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第28話 歪んだ救済

POV ――ダザイ


どれほどの時間が過ぎたのか、もう分からなかった。

俺たちにとって、「時間」という概念そのものが意味を失っていた。


最初は――まるで昔に戻ったような気がしていた。

薔薇色の疫病に怯えることもなく、ただ生きていた、あの頃のように。


だが、それは幻想だった。


やがて、俺たちの肉に新たな桃色の瘤が芽吹き始める。

より深く、より濃く。

そして痛みは、内側からじわじわと膨れ上がっていった。


ふと、胸の奥に疑念がよぎる。


――これは、本当に救いなのか?


だが、その考えはすぐに溶けた。


俺たちは信じるべきだった。

過去を問わず、等しく手を差し伸べてくれたあの人を。

俺たちが何をしてきたか知りながら、それでも「救済」を与えようとした存在を。


この苦しみは……きっと、もっと大きな何かの一部だ。

今はまだ理解できないだけで、必ず意味があるはずだ。


身体を動かすことが、次第に困難になっていく。

それでも、信仰だけは失わなかった。


気づけば、俺たちは互いに寄り添い――

距離という概念そのものが、無意味になっていた。


筋繊維が裂け、再び結び直される感覚。

どこまでが自分の身体で、どこからが他人なのか分からなくなる。


離れようとした。

だが無理だった。


いや――そもそも「自分の身体」など、もう存在していなかったのかもしれない。


耐え難い感覚だった。

意思とは無関係に、歪んだ音が“口らしきもの”から漏れ出す。

視界が真っ白に弾ける瞬間もあった。

意識が溶けていく。


だが、そのたびに引き戻される。

まるで「失うこと」を許されていないかのように。


どうして、こんなことになったのか。

そればかりを考えていた。


――そして、理解した。


これこそが救済なのだと。


もう俺たちの間に差異はない。

誰かを利用することも、踏みにじることもない。


二度と、残酷になることはない。


なぜなら――


俺たちは、ひとつになったのだから。


◇ ◇ ◇


POV ――ソラ


アメリアが仲間に加わってから、数週間が経っていた。


人は去り、また増える。

アメリアやゲーン、ラエルのように親しい者もいれば、短い時間だけ共に歩む者もいる。


常に同じ顔ぶれではない。

けれど、確実に――数は増えていた。


「ソラ様、」前を歩きながら、ゲーンが穏やかに口を開く。

「最近は順調ですね。多くの方を救えました」


「そうだね」私は頷く。

「人数が増えるのはいいことだけど……その分、背負うものも増える」


私は一人しかいない。Rエヴォ・ウイルスは自己増殖しない。


この世界はすでにRウイルスに侵されている。

私の“変異体”は、私が直接治した者の体内でしか生き続けられない。


だから今は、かつてアメリアと出会った時のように、長く留まることはしない。


助けを望まない集落に時間を費やさない。

素早く入り、受け入れる者を癒やし、そして去る。


拒むことはしない。


たとえ――アメリアを傷つけた者のように、救いなどないように見える人間であっても。


願いはひとつ。

彼らが加わること。

もう誰かを傷つけないと選んでくれること。


……時々、私は迷う。

それでも後悔はしない。


後悔すべきことなど、何もしていないのだから。


今日辿り着いたのは、数百人規模の大きな集落だった。

これまで見た中でも最大級だ。

アメリアと出会ったあの場所に匹敵する。


今回は彼女が、代表者と話すと言い出した。


私は承諾した。

けれど――胸の奥が少しざわつく。


巣立ちを見守る気分だ。

……まあ、噛みつく小鳥だけれど。


「ふざけるなぁっ!! よくも救済そのものに無礼を働けるな、このクズどもっ!!」


怒号が響く。

年上の男たちを相手に、アメリアは容赦なく罵声を浴びせていた。


……彼女が育った環境を、私は知っている。

染みついた言葉遣いは、簡単には消えない。


「チッ……帰れ」

男のひとりが吐き捨てる。

「宗教ごっこなら他所でやれ。俺たちは興味ねぇ」


「何も知らないくせにっ!!」

アメリアは震える声で叫ぶ。

「私みたいなのに手を差し伸べてくれた、唯一の人なんだよ!? 疑うなんて許さない!!」


……任せるべきではなかったかもしれない。


だが同時に思う。

成長には必要な衝突もある。


隣ではラエルが目を細めていた。


「本当に成長が早い……」

どこか誇らしげに。

「ソラ様の伴侶に相応しいでしょう」


「若者は若者らしくあるべきですね」

ゲーンも頷く。

「それで、いつあいつらの骨を折りますか?」


「ゲーン、やらないよ」

私は静かに言う。

「救いの余地があるなら、忍耐強くあるべきだ」


このまま長引くなら、少しだけ強制的に“聞いてもらう”ことも考えたが――


「うるせぇっ!!」

男のひとりが吐き捨てた。

「顔がマシだからって調子に乗るな」


「救済に辿り着いたからだよっ!!」

アメリアは叫ぶ。

「今度はあんたたちを――」


言葉は、そこで途切れた。


汚れた包帯を巻いた男が、布に包んだ刃物を抜き、彼女へ飛びかかる。


「アメリア!」


考えるより早く、体が動いた。


刃が、私の手のひらを貫く。


――痛い。


けれど、顔には出さない。

数秒もあれば再生する。

耐えればいい。


「ソラ……?」

アメリアの声が震える。

「そんなこと、しなくてよかったのに……」


「大丈夫だよ」

私は笑みを作る。

「騎士は、淑女を守るものだからね」


幼い頃、ユメの母に教わった言葉。

なぜ今、異世界で、彼女ではない少女に向けて使っているのだろう。


……きっとユメも、その母も、誇りに思ってくれるはずだ。


アメリアの瞳が、きらりと輝いた。


――また、か。


どうやら私は、本気で誤解を生みやすい話し方をしているらしい。


「――動くな」


襲いかかってきた男に、私は静かに告げた。


効果は即座に現れる。


貫かれた手とは逆の手を、彼の肩に置く。

男の目が大きく見開かれた。


全身が硬直する。

顔に浮かんでいた腫瘍が、みるみるうちに萎み、内部に溜まっていた汚濁した液体が滴り落ちていく。


――高速治療。


ただ、見せるためだ。

私がどれだけ“有効”なのかを。


男は小刻みに震えていた。

急激な変化による痛みだろう。


……少しくらいの罰だ。

襲いかかってきたのだから。


それでも彼は、数分前よりは確実に良い状態になっている。

それが重要だ。


「もう大丈夫だよ」


私は穏やかに言った。


「受け入れるのは難しいかもしれない。明日まで時間をあげる。覚悟ができたら、私たちの拠点へ来て。残りの人も治そう」


それだけ告げ、私は背を向ける。


これ以上、ここに留まる理由はない。


仮設キャンプには、すでに治療を終えた人々が何人も残っていた。

多くは新たな感染者を探しに出ている。


近いうちにこの地を離れるつもりだ。


もしこの集落の人々が、ただ怯えていただけなら。

不快な存在でなければ。

きっと全員が、私たちと歩める。


……もし違ったとしても。


私は、できる限り手を差し伸べる。


一瞬、脳裏に桃色の歪な塊がよぎった。


だがすぐに消える。


最近はRエヴォ・ウイルスで多くを治している。

少し疲れているだけだろう。


問題はない。


努力を止めてはいけない。


誰にだって――二度目の機会は必要なのだから。


◇ ◇ ◇


POV ――ジョン


数日前、俺たちは“捕獲任務”に出ていた。


報告を上げた途端、返ってきたのは不満の声ばかりだ。

どうやら、俺に対する反感はさらに強まっているらしい。


……理解はできる。

俺だって、全員を生かして連れて帰れと言われるのは気分が悪い。


「リンネ、殺しすぎじゃないか?」


分隊の通信回線で問いかける。


返答は即座だった。


『必要だったわ。敵対的だったし、それに――もう十分サンプルは確保してる』


迷いのない声。


俺のことが気に入らないのは分かっている。

それでも、今は任務が優先だ。


特殊コンテナを積んだ車両には、すでに数体の“検体”が収容されている。

全体として成果は悪くない。

規定範囲内だ。


「了解。だが任務目的を忘れるな」


戦死者が出た場合は、報告書の提出のみで済む。

つまり上層部は、感染者全員を生かすことへの反対をある程度織り込んでいる。


「このまま前進。二時間後に補給のため帰還する」


特に異常はない――そう思っていた。


数分後、分隊員の一人から通信が入る。


『学校の中で、肉の山みたいなものがうめいてるのを見つけた。何なのか分からない。座標を送る』


意味不明だ。


「了解。その場で待機。十分以内に全員集合する」


本当なら重要だ。

“白の都市”の研究対象になり得る。


「全員、座標へ移動。武器を準備しろ」


もし幻覚――薔薇色の疫病による精神汚染なら、即座に処理する。


到着したのは廃校だった。

他と同様、建物の一部は薔薇色の疫病に侵食されている。


だが濃度はそれほど高くない。

腐食作用も限定的だ。


校庭の中央。


そこにあったのは――


桃色に脈打つ、巨大な肉塊。


ゆっくりと膨張し、収縮する。

まるで呼吸しているかのように。


その表面には、無数の眼球が埋め込まれていた。

焦点の定まらない視線が、あらゆる方向を向いている。


そして――


くぐもった呻き声。


絶え間なく、苦痛を訴えるような音が漏れ続けていた。


「なんだよ……あれは」


ロレンツォが低く呟く。


俺はすぐに冷静さを取り戻した。


「撃つな。研究対象になる可能性がある」


あれには四肢が見当たらない。

自力で移動できるようには見えない。


少なくとも、今この瞬間は比較的安全だ。


回収は不可能だろう。


研究班へ報告するしかない。

あれが何なのか――答えを持っているのは、連中だけだ。

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