に出てくるあれか?」


「少し違うわ。補助輪や松葉杖のようなものと思って。力を制御する手助けはするけれど、全力で振るえるようにはならない。基本的な情報取得もできるけど……それ自体が武器になるわけじゃないわ。誤用すれば警告も出る」


空は目を細めた。


「どうせ、他にも制限があるんだろ?」


「ふふ……鋭いわね」

彼女は微笑む。

「システムはあなたの脳を演算装置として使う。過度に複雑な処理をさせれば、痛みや強い負荷を感じることもある。でも致命的なものではないわ。……それに、経験値やアイテムショップ、報酬付きクエストなんてものも期待しないで。代わりに、自由は与える。大きな影響を与えさえすれば、それで十分よ」


空は長く息を吐いた。


「……本当に、そこまで自由なのか?」


「言ったでしょう」

エクス・マキナは静かに答える。

「あなたが最善を尽くす限り、それでいい」


条件は悪くない。

そう分かっていても、夢の声を使われたことと、この危険な力だけは、どうしても引っかかっていた。


「……分かった。じゃあ“おまけ”をあげるわ」

彼女は少し楽しそうに言う。

「難しいけど、特別に。どう?」


「おまけ……?」

空は否定しきれない好奇心を向ける。

「どんな?」


彼女はそっと、空を抱きしめた。


「あなたの冒険に、ひとりだけ“同行者”を連れていける。世界を越えて人を運ぶのは大きなコストがかかるけれど……今回は例外」


「……往復自由、とはいかないんだよな?」


「欲張らないの」

彼女は苦笑する。

「連れて来られるのは普通の人間か、少し強い程度の存在まで。誰にするかはあなた次第。詳細はシステムが教えるわ」


「……了解」


彼の頭の中には、すでに無数の疑問が渦巻いていた。


彼女は一歩下がり、空の正面に立つ。

その青い瞳が、何か見えないネットワークに接続されたかのように光った。


―――

【世界:4K-ロウ(通称:テラ)】

〈現状〉

“薔薇色の疫病”と呼ばれるウイルスが、人類のほぼ全域を汚染。

一部の特権階級と高度技術に守られた者のみが“クリーンシティ”で生存している。

感染者はもはや人間として扱われていない。

このままでは、百年以内に人類は絶滅する。

―――


情報は、まるで最初から知っていたかのように、彼の中へ流れ込んだ。


「……そうだ。俺の世界は?」

空はふと尋ねる。

「いつ、戻れる?」


彼女は優しく微笑み、身をかがめて空の頭を撫でた。

空は避けなかったが、喜びもしなかった。


「冒険が終わるたびに、あなたの世界へ戻れる。休む時間は必要でしょう。……まだ、解決すべきことがたくさんある」


「……ああ。ありがとう」


「それじゃ……始めましょう」


【確認】


空は拳を握る。

疲労と違和感は残っていたが、それでも――故郷へ戻る可能性を捨てる理由はなかった。


「……準備はいい。送ってくれ」


白い光が彼を包み、数秒後、その姿は消えた。


【状態:転送完了】

〈有効試行:10〉


虚無に、乙女だけが残る。


やがて彼女の体が、ゆっくりと崩れ始めた。

肌はひび割れ、繊細だった手は濁り、金色の髪は輝きを失っていく。

まるで内側から腐食しているかのように。


痛みを見せることはなかった。

ただ、空がいた場所を見上げ、不気味な微笑みを浮かべる。


そして、その仮初めの美しさは、ついに形を保てなくなり、崩壊した。


【状態:メインタスク再開前、サブタスク確認中】


……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ