表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

第4話 学校の日々・後編

まだ卒業してから、そんなに時間は経っていないはずなのに。

それでも、ソラの胸にはもう懐かしさが広がっていた。


これって、いいことなんだろうか。

それとも――本当に大切な時間を過ごした証、なのか。


「短い間に、いろいろありすぎたな……」


ぽつりと、誰に向けるでもなく呟く。

まさか、ここまで楽しいと思えるなんて。


……正直に言おう。

「ユメの気持ちに対して、俺は最低だった」


最初から、もう少し勇気があれば。

そうしていれば、きっと、もっとたくさんの思い出を一緒に作れたはずだ。


過去は変えられない。

それは分かっている。


それでも――遅すぎたとしても、想いを伝えることができた自分を、少しだけ誇らしく思った。


◇◇◇


二年生の終わり。


ユメは、ずっと強かった。

それだけは、一度も疑ったことがない。


友達は増えた。男女問わず。

でも、俺にとって彼女は、代わりのきかない光だった。


ただ――彼女の身体は、あまりにも弱かった。


体調が悪くなっても、何もないふりをする。

笑って、冗談を言って……まるで、何も怖くないみたいに。


でも。

気づかないわけがなかった。


ある時は、理由をつけて皆を家に集めた。

ある時は、「出かける気分じゃない」と言って、ただ隣にいた。


どんな言い訳でもよかった。

彼女を、一人にしないためなら。


……それでも、何も解決していなかった。

ただ、問題から目を背けていただけだ。


学年末が近づいた頃。

ユメは、学校に来なくなった。


電話をかけても、返ってくるのは同じ言葉。


「大丈夫だよ。すぐ戻るから」


そして、ある日。

小雨の中、友人たちと帰宅していたとき――感じた。


初めて彼女に会ったときと、同じ感覚。


「ごめん。俺、先に行く」


「え? ソラ? どこ行くんだよ?」

ヨウスケの声が聞こえたけど、答えなかった。


走った。


駅にいた。

一人で、立ち尽くしていて……まるで、ずっとそこにいたみたいに。

待っていたのか、迷っていたのか。


濡れてはいなかった。

でも、寒さは厳しかった。

彼女の身体は、強くない。


「ユメ? 何してるんだ。家にいなきゃ……何かあったら、俺が――」


そっと近づく。

心配で、怖くて。


彼女はすぐには答えなかった。

ただ、こちらを見る。


いつも生き生きしていた瞳が――どこか、曇っていた。


「……うん。たぶん、私ってさ。面倒な女なんだよね」


声は、静かで。

遠くて。

いつもの自信に満ちた調子とは、まるで違った。


「可哀想な人」


目に、涙がにじむ。


「な……」


「正直に言って」

彼女は続けた。

「同情してるんでしょ? 私のこと。そんなの、嫌だった。ずっと」


「違――」

言いかけた言葉は、遮られる。


「バカだと思ってる?」

声が震える。

「分かるよ。言い訳してるのも、態度が違うのも。欠陥品みたいな女のそばにいる理由なんてないでしょ」


……命令みたいだった。

でも、その声は壊れていた。


そのとき、父親が現れた。


責める目でも、怒りでもない。

ただ――娘を守ろうとする父親の、疲れた真剣さ。


「ソラくん」

低く、はっきりとした声。

「父親として、私の最優先は娘だ」


ユメに毛布をかけ、車へと導く。

彼女は小さく、「少し外の空気を吸っただけ」「会ったのは偶然」と呟いた。


俺は、雨の中に取り残された。


ずぶ濡れだった。

これまで、病気なんてほとんどしたことがない。

身体が言うことをきかない感覚も、知らなかった。


でも――あのときだけは。

胸が、どうしようもなく痛かった。


ユメは、冗談で不安を隠す。

自信満々に見えて、その奥では怯えている。


それを一番分かっているつもりだった俺が――

彼女を、追い詰めた。


そのとき、問いが浮かんだ。


――どうして、立ち止まって嘆いてる?

彼女は、今も君を必要としているのに。


「……本当に、バカだな」

小さく、自分に言う。


だから。

俺は、探した。


まずは家。いなかった。

次に、昔手伝っていた病院――ユメの家族が経営する場所。


知り合いはいた。

でも、皆、口を揃えて言う。

「ユメはいない」と。


嘘だ。

確信があった。


少し食い下がるだけで、通してもらえた。

そして――ようやく。


「ソラ……?」

驚いた顔。

「どうしてここに? 通さないって――」


「じっとしてられなかった」


深呼吸する。

回り道はしない。

隠さない。


「ユメ。俺と付き合ってほしい。真剣だ」


言葉は、勢いのまま飛び出した。

不器用で、正直で――俺の全部。


「……本気?」


「今までで、一番」


「欠陥品でも? 面倒でも? 離れようとしたのに?」


「それでも」

迷いはなかった。

「好きだ。ユメは、ユメだから」


心臓が、うるさい。


数秒の沈黙。

そして――小さなため息。


「……遅いよ」


「え?」


「もっと派手に転ばないと気づかないと思ってた。でも……悪くなかったかな」


少し照れたように、でも、まっすぐに見てくる。


「ずっと前から好きだったよ、ソラ。でも、気づかないでしょ。鈍くて、迷って、信じられないくらい遅い」


何か返そうとした。

でも、言葉が出ない。


彼女は手を差し出した。

そっと取ると、指を絡めてくる。


離す気は、ないみたいだった。


「じゃあ……これで、付き合ってるってことでいいよね?」


頷いた。

信じられないくらい、幸せだった。


「よかった」

囁いて、手をぎゅっと握る。


「大好きだよ。知ってた?」


俺は、ただ少しだけ彼女の手を強く握り返した。

胸の奥から溢れそうになる感情を、必死に抑えながら。


その瞬間、すべてが噛み合った気がした。

本気で俺を想ってくれる恋人がいて。

頼れる仲間がいて。

母はもういないけれど、父はそばにいる。


――久しぶりに。

本当に久しぶりに。

自分が、ちゃんと満たされていると感じた。


でも、何か言おうとする前に。

ユメが、くいっと手を引いた。


距離が、一気に縮まる。

一瞬だけ、いたずらっぽい笑顔。


そして――


キスされた。


速くて、不意打ちで。

まるで、稲妻みたいな。


目を見開いた瞬間、心臓が跳ね上がる。

……倒れるかと思った。


「えへへ……初キス、だね」


照れたように笑いながらも、どこか自信満々。

頬は、はっきり分かるくらい赤かった。


「ソラがするの待ってたら、何年かかるか分からないし……アニメだったら、二期か映画まで進まないでしょ」


言い方がずるい。


俺は何も言えず、ただ見つめていた。

その反応を、楽しんでるみたいに。


彼女は、もう一度しっかりと手を握る。

――離すつもりは、ない。


そして。

今度こそ、俺は逃げなかった。


身を乗り出して、彼女に応える。

驚かせるだけじゃない、ちゃんとしたキス。


そのあとの日々は、穏やかだった。

……もしかしたら、穏やかすぎるくらい。


ユメと俺は、いつも通り話した。

笑ったり、黙ったり。


二年生の終わりは、

あたたかい記憶と、ふいの抱擁と、

言葉のいらない視線で満たされていた。


体調は、相変わらず安定しなかったけど。

彼女は「平気だよ」と言い続けた。


だから俺は、心の中で誓った。

どんな状態でも、彼女を愛する、と。


俺の人生で――

彼女は、唯一の例外になった。


怖くなっても。

迷っても。


それでも、隣にいる。

一緒に歩く。


だって、これで終わりじゃない。

俺たちの物語は――

まだ、始まったばかりだから。


◇◇◇


歩き出すと、周囲に積もる雪が、さっきよりも増えていることに気づいた。


「……雪が降っても、降らなくても。結局、いつもの道だな」


もうすぐ、この道を通る必要もなくなる。

大学へ行くには、別のルートがある。


いよいよ、医学部での生活が始まる。

ずっと望んでいたことだ。


「……ちゃんと、全部の授業に間に合うかな」


苦笑しながら呟く。


高校のときですら、遅刻しかけた日があった。

大学は、もっと遠い。


……ちゃんとしないとな。

これも、成長ってやつだろう。


◇◇◇


三年生


朝の光が、閉じたカーテンの隙間から容赦なく差し込んでくる。

ゆっくりと、ドアが開いた。


「……父さん」

半分眠ったまま、呟く。

「勝手に入らないでって言ってるだろ」


「息子よ」

腕を組み、苦笑する。

「ここは私の家だ。ほら、急ぎなさい。初日から遅刻するぞ。ユメちゃんがいないからって、気を抜く理由にはならん」


時計を見る。


「……やばっ! 7時35分!?」

飛び起きた。

「8時からだろ、授業!」


慌てて着替え、パンを一切れ掴み、

鞄を肩にかけて飛び出す。


なんとか、バスには間に合った。


三年生の初日から遅刻なんて、さすがに避けたい。


道中は意外と早く、

降りてから少し歩けば、もう校門だ。


……助かった。


「おーい! ソラ!」


背後から、聞き慣れた声が飛んできた。


振り返ると、そこにいたのはヨウスケ。

俺にとって、最初で、最高の親友。


「ヨウスケ!」

思わず笑顔になる。

「休み前から会ってなかったよな」


「まあな……ちょっと、特定の女子に目をつけられたくなくてさ」

そう言って、茂みの方を警戒するように見回す。


「え? どういう意味だ?」


「うーん……やっぱ忘れてくれ。まあ、どうしても聞きたいなら――」


「はーい、ソラ! ヨ・ウ・ス・ケ~!」


やけに明るい声が、後ろから割り込んできた。


振り返る。

近づいてくる二人の少女。


明るい栗色の髪と瞳、いつも通り眩しい存在感のアニス。

そして、少し小柄で、白い髪と白い瞳を持つメイ。

柔らかな雰囲気だけど、感情が読みにくい。


アニスは真っすぐヨウスケに近づき、

無邪気とは言い難い笑顔を向けた。


「ねえ、ヨウスケ。何を言おうとしてたの?」


ヨウスケの顔色が一気に変わる。


「あ、えっと……あはは! 俺も記憶障害かな。医者に診てもらったほうがいいかも」

頭をかきながら、必死の作り笑い。


「こんにちは、ヨウスケ。こんにちは、ソラ」


メイが静かに挨拶する。

いつも柔らかな声だけど、今日は少し元気がなかった。


アニスは笑顔のまま。

でも、視線が合った一瞬だけ――表情が固まった。


それに気づいて、ヨウスケが口を挟もうとする。


「ねえちゃん――」


次の瞬間。

アニスがヨウスケの襟首を掴んだ。


「何て言ったの?」

にっこりと、かなり危険な笑顔。

「よく聞こえなかったんだけど。もう一回、言ってくれる?」


アニスはまだ、

ヨウスケが自分の姉と付き合っていることも、

将来、家族になるかもしれないことも、受け入れていない。


普段は全力で無視。

でも、こういうときだけは別だった。


「い、いや、アニス!」

即座に言い直す。

「ごめん、俺が悪かった! あ、そうだ。こないだ母さんの誕生日でさ……ケーキが少しあるんだけど、どう?」


アニスの目が輝いた。


「……ケーキ?」


空気が一変する。

まずヨウスケを値踏みするように見て、

次にケーキ。


そして、小さくため息。


「……あれ? 私も記憶がおかしいみたい。何を言おうとしてたんだっけ?」

大げさに言いながら、妙に丁寧な動きでケーキを受け取る。

「ほんと、どうかしてるわ」


それを大事そうに鞄にしまってから。


「悪くない供物ね。ありがとう」


「メイ。君が作るほどじゃないけど、あとで一緒に食べよ」

アニスが付け足す。


メイは小さく微笑んだ。

でも、その笑顔は、目まで届いていなかった。


そして、アニスは俺を見る。


「おめでとう、ソラ。ユメと付き合い始めたんだって?」

「すごい変わりようよね。前は、完全にぼっちだったのに」


「え? なんで知ってるんだ?」


「ソラ。女の情報網、甘く見ないことね」

平然と答える。


俺はメイに視線を向けた。

どこか落ち着かない様子。


「そういえば、メイ。大丈夫か? ちょっと緊張してるように見えるけど」


近づこうとした瞬間、アニスが間に入る。


「近づきすぎ。メイは風邪明けなの」


メイはすぐに頷いた。


「うん……まだ少し弱ってるだけ。でも、もう平気」


――嘘だ。

メイは風邪なんてひいていない。


それでも、俺はそれ以上踏み込まなかった。


「そっか……無理するなよ」


「ありがとう……」

小さな声。


アニスはメイの手を優しく取って、そのまま二人で離れていった。


その背中を見送るとき。

メイが、ほんの少しだけ振り返った気がした。


その表情に浮かんでいた影。

……気のせい、だったのかもしれない。


「ヨウスケ」

二人の姿が消えてから言う。

「もう行ったぞ。壁と一体化するのやめろ」


「はあ……助かった」

安堵の息。

「非常用のお菓子、まだ少し残ってるけどな。アニスにやられる前に」


「アニスは優しいだろ」

俺は言った。

「落ち着いて対応すればいい」


ヨウスケは、真剣な目を向けてくる。


「……それは、お前があの家に婿入りする予定じゃないからだ」

小さな声。


「え? 何か言ったか?」


「いや。なんでもない」

それから、少しだけ表情を和らげる。

「ユメと付き合えてよかったな。年末にいなくなったときは心配した。大金失うところだったし」


「……今、俺の人生で賭けてたって言ったよな」

「ここまで来ると、もう驚かないけど」


アレクシアは、すでに大学へ進学している。

残るのは、あと一人。


「よく私のガーディアンを務めてくれました。でも、少し休んでもいい頃合いです」


胸に手を当て、穏やかに微笑むアリシア。


俺とヨウスケは顔を見合わせた。

……まだ、そんな話し方してたっけ。


「どうしたんだ、姫様」

困惑して聞く。


「まるで、傷ついた馬でも処分するみたいだな」

ヨウスケも付け足す。


「そんな残酷なこと、するわけないでしょう!」

即座に否定するアリシア。

「それに、その馬を養うお金だってありますし……って、話が逸れましたね」


少し咳払いしてから、続ける。


「今は、この結果を受け入れます。少なくとも、今は」

「あなたはもう、私のガーディアンではなく、ただのソラ」


少し考えて。


「……でも、それだと少し寂しいですね。やっぱり、ガーディアン。もしくは、騎士」

「あなたは、私にとってそういう存在ですから。こっちの方が好きですし、もう慣れました」


「別に、構わないよ」

俺は言った。

「ガーディアンでも、騎士でも。しばらくは、まだ一緒だしな」


アリシアは小さく笑って、視線を逸らした。

それでも、頬がわずかに赤いのが見えた。


「……決まりですね」

小声で。

「そう考えれば、まだ一年はありますし。状況を覆す時間は」


冗談とも、本気ともつかない言葉。

誰も、答えなかった。


こうして。

小さな笑い声と、始まりの中にある別れの気配を抱えながら。


俺たちは、またいつもの学校生活へ戻っていった。

――この穏やかな日々が、永遠に続けばいいと、密かに願いながら。


◇◇◇


けれど、いつかは終わる。

それは、避けられない。


時間は進む。

望もうと、望むまいと。

やがて、誰もが歳を取る。


「……ヨウスケ、アニスのお姉さんと結婚するのかな」

雪が、静かに舞い落ちるのを見ながら、微笑む。


「それを、ユメと一緒に見られたら……楽しそうだな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ