第30話 残酷な夢
教室の時計が鳴り、授業の終わりを告げた。
普段なら、その音を聞くだけでクラスメイトたちは一斉に活気づく。……もちろん、俺だって同じだった。
でも今回は違った。
胸の奥がぽっかりと空いている。まるで、何か大切な勝負に負けてしまったみたいな感覚だった。
「守護者、元気ないの? よかったら話、聞こうか?」
そう声をかけてきたのはアリシアだった。
金色の髪に、澄んだ青い瞳。
機械にはあまり強くなくて、自動販売機がうまく使えないだけで本気で慌ててしまうような子だ。
……彼女に「守護者」と呼ばれると、不思議と懐かしい気持ちになる。
とはいえ、最後に会ってからそこまで長い時間が経っているわけでもないはずなんだけど。
「いや、落ち込んでるわけじゃないよ。ただ……人生について少し考えてただけ。心配してくれてありがとう」
できるだけ自然に笑いながら、俺は机の上の荷物を片づけ始めた。
「……そう? 守護者がそう言うならいいけど。じゃあ、少しだけ一緒に帰らない?」
けれど、俺が返事をする前に、何人かの男子がアリシアに話しかけに来た。
彼女の見た目は目立つから、どうしても注目を集めてしまう。
本来なら、俺がこういう状況をうまく切り抜けてやるべきなんだろう。
……でも、今はそんな気分じゃなかった。
それに、アリシアは強い。
もし何かあっても、きっと自分で対処できるはずだ。
大丈夫。
世界はちゃんと回っている。
俺が今いちばん気にするべきことは、もっと単純なことだ。
――ユメと交わした約束を守るために、友達を作ること。
そして、その目標はすでに少しずつ叶っている。
ヨウスケもいるし、アリシアもいる。
そのおかげで、そして自分でも驚いたことに、俺の高校一年目は想像していたほど孤独なものにはならなかった。
教室を出ると、ドアのすぐ前に一人の女子が立っていた。
茶色の髪をポニーテールにまとめた女の子だ。
……ああ。
そうか。この日が、俺たちの出会いの日だったのか。
今となっては、ずいぶん遠い昔の出来事みたいに感じる。
「やっほー! 元気?」
彼女は、まるで前から知り合いだったみたいな気軽さで声をかけてきた。
俺は視線を逸らし、そのまま通り過ぎようとする。
あの時の俺は、きっと誰か別の人気者と間違えているんだろう、と思っていた。
当時の俺は、あまり自信がなかった。
ああいうタイプの人間は、自分とは違う世界に生きている存在だと本気で思っていたから。
「ねえ、無視するの? ひどくない?」
彼女は食い下がるように言った。
「君だよ、君! 一年のソラくん!」
俺は足を止め、彼女の方へ視線を向ける。
正直に言えば、あまり多くの人と関わるのは得意じゃない。
そういうのをうまく処理できるタイプでもない。
でも――
少しずつでも、自分の殻を破ろうとはしていた。
「そうそう、それそれ! ちょっと話したかっただけなのに。感じ悪いなあ」
彼女は小さく頬を膨らませ、それから続けた。
「私はアニス。で、君がソラくんでしょ?」
「うん……よろしく。俺の名前、どうして知ってるの?」
「え? だって同じ学年じゃん」
あまりにも当たり前のように、彼女はそう言った。
初対面の時から、彼女がとても社交的な人間だというのはすぐに分かった。
「それにさ、学校で言われてるほど怖い人じゃないね」
「ありがとう……って言っていいのか、それ」
その瞬間だった。
視界の端が、突然赤く染まった。
何が起きているのか分からない。
無意識に額へ手をやる。
指先に触れた感触は――妙にぬるりとしていた。
手のひらを見る。
そこには、血がついていた。
大量の血が。
「……なんだよ、これ。俺の体……どうなってるんだ?」
[精神状態:不安定]
[シナリオを修正中……]
突然、頭の中が痺れたように鈍くなった。
……ここはどこだ? 何が起きている?
顔を上げる。
目の前にはアリシアとアニスが立っていた。
「守護者……ソラ、しっかりして。
この子、誰?」
アリシアがアニスを指さして尋ねる。
どうやら――この瞬間が、二人が初めて出会った時だったらしい。
「え、今“守護者”って言った? わあ! 本当にお姫様だったの?
でも納得かも。だってすごく綺麗だし!」
アニスは目を輝かせながら続けた。
「うわー、本当に可愛い彼女じゃん!
ソラってめちゃくちゃ運いいね!」
「実は、まだ付き合ってるわけじゃないの。……まだね」
アリシアは驚くほど落ち着いた声でそう答えた。
「へえ、なるほど。興味深い情報だね」
アニスは、まるで重要な発見をしたかのように頷いた。
二人の会話は続いていた。
けれど、その遠くで――不気味な音が聞こえた。
憎しみと絶望に満ちた叫び声。
それに、銃声。
「……今の、聞こえた?」
俺がそう言うと、二人は不思議そうにこちらを見る。
「大丈夫だよ。落ち着いて」
アニスが言った。
「後で後悔するようなことはしないで」
二人は、まるで打ち合わせでもしたかのように同時にそう言った。
……でも、その言葉は俺を安心させなかった。
むしろ、胸の奥に黒い感情が膨れ上がる。
まるで――
俺を操ろうとしているみたいだった。
[警告:対象は外部刺激の無視を拒否]
[感覚抑制:効果低下中]
その時だった。
アニスが誰かを引きずるように連れてきた。
まるで子猫を運ぶ母猫みたいな雑な持ち方だ。
「紹介したい子がいるの!」
彼女は嬉しそうに言った。
白い髪の少女だった。
緊張で汗をかき、手は落ち着きなく動いている。
「ア、アニス! 何してるの!?
こんなことになるなんて聞いてないよ……」
少女は慌てて抗議した。
でもアニスは、完全に無視した。
「ソラ、この子はメイ。
私のクラスメイトなんだ」
「ぁ……あ、あの……こんにちは……」
メイは、ほとんど視線を上げずに小さく囁いた。
俺は軽く会釈する。
「よろしく。会えて嬉しいよ」
「は、はい……ありがとう……」
か細い声だった。
穏やかな光景。
むしろ、どこか微笑ましいくらいの場面。
――なのに。
その背後では、叫び声が止まらない。
なぜか分かった。
あの声は、どこか聞き覚えがある。
必死だった。
絶望していた。
……まるで俺を呼んでいるみたいに。
学校の壁が、ゆっくりとひび割れ始めた。
床は、桃色の粉塵に覆われていく。
他の生徒たちの足音と話し声が、
引き裂かれるような悲鳴と混ざり合った。
「彼だけが……みんなを救えたのに!
どうしてそんなことができる!」
誰かの声が廊下の奥から響いた。
アニスは友達と笑いながら遊んでいた。
けれど、その笑い声は――
突如鳴り響いた銃の連射にかき消された。
クラスメイトたちが、同時に口を開く。
「一人も生かすな」
「その害虫どもを始末しろ」
「人間のふりをするな。気持ち悪い」
[致命的エラー:精神崩壊進行中]
学校の世界が崩れ始めた。
メイがこちらへ手を伸ばす。
――だが、その腕は途中で切断された腕へと変わった。
アリシアが何か言おうとする。
けれど、その声は炎に焼かれた絶叫に変わる。
アニスの体は、煙と火薬の奔流の中で崩れ散った。
音がうるさすぎる。
銃声。
ネズミの甲高い鳴き声。
骨が砕ける音。
そして、そのすべての中に混ざる――
見知らぬ男の冷たい声。
「一人も逃がすな」
……
もう聞きたくない。
これ以上、続けてほしくない。
どうでもいい。
方法なんて何でもいい。
――ただ、終わってほしい。
その瞬間、景色は桃色の粉塵となって崩れ去った。
[シナリオ修正中……エラー]
いや……
いや、いや、いや。
もういい。
もうこんなクソみたいなシナリオは要らない。
終わらせろ。
すべてが、また桃色の粉塵へと崩れた。
[シナリオ修正中……エラー……エラー]
まただ。
周囲の世界が、再び桃色の粉になって消える。
[シナリオ修正中……エラー……エラー……エラー]
次々と新しいシナリオが生成される。
だが、完成する前に――すべて粉塵となって崩れていく。
[シナリオ修正中……お願い、やめて]
……嫌だ。
もう従うつもりはない。
[後悔するようなことはしないで]
俺は誰かの玩具じゃない。
好き勝手に弄ばせるものか。
――俺には力がある。
望めば、状況を変えることができる。
そうでなければならない。
……絶対に。




