第25話 甘い夢 ― 後編
POV――ダザイ
“それ”は、最下層の連中の前でぴたりと足を止めた。
「さて……君たちは、どんな人間なんだい?」
妙に静かな声だった。だが、その静けさが逆に不気味だった。
「嘘はつけないよ。……分かるよね?」
――は? 何を言ってやがる。
こんな状況で、正直者が生き残れるわけがない。危機の中じゃ、誰だって生き延びるために何だって口にする。
それなのに、ソラは一人ずつ問いかけ始めた。本気で“本音”を聞き出せるとでも思っているように。
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
あれがこっちに来たら――まずいことになる。
「ここを出るぞ。全員まとめろ」
俺は部下に低く命じた。
必要なら、他の連中は切り捨てる。それでも構わない。あれと同じ空間に閉じ込められるよりはマシだ。
だが、その瞬間だった。
ソラが一人の男の手首を、何の前触れもなく掴んだ。
「手短にいこう。これで、僕が嘘じゃないって分かるといいんだけど」
男は振り払おうとした。だが、体が動かない。腕がぴくりと震えるだけで、見えない何かに押さえつけられているようだった。
次の瞬間、絶叫が響いた。
男は膝から崩れ落ち、必死に後ずさる。だが、ソラは手を離さない。
……どうせ、こいつへの憎しみが増すだけだ。
そう思っていた。
だが――
俺たちの目の前で、男の腐った皮膚が変化していく。
腫れ上がった桃色の瘤が、みるみる縮んでいく。
まるで、陽に照らされた雪のように。
すべて、消えた。
「はい、終わり。さすがに一気にやると疲れるけど……価値はあったよね?」
男は震える手で顔を触る。
「お、俺……治ってる……」
ソラはその言葉を遮った。
「おめでとう。君はそれに値しないけどね。……でも、また元に戻りたくないなら、これからは“いい子”でいることだ」
にこり、と笑う。
「これで分かったでしょ? 僕が何をできるか」
「信じるか! そいつはお前の仲間だろ!」
俺は怒鳴った。支配を断ち切ろうとするように。
だが、声は空気に溶けた。
ソラは、こちらを見もしない。
まるで、足元の虫でも見るような無関心さ。
「僕の提案は、みんなに開かれてるよ。怖がらなくていい。ただの“新しい仲間”で、“友達”だから」
ざわめきが広がる。
絶望に沈んでいた何人かが、一歩踏み出す。
……その中に、俺の部下も混じっていた。
「ボス……本当かもしれません」
顔面蒼白のまま、そいつは囁いた。
くそ。
あのガキ、俺たちの縄張りで好き放題やりやがって。
全員が健康を取り戻せば、俺たちの優位は消える。しかも、助けられた連中が俺たちを恨み始めたら終わりだ。
その時、気づいた。
最初の一人を治したあと、ソラの目元から赤い線が伝っていた。
……そうか。
使える。
「……なるほど」
口元が歪む。
「利用できるな」
俺は素早く部下に耳打ちし、すぐに奴の周囲へと陣取った。
「嘘だ! さっきの男は仲間だ!」
「本当に治せるなら、最初から全員やってるはずだろ!」
「証拠を見せろ!」
声を重ね、疑念を煽る。
さっきの一人で、明らかに負担が出ていた。
なら、立て続けに何人もやらせたらどうなる?
ボロボロになるなら、その時に押さえ込めばいい。
舌を引き抜けば、命令もできなくなる。
仮に失敗しても損はない。何人かは治る。
どっちに転んでも、俺たちの勝ちだ。
「なあ、坊や」
俺は穏やかな顔を作る。
「まだ信じきれない奴も多い。君が選んだ相手だしな。仕込みじゃないと、どう証明する?」
わざと間を置く。
「もっと証拠を見せるべきじゃないか? 俺は敵じゃない。公平な男だ。……俺が選んでやるよ。君が治す相手を」
ソラは首をわずかに傾げた。
「利用するつもり?」
「違うさ。新しい友達を“信じる”だけだ」
完全に治らなくてもいい。改善すれば十分。
“確実に治る”と謳い、労働と引き換えに人を集める。
噂を操作すれば、俺たちは“提携者”だと信じ込ませられる。
最後に笑うのは俺だ。
あの甘ちゃんが泣きを見る。
「ふふ……やっと分かってきたね。もっと早くそうしてくれたら良かったのに」
……気味が悪い。
そうだ、気味が悪いはずだ。
――本当に?
俺の考えが、どこか揺らぐ。
何だ、この違和感。
いや、今は関係ない。
「いいよ」
ソラはあっさり頷いた。
「僕らは時々、誰かの手を必要とするからね。……君の一番忠実な仲間を連れてきなよ」
「全員、即座に治せ。最初みたいに」
俺は自分を除外するつもりだった。
こんな体には慣れている。余計なことをされるリスクは負いたくない。
後で聞かれたら、“より重症な者を優先した”と言えばいい。
「はい、並んで。すぐ終わらせるよ」
……なのに。
どうして、俺まで動いた?
気づけば、列に並んでいる。
俺が実験台になるはずじゃない。
抜けようと思えば、抜けられる。
抜けられるはずだ。
俺は――望んでいる?
「さて……君は、どんな人間?」
一人ずつ、同じ笑顔を向ける。
「みんな、自分に相応しいものを受け取れるといいね」
笑みが深まる。
だが、その目は。
焦点が合っていない。
何もない虚空を見つめているような、濁った瞳。
一瞬、本能が叫んだ。
逃げろ。
離れろ。
これは――何かが、おかしい。
俺の体は、動かなかった。
順番が回ってきたらしい。
「さあ……君の答えは?」
ソラの声が、すぐ目の前で響く。
その瞬間、頭の中が一瞬だけ真っ白になった。
――何かが、切れた。
気づけば、俺の唇が勝手に動いている。
何を言った?
俺は、何と答えた?
しくじったのか?
……いや、違う。
ただの思い込みだ。緊張しすぎただけだろう。
目の前にある、あの歪んだ笑みも――見間違いだ。
最近、少し疲れていただけだ。そうに決まっている。
それ以上の意味なんて、あるはずがない。
「終わり。じゃあ、通してくれる? 僕らは友達同士、だよね?」
「はは……ああ、もちろんだ」
遠ざかっていく背中を見送りながら、俺は笑った。
「また来いよ、友達」
“友達”。
なんて馬鹿げた言葉だ。
なのに――
なぜか、悪くない響きだった。
すべて終わった。
あの少年は、何人かを連れて去っていった。
だが構わない。
俺も、治ったのだから。
何年も俺の体を蝕んできた桃色の腫瘍は、跡形もなく消えている。
健康だ。
あいつが、可能にした。
俺たちが何をしたかなんて関係なく、救ってくれた。
過ちを――赦してくれた。
……なら、この胸の奥に広がる圧迫感は何だ?
違う。
痛みじゃない。
そんなはずはない。
俺は健康だ。そう言ったのは、あいつだ。
あいつが言ったのなら――
それは、真実だ。
◇◇◇
POV― ソラ
最初は、驚くほど順調だった。
「誰も虐げていない」と答えた男を一人、治した。
本心かどうかは分からないけど、手早く結果を見せる必要があった。
だから、一気にやった。
少し苦しそうだったけど、我慢してもらうしかない。時間をかけていられなかった。
「おめでとう。君はそれに値しないけど……また元に戻りたくないなら、これからは“いい子”でね」
結果を見せると、人は簡単に動く。
次々と、僕の後ろに人が集まり始めた。
【警告:精神負荷が限界に接近。即時休息を推奨。】
頭の奥に情報が流れ込む。
……最近、これうるさいな。
無理やり完全治癒を高速でやったせいで、頭がずきずきする。
まあ当然だよね。急激に変質させたんだから。
下手をすれば、治療中の人間が桃色の肉塊になって弾け飛んでいたかもしれない。
でも、見せれば信じるはずだ。
……みんな、信じてくれるよね?
確かに、こいつらはアメリアが苦しんでいても何もしなかった。
こんな腐った場所で、ただ生き延びるだけだった。
それでも。
人は、きっかけさえあれば変われる。
誰かが手を差し伸べればいい。
僕がやらなきゃいけない。
大人として、ちゃんと。
「もっと証拠を見せるべきじゃないか? 俺が選ぶ」
ダザイの提案は、むしろ都合がよかった。
誰を切り捨てるか――
誰を“救う価値がある”か。
選別が楽になる。
……僕、何してるんだろう。
「全員、即座に治せ」
一瞬、自分がここに来た理由を見失いかけた。
でも、すぐに思い出す。
救うためだ。
まとめるためだ。
誰も虐げない場所を作るためだ。
「並んで。すぐ終わらせる」
本当は、完全治癒には一〜二日かかる。
Rエヴォ・ウイルスに体を適応させる時間が必要だから。
でも、もう一か月ここにいた。
少しくらい無茶しても、いいよね。
一人、また一人。
「君は、どんな人間?」
返ってくる答えは、どれも似たり寄ったり。
期待するだけ無駄か。
頭痛は、触れるたびに強くなる。
でも顔には出さない。
早く終わらせる。それが一番楽だ。
……うん。
きっと、これでよかった。
全部終わったあと、助けを求めた数人だけ連れていった。
答えが、ぎりぎり“許容範囲”だった人たち。
すぐには治さない。
もう、気力も体力もなかった。
残りは、その場に置いていった。
見送る彼らは、まるで旧友みたいに手を振っていた。
帰り道は――妙に静かだった。
アメリアも、ラエルも、ゲーンも、何か言っていた。
……覚えていない。
覚えているかもしれないけど、ただの雑音だった。
もう考えたくない。
深く、眠りたい。
まぶたが、ゆっくり落ちる。
***
【サポートシステム ― 病理コア
検索中……開発済み病原体を確認。
R−Xウイルス
概要:Rウイルスの原型構造と癌組織を基盤に再設計された新種変異体。
機能:
-> 短期的に人体組織へ一時的な再生能力を付与する。
-> 一定時間経過後、肉体は段階的に崩壊し、最終的に運動不能状態へ移行。意識は保持され、痛覚のみが増幅される。
-> 最終段階に到達した個体は、第三者に有益なRエヴォ・ウイルスの受動的な保菌体として機能する。
】
***
もう、眠ろう。
面倒なことは考えたくない。
あの貪欲な視線も。
これから上がるはずの悲鳴も。
聞きたくない。
――おやすみ。
甘い夢を、僕に。
【メンタルフラグメント】
メイ(白):本当に起きちゃったね。ユメの“新しい恋のライバルが現れる”って予想、当たってた。
アニス(茶):うん……ちょっと怖くなってきたかも。ほとんど予言者じゃない? やばすぎでしょ。あとは無料ビュッフェの場所まで当てたら完璧だね。
ユメ(オレンジ):ほらね。私の“彼女の勘”は外れないんだから……でも今回は、嫉妬は横に置いておくよ。本気で応援したいって思ってるの。
アレクシア(黒):そんなにあっさり受け入れるなんて、意外。
ユメ(オレンジ):えへへ……それでも、ちゃんと私のことを想ってくれてるって分かると、胸がドキドキするの。私が恋した人を、そんな簡単に疑ったりしないよ。
アニス(茶):……なんかそれ、びっくりするくらい純粋だね。不倫モノの序章みたい。
ユメ(オレンジ):たとえソラが独り身だったとしても、女の子にちょっとでも恋愛的なアクションを起こすまでに何年もかかるよ。たとえ好きでもね。
アリシア(黄):そう言われると……確かに心配しなくていい気がしてくる。
メイ(白):その点に関しては、本当にすごいよね。普通、そこまで告白を待てないよ。
アレクシア(黒):でも、あいつらが不快なのは変わらないけど。
アニス(茶):ちょっと話しに行くだけだよ。大丈夫、大丈夫。
……
……
メイ(白):うん……大丈夫。
アニス(茶):後ろ、見ないで。
アレクシア(黒):深く考えすぎないで。
アリシア(黄):大丈夫。あなたは何も悪くない。
ユメ(オレンジ):少し休もう? 夜が明ければ、きっと楽になるよ……全部、元通りになるから。




