第24話 甘い夢 ― 前編
POV――ソラ
昨日から今日にかけて、いろいろあった。
今日は、アメリアを皆の前に紹介し、昨日約束した今後の方針を説明しなければならない。
いつまでもここに留まるわけにはいかないからだ。
「アメリア、来てくれ」
「は、はい……ソラ……」
まだ長い文章を話すのは難しいらしい。
体はもう治っている。だが、それは心まで無傷という意味ではない。
目に見えない傷のほうが、よほど厄介だ。
彼女の涙を思い出すと、顔の片側が歪みそうになる。
これまで俺は、ここにいる全員を“この世界の被害者”として見ようとしてきた。
けれど――今はもう、そんなふうには思えない。
それでも、この場所には俺を信じてくれている人間が大勢いる。
期待に応えなければならない。
少なくとも、冷静な仮面くらいは被っていなければ。
……まずは発表だ。
正確には、二つ。
ゲーンとラエルに協力してもらい、人を集めてもらった。
あの二人と話すのは、まだ気が楽だ。
他の連中は俺を「救世主」だの「聖人」だの、ひどい時には「天使」などと呼ぶ。
だがゲーンとラエルは、もうほとんど「ソラ様」とは言わない。
ただの「ソラ」か、「若様」程度だ。
その小さな違いが、妙に心地よかった。
この拠点には様々な場所から人が来る。
周辺の情報を持ってくる者。
治療を乞いに来る者。
何も期待せず、ただ流れ着き……それでも気づけば、未来への希望を少し取り戻している者。
エクス・マキナは、俺をこの世界に放り込んだきり、一度も姿を見せない。
何か隠されたメッセージがあるのではないか。
進む道が正しいと示す神託があるのではないか。
そんなことを考えたこともある。
だが――天からの声などなくても、分かっている。
ここに転生したのなら、できる限り多くの命を救う。
それだけだ。
目の前には、およそ百人ほどの人々。
この数ヶ月で治療した人数は……八百は超えているはずだ。
もっと早く動いていれば。
この場所で一ヶ月も足踏みしていなければ。
……救えた命は、もっとあった。
深く息を吸い、声を張る。
「まず――」
できるだけ揺るがない声で続けた。
「彼女は、俺にとってとても大切な存在だ。ここでの生活に慣れるまで時間がかかるかもしれない。だから……支えてやってほしい」
年が若いというだけで、見下されるのは許さない。
もっとも、よく考えれば俺たちは同年代だ。
この場所には、同じ世代の人間がいなかった。
アメリアは、この世界で初めて出会った“同じ年頃”の存在だ。
俺は尊敬されている。
中には崇拝に近い目を向ける者もいる。
当然だ。
俺が治してきたから。
それに――俺の【ウイルス親和】の影響もある。
感染者は、理由もなく俺に好意を抱きやすい。
だが、アメリアにはそれがない。
不器用だからといって。
うまく話せないからといって。
痛み以外をまだ知らないからといって。
誰にも、軽んじさせない。
アメリアが一歩、控えめに前へ出る。
服の裾をぎゅっと握りしめながら。
「……アメリア、です。どうか……そばにいさせてください。……何とかして……ソラを幸せにします」
言い終えた瞬間、彼女は顔を赤くした。
言葉が思考を追い越したらしい。
……友人として紹介するだけのはずだったのに。
だが、ユメの助言を思い出す。
『黙って、女の子に任せなさい』
ユメが言うなら、たぶん何か意味がある。
ざわめきが広がった。
「……あんなに綺麗な子だったのか?」
「救世主様の隣に立つなら……何て呼べばいい?」
「聖女様、とか?」
……はぁ。
噂が一つ増えるだけだ。
今さらどうでもいい。
それよりも、急ぐべきことがある。
仮面が崩れる前に。
再び息を整える。
「今後の計画についてだが――俺たちはこの場所を離れる。その前に、最後に一度だけ、この地区の感染者を収容している学校へ行く」
「ソラ様、またあなたが? 危険です――」
ゲーンが慌てて口を挟む。
忠実な男だ。
だが、決意は変わらない。
「心配いらない。すぐ終わる。少し待っていてくれ」
本音を言えば、行きたくはない。
だが、終わらせるなら今だ。
あいつらはアメリアを傷つけた。
直接手を下さなかった者も、黙って見ていた。
全員が無関係とは言わせない。
だが、いきなり裁くわけにはいかない。
最後の機会を与える。
まだ人間であると証明するための。
……少なくとも、俺はそう自分に言い聞かせている。
「ソラ……行かないで。危ないよ……」
アメリアが不安そうに俺を見上げる。
「大丈夫だ。すぐ戻る」
俺は学校へ向かって歩き出した。
普段なら、外に出てきてもらい、一人ずつ手を握って治療していた。
だが今回は違う。
扉が閉ざされていても、入る。
自分の過ちを認める者は、連れ出す。
そして――
それ以外は。
……さて。
どうするべきかな。
***
POV――ダザイ
いつもと変わらない一日――のはずだった。
ここ数週間、クソガキが定期的に門の前まで来ては、俺たちの“仲間”を連れ出そうと喚いている。
正直、あいつが何をほざこうが知ったことじゃない。
だがな――
俺はこの場所を安定させるために、どれだけの時間と血を使ってきたと思っている。
どこの誰とも知れないガキに、「運営の仕方」を指図される筋合いはねぇ。
とはいえ、正面衝突も厄介だった。
向こうの拠点は、どういうわけか人の出入りが多い。数も多い。
ここであいつを殺したり、やりすぎたりすれば――報復が来る可能性もある。
だから部下には言っていた。
「本気で殺すな。追い払え。分からせるだけでいい」
メッセージは明確だったはずだ。
――“ここに来るな、クソガキ”。
だがあいつは察しが悪いらしい。
投げつけた瓦礫のどれかが、あの生意気な顔面を潰してくれりゃよかったのに。
……それにしても、あのガキは妙だった。
門の近くで長時間あいつと接触した連中が、決まっておかしなことを言い出す。
「門を開けたほうがいいんじゃ……」
「言うことを聞いても……」
「どうして物を投げてるんだ?」
ふざけるな。
そんなことを言い出した連中には、互いに骨を折らせた。
抵抗するなら、ピンクの腫瘍を潰してやる。
あれが破裂すれば、あとは疫病で勝手に死ぬ。
それでも生き残った奴は、階層の最下層へ落とす。
誰からも見下され、踏みつけられる位置だ。
それ以来、門を開けろなんて言う馬鹿はいなくなった。
……はずだった。
だが毎週のように、“思い出させる”必要がある。
誰が支配者かを。
門番を入れ替えても結果は同じ。
遅かれ早かれ、同じ台詞を吐きやがる。
洗脳か?
なんだこれは。クソったれ。
まぁ、最下層が増えれば、古株は俺に感謝する。
「自分はまだ上だ」と思えるからな。
それが裏切り防止にもなる。
……そう思っていた。
それに、レイジが連れてきた“あれ”も行方不明だ。
最初は面白かった。
気絶するまで痛めつけても、壊れない。
普通の玩具みたいにすぐ壊れて死ぬこともない。
壊しても、また戻る。
珍しい玩具だった。
だが飽きた。
どこかで勝手に死んだなら、それでいい。
問題は――あのガキだ。
このままじゃ、いずれ全員があいつ側に回る。
「ダザイ様……門が、開いてます」
部下の声が震えている。
「はぁ? 通すなって言っただろうが」
裏切りか?
いや、もし本気で裏切るなら夜を待つ。寝込みをかく。
何かがおかしい。
「し、しかし……一人だけです。問題ありません」
一人?
それでも命令違反は命令違反だ。
俺は入口へ向かった。
校庭に人だかりができている。
その中心に――いた。
「こんにちは」
落ち着いた、ほとんど世間話みたいな声。
「ソラです。あなたたちの隣人で……新しい友達になりに来ました。よろしく」
少し考えるように間を置き、薄く笑う。
「……まぁ、“他人を虐げてない人”限定ですけど」
冗談でも、脅しでもない。
ただ、事実を述べるみたいに言いやがった。
意味が分からない。
通すなと命じたはずだ。
しかもあいつ――ピンクの腫瘍も変形もない。
一ヶ月間、傷一つ負っていない体。
人間の形をした悪夢か何かか?
「テメェ、何しに来やがった。いらねぇって言っただろうが」
「へぇ……」
相変わらず穏やかな顔。
「全員の総意みたいに言うのはやめてください。不快です。本当に」
視線を群衆へ向ける。
静かだが、妙に通る目。
「助けが必要な人は、こちらへ。面倒にする必要はありません」
「そいつを叩き出せ! 怪我してもいい、事故で死んでも構わん!」
命令を飛ばす。
ガキは小さく溜息をついた。
「必要ありませんよ……」
無関心な声。
「でも、どうしてもというなら――自分たちを傷つけないように気をつけてくださいね」
次の瞬間。
俺の部下たちが――
跪いた。
あいつは声を荒げてもいない。
威圧もしていない。
なのに、自然に。
まるで“それが正しい選択”であるかのように。
「何やってやがる!? 立て!」
理解不能だ。
一人が震えながら言う。
「から、体が……勝手に……おかしい……」
なんだこれは。
何を連れてきた。
ガキは静かに言う。
「こういうことをするのは、本意じゃないんですけどね」
淡々と。
「この世界では、みんな被害者だ。だから、機会は与えるべきだと……そう自分に言い聞かせてきた。でも、間違っていたのかもしれない」
視線がゆっくりとこちらへ向く。
俺と目が合う。
「でも、分かりますか? 僕には行くべき場所がたくさんある。会わなきゃいけない人もいる。あなたたちみたいな人間に、これ以上時間は使えない」
殴ろうと腕を上げる者もいる。
だが、動かない。
意思に反して、体が拒否している。
そしてガキは――
何事もなかったかのように歩き出した。
まるで、ここにいる全員が。
最初から、取るに足らない存在であるかのように。




