第20話 清浄都市の甘さ
POV:ナオミ
私は消毒巡回が好きじゃなかった。
ましてや浄化作業なんて――正直に言えば、感染者の粛清なんて大嫌いだった。
あの仕事は、不快で、消耗が激しくて、そして何より……人として何かを削り取られる。
報酬は良かった。
それでも、ほとんどの人はもっと無難で、心を壊さずに済む仕事を選んだ。
清浄都市の外に出て、ピンクの疫病に晒される可能性がある仕事なんて、それだけで白い目で見られる。
それでも私は――お金が必要だった。
両親は理想主義者だった。
都市に階層があるべきじゃない、すべての区画が同じ扱いを受けるべきだと本気で信じていた。
模範を示すために、大規模な抗議を組織し、許可もなく第二レベルの境界を越えようとした。
結果は、逮捕。
そして、他の多くの人たちと同じように、都市から追放された。
それ以来、残されたのは私と年下の弟だけだった。
弟はすでに十歳になっていて、清浄都市では八歳未満の子どもしか孤児院には送られない。
つまり、私たちは「役に立つ存在」だと証明しなければ、同じように追い出される。
子どもの場合は、勉強を続けていることを示せば、それで十分だった。
将来に備えて技術を学ぶための研究機関は、とにかく高かった。
それでも私は、弟を責任感があって頭の良い子だと思っていた。
必要なのは、ほんの少しの支えだけ。
姉である私が、それを与えるのは当然のことだった。
だから働き始めた。
最初はリサイクル、次に除染作業、その後は家畜の飼育。
どの仕事も長くは続かなかった。
嫌だったわけじゃない。ただ、稼ぎが足りなかっただけ。
両親はよく言っていた。
昔は教育はこんなに高価じゃなかった、子どもは皆、学ぶのが当たり前だった、と。
積み重なっていく負債を前にして、私はようやく彼らの不満が理解できた。
それでも――私は彼らのようにはなれなかった。
抗議する余裕なんて、私にはなかった。
消毒巡回は危険だと言われていた。
時々、戻ってこない人もいる、と。
でも、学歴は不要で、報酬は良い。
だから、私はそこを選んだ。
最初は、肉の塊を見るのが怖かった。
あれが、かつては人間だったはずだなんて、考えたくなかった。
それでも仕事は仕事だ。
スーツの密閉を保つ。冷静でいる。質問はしない。
命令に従うだけ。
弟の学費と生活費を稼いだら、すぐに辞めるつもりだった。
ただの通過点。
……少なくとも、その時はそう信じていた。
そんなある巡回で、私はサラとリンネ・スターリング姉妹に出会った。
この仕事で女性に会うのは珍しかった。
最初は、うまくやれるかもしれない、友達にすらなれるかもしれないと思った。
でも、彼女たちの正体を知った瞬間、血の気が引いた。
彼女たちは、ただの消毒要員じゃなかった。
浄化部隊の正式な隊員だった。
彼女たちは「片付け」をするだけじゃない。
生きている感染者を探し出し、ためらいなく処刑する側の人間だ。
命令があれば、仲間ですら躊躇なく始末する――そんな噂もあった。
……怖かった。
それなのに、なぜか私は気に入られた。
浄化部隊への推薦まで受けた。
理由は分からない。
単なる興味かもしれない。
女性がもう一人欲しかったのかもしれない。
それとも、私がどこまで堕ちるのか、見てみたかっただけか。
普通なら、断っていた。
でも、その週に弟が第二レベルへ忍び込もうとして捕まった。
両親の真似をしたのかもしれない。
罰金は、正気とは思えない額だった。
払えなければ、追放。
――外に出たら、誰も生きていけない。
姉妹は、借金を肩代わりすると言った。
その代わり、私が浄化部隊に入ること。
あまりにも都合が良すぎて、私の家庭事情を調べられていたんじゃないかと疑ったほどだ。
選択肢は、なかった。
私は署名した。
制服、規則書、そしてスーツ用の修理キットを渡された。
「緊急用よ」「心配しないで」
あとになって分かった。
あのキットは役に立たない。
新人に偽りの安心感を与えるためのものだ。
パニックで引き金を引かせないため――それだけ。
それすら、部隊にとって都合が良かった。
余計な事故を起こさず、新しい感染者を処理できるから。
半年間、私は躊躇なく殺す訓練を受けた。
感染者はもう人間じゃない。
汚染された肉、生きて動く生物廃棄物。
そう教え込まれた。
でも、涙を流しながら命乞いをされると、その理屈は簡単に揺らぐ。
――家族が、同じ立場になるかもしれないと思い出すまでは。
私は、距離を保てると思っていた。
命令に従うだけ。それ以上は関わらない。
そう思っていた。
でも、サラとリンネは、それを許さなかった。
彼女たちは予告もなく、私の部屋に現れるようになった。
休日ですら。
「私たち、仲間でしょ?」
……実際、彼女たちは私を一番辛い時に助けてくれた。
私の住まいは、旧式の家族向け標準住居ユニットだった。
リビングに二つの部屋、最低限のキッチン、再生水の配管、非常用発電機。
家賃は永久契約。
何があっても、死ぬまで払い続ける。
幸い、給料で滞納せずに済んでいた。
サラとリンネは、ここなら盗聴を気にせず話せるから好きだと言った。
二人も両親を失っていた。
でも、私と違って、当時は八歳未満だった。
孤児院に送られ、引き取り手もなく、年齢制限を迎えた結果――浄化部隊に配属された。
都市に都合のいい兵士になるよう、子どもの頃から作り替えられた。
彼女たちは治安部隊と同じ施設に住んでいたが、規則はさらに厳しかった。
「家」というものを知らない。
個室を与えられるのは、隊長クラスだけ。
一般兵である彼女たちは、番号付きの休眠カプセルで眠る。
整列され、無機質で、私物もほとんどない。
一定時刻を過ぎれば、自由に話すことすらできない。
「変な感じ」
リンネが初めて私の部屋に入った時、そう言った。
「でも……落ち着く」
落ち着かなかったのは、彼女たちの会話だった。
話題はいつも同じ。
どうすればもっと早く殺せるか。
苦しませた方がいいのか。
新兵器の噂。
そして――リンネが上官のジョンに気に入られようとする、終わりのない話。
その日の午後も、特別なことはなかった。
「チッ……その上、あのバカ、スーツまで破りやがって」
サラが軽蔑を隠さずに吐き捨てる。
「ジョンは、あんなのに時間を使ってる私たちを、相当な間抜けだと思ってるでしょうね」
腕を組みながら、リンネが続けた。
マルクス。
サラの“恋人”。
処刑したのは、彼女たち自身だった。
規定通りに始末し、何の儀式もなく灰にした。
それでも、彼のことを話す口調は、まるで記録に残った汚点について語るかのようだった。
残る支払いは、あと一回。
それを終えれば、借金は清算できる。
浄化部隊を辞めて、もっと普通の生活に戻れる。
……それなのに。
いつか、この時間を懐かしく思うかもしれない、なんて考えてしまった。
私は飲み物を用意した。
再生水に合成香料を混ぜたもの。
ラベルには「ミックスフルーツ」と書かれている。
第三レベルでは、果物を口にすることなんてほとんどない。
ここで大量に栽培されているのに、だ。
皮肉な話だ。
私たちは他のレベルのために生産し、自分たちは代用品で生き延びている。
「もう死んだわ」
できるだけ穏やかに言った。
「これ以上、怒っても意味はない」
なぜ、こんな会話に口を出してしまうのか、自分でも分からない。
部隊に女性が少ないからかもしれない。
それとも、心のどこかで、彼女たちが変わることを期待しているからか。
サラが、乾いた笑いを漏らした。
「もし、私か妹を妊娠させてたらどうするの?」
「……あんな、情けない男との子どもなんて、想像してみなさいよ」
私はむせた。
「……ごめんなさい。喉に詰まって。ちょっと拭いてくる」
――そんな。
ジョンを嫉妬させるために、遊んでいただけだと思っていた。
でも、どうやら……三人で、いろいろやっていたらしい。
「もう、サラ」
リンネが椅子の背にもたれながら笑った。
「大丈夫よ。ちゃんと気をつけてたし。……今は、思い出すだけで気持ち悪いけど」
「ええ……」
サラも頷く。
「自信を持たせるために、修理キットまで共有してあげたのに。どうして、あんなに無能なのかしら」
私は、自分のキットをまだ持っている。
浄化部隊に配られるものだけど、捨てるのを止める人はいない。
どうせ、遅かれ早かれ――嘘だと気づく。
本当に、ひどい人生だ。
サラは持ってきた小さなバッグを漁り、密封された容器を取り出した。
それを、かすかな笑みとともにテーブルに置く。
「今日は、特別なものを持ってきたの」
リンネがすぐに開け、三つに切り分けられた、小さな菓子を取り出した。
固めのケーキのようで、上には淡い色の、甘いクリームを真似た層。
香りは控えめだけど、普段の食事に比べれば、十分すぎるほど良い。
「見て」
リンネが言う。
「気に入るか分からなかったけど、あなたと分けたかったの」
「ありがとう」
一切れを口に運ぶ。
「……おいしい」
嘘じゃない。
甘くて、柔らかくて、第三レベルの普通の菓子よりずっと良い。
でも――
チョコレートや、本物に近い甘味を知ってしまった今では、もう驚きはなかった。
少し前なら、これだけで贅沢だと思えたはずなのに。
今はただ、「あと一歩足りない」味がした。
「……これから、どうするの?」
話題を変えるつもりで聞いた。
気まずい答えになると分かっていても、止められなかった。
「リンネと私は、もう相手探しはやめるわ」
サラが、決めた後の静かな声で言う。
「そうそう。だって、あのバカなジョン、全然嫉妬しなかったし」
「もしかして、不能なんじゃない?」
……リンネ。
注目してほしいなら、他の男と遊ばない方がいいと思う。
もっとも、どのみち無理だろうけど。
あの男は、仕事と結婚してるようなものだ。
「ジョンのこと、そんなに気にしなくていいわ」
できるだけ中立的に言った。
「外には、もっといい人がいるし……それぞれ、別の相手を見つけてもいい」
「ジョンはバカだけど」
サラが言い、
「……でも、あなたの言う通りね。そろそろ、この話は終わりにしましょう」
そう言ってから、好奇心のこもった視線を私に向けた。
「ねえ、ナオミ」
「もう借金は返し終えたけど……これから、どうするつもり?」
「え?」
私は戸惑った。
「……まだ、何か借りてる?」
彼女たちは、数字を間違えるタイプじゃない。
リンネが口を開く前に、サラが首を横に振った。
「いいえ」
穏やかに、柔らかな笑みを浮かべる。
「妹と話し合ったの。最後の分は、私たちが払うことにしたわ。プレゼントだと思って。おめでとう」
「それに」
リンネが肩をすくめる。
「まともな男の人って、浄化部隊の女の子、あんまり好きじゃないしね」
背中を、冷たいものが走った。
……気づいていたの?
「ねえ、ナオミ」
リンネが、急に小さく笑った。
「第二レベルの人と、付き合ってるって本当?」
私は、一瞬黙った。
「えっと……まあ……」
「安心して」
サラが、落ち着いたまま割って入る。
「あなたが普通の子だって、分かってるもの。彼氏を奪ったりしないわ」
“普通”。
たぶん、そうなんだと思う。
正直、悪い気はしない。
「うん……」
視線を落として、小さく笑った。
「同い年くらいの人。公衆衛生の部署で働いてるの」
「じゃあ、お医者さん?」
リンネが興味深そうに聞く。
「……そんな感じ」
「詳しくはまだだけど、上のレベルで働いてる」
「いい人なの。私の仕事を聞いても、引かなかったし、責めもしなかった」
「いつも言うの。私と弟を支えるって。いつか、第三レベルから連れ出したいって」
「それは……意外ね」
サラが低く呟き、じっと私を見つめた。
沈黙。
数秒間、二人とも何も言わなかった。
リンネが身を乗り出し、私が半分残した菓子を見る。
「……だから、あんまり美味しそうじゃなかったんだ?」
唐突に、そう聞いた。
「え……」
驚いた。
「分かってたの?」
サラが腕を組み、目を細める。
「もっと、いいものを食べてるんでしょう?」
少し、後ろめたかったけど、私は頷いた。
「たまに、チョコレートとか……他にも」
「嫌な気持ちにさせたくなかったの。本当に、これを持ってきてくれて嬉しかった」
リンネは、からかう様子もなく、静かに微笑んだ。
「大丈夫。ただの質問よ」
「……いいことがあるって、分かって嬉しかっただけ」
サラも、ゆっくりと頷く。
「もし、その子のことで悩んだら、相談してもいいわよ」
姉妹そっくりの、同じ笑顔で言った。
「うん……ありがとう」
少し居心地は悪かったけど、心から感謝していた。
それから、話題は別の方向へ流れた。
いつものように、廃棄区域から新しい感染者の群れが出ているという噂のような、不穏な話もあれば、デートのための身だしなみの話のような、穏やかなものもあった。
結果的には、悪くない時間だった。
そして、彼女たちの話を聞きながら、ずっと頭から離れない考えがあった。
もし、彼女たちが両親を失っていなければ。
もし、このシステムが、子どもの頃から脳を塗り替えていなければ。
きっと今頃は、普通の女の子だった。
デザートを食べて、他愛ないことで笑って。
――血に染まった手なんて、持たずに。
でも、それは叶わない。
そして、そのことを――
私たちは三人とも、分かっていた。
口に出すことは、決してなかったけれど。




