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第1話 吉住 夢

病院の時計は、深夜〇時四十二分を指していた。

吉住ユメは、白いシーツに包まれたベッドの上に横たわっている。片腕には点滴の管がつながれ、もう片方の手には、しっかりとスマートフォンが握られていた。


肌は青白く、瞳にはまだ強い光が宿っているものの、健康状態が良いとは言い難い。それでも彼女の指先は正確に画面を滑り、ゲーム内ではキャラクターが驚異的な速度で完璧なコンボを繋げていく。


――勝利数、百三十二。


「……楽勝」


かすかな笑みとともに、そう呟く。声を出すと喉が痛んだが、その笑顔に偽りはなかった。


「はぁ……アリシアにもらった薬、もう少し残ってたらよかったのに……」


小さく笑った直後、咳き込み、短く息を整える。


仮想世界の中でのユメは、速く、強く、そして無敵だった。もし死んだとしても、きっとライトノベルみたいな異世界に転生して、世界を救うのだろう――そんな馬鹿げた想像すらしていた。

もっとも、恋人を一人残して死ぬつもりなど、最初からなかったのだが。


もっとも、彼の性格を考えると、自暴自棄になって落ち込むか……それとも、あっさり新しい彼女を作るか。

――どちらになるかは、正直わからない。


もともとゲームを始めた理由は、彼のためだった。外出が難しかった彼女にとって、ゲームは別の世界を旅する手段だった。

そして、気がつけば何年も経ち、今ではどんなゲームでも、腕前に関して彼と並ぶ者はいなくなっていた。


「片手でも勝てるわね」


自信に満ちた笑みを浮かべながら、そう思う。


『本当に、話題を増やすためだけに世界トップクラスのプレイヤーになる必要があったの?』


正直、もっと早く考えるべきだった問いを、今さら自分に投げかける。


「ええ、間違いないわ。世界トップになることこそが、恋の秘訣よ。信じられないなら、それはまだ辿り着いていないだけ」


満足そうに息をつき、画面の明るさを下げてメッセージアプリを開く。

そこには、幼なじみであり、そして約一年前から恋人になった――風見ソラからのメッセージがあった。


『助けてくれてありがとう。一緒に遊べて楽しかったよ』


ユメは思わず、間抜けな笑顔を浮かべてしまう。

直接会えなくても、同じ時間を共有できることが、ただただ嬉しかった。


二人は子どもの頃からの付き合いだった。最初に仲良くなったのは、彼女が病室を抜け出して「空気を吸いに行った」あの日。まるで運命に導かれたかのように、そこにソラが現れた。


一度だけ、一緒に家出をしようとしたこともある。

その時は名案だと思ったが、冷静になって考えれば、金も仕事もなく、外国で生きていけるはずもなかった。


父親ははっきりと言った。

「もう一度逃げ出したら、ソラとは会わせない」


ソラは優しい少年だったが、致命的な欠点があった。

恋愛に関する反応が、致命的に鈍いのだ。


はっきり言えば、当時のソラは信じられないほど鈍感だった。


ユメが「恋人として好き」とはっきり告げても、彼はそれを「妹みたいに好かれている」と解釈する。

まるで、あらゆる攻撃に適応してしまう、どこかのアニメや漫画の生物のようだった。


最初、両親は彼をなかなか受け入れなかった。

ユメは一人娘で、体も弱く、心も繊細だ。ソラが遊び半分で付き合っているのではないかと、心配していたのだ。


だが、しばらく様子を見た結果、彼らもユメと同じ結論に辿り着く。


――この少年は、誰かを弄ぶことができない。


あまりにも、鈍感すぎるのだ。


恋が芽吹くまでには時間がかかったが、ついに二人は結ばれた。

ユメはソラと過ごす時間が好きだったが、彼がずっと家や病室に閉じこもってしまうのは望んでいなかった。


だからこそ、彼女はいつも彼を外へと押し出した。

生きて、出会って、若さを楽しんでほしかった。


――もっとも、その助言が裏目に出ることもあったが。


「女の子を助けるのはいいけど……頻繁すぎるのよ」


ソラが他の女の子と一緒にいる姿を想像し、心の中でぼやく。

彼の話を聞くたび、首を絞めて意識が消えるまで離さない衝動に駆られることもあった。


「健全な嫉妬よ。恋する普通の女子なら当然」


そう自分に言い聞かせる。


ソラが幸せなら、ユメも幸せだった。


それでも――

本当は、もっと欲しかった。


彼と一緒に、普通の学生生活を送ること。

同じ教室で、同じ時間を過ごすこと。


だから彼女は、学校へ通う決意をした。


両親は当然反対した。特に母親は厳しく、彼女の手口もよく知っている。

そこでユメは、父親だけが家にいるタイミングを狙い、涙ながらに訴えた。


「私……一生、普通になれないんだよ……」


見事な演技だった。父親は、あっさり折れた。


母親に知られたら、怒られるのは父親だけだ。それなら問題ない。

条件は一つ。体調が悪化した場合、すぐに退学すること。


ユメは、その条件を受け入れた。


昔、ソラには彼女以外に友人がいないように見えた。

噂を聞いたこともある。


「風見は他人を見下している」

「そんなやつを好きになるなんて、趣味が変わってる」


そう言われていた。


「そういうところが、好きなのに。変わってる? 変なのは、あっちでしょ」


ユメは、そう思っていた。


時が経ち、友達を作るよう何度も背中を押した結果、ソラはクラスメイトたちを冷たい目で見ることがなくなっていった。

そしてその結果、ユメにはいつの間にか「ライバル」ができていた。


首に縄をかけたようにも見えるかもしれない。

だが、ユメにとってそれは違った。


ソラには多くの選択肢があり、それでも――

彼が選ぶのは、自分だという証明に過ぎなかった。


初めて学校の校舎に足を踏み入れた日、ユメは一つの決意を固めた。


――勝つのは、私。


「この戦いでは、あなたたちが挑戦者よ」


挑発的な笑みを浮かべてそう宣言する。

アニメの台詞のようで、最初としては微妙かもしれない。だが事実だった。


ユメは何年もソラの隣にいた。

一方、彼女たちは最近知り合ったばかりだ。


圧倒的なアドバンテージはこちらにある。

それに――幼なじみという立場で、恋の戦いに負けるなど考えられなかった。

これだけ長い時間があったのだ。負けるはずがない。


今のソラは社交的で、周囲からも好かれていた。

彼が人と自然に会話し、社会の一員として振る舞う姿を見るたび、ユメは誇らしげに微笑んだ。


ただし、心の奥には一つの願いがあった。

ソラが、自分の隣で、もっと幸せになってくれること。


だが、彼女の身体は時折それに応えてくれなかった。

それでも立ち止まるつもりはなかった。


たとえ残りHPが1でも、

彼女はこのミッションを最後までやり遂げるつもりだった。


二年目の中頃、思いがけない助けが現れる。

アリシアだった。


ユメが唯一「本物の脅威」だと感じていた存在。

金髪に青い瞳、まるでお姫様のような容姿だけでなく、時折、ソラへの想いが自分と同じくらい強いと感じることがあったからだ。


そのアリシアが、小さな木箱を抱えて現れた。

中から取り出したのは、薬というよりもポーションのようなものだった。


ドラゴンの頭を模した精巧な栓が付いたガラス瓶。

中には血のように赤い液体が揺れている。


「何でも治る、って言われてるの」


アリシアは、ユメに負けないほど自信に満ちた表情でそう言った。


「ねえ……もしこれで死んだら、道連れにするから。最後にすること、それだから」


「大丈夫よ。ほら、飲みなさい。私と勝負するの。どうせ私が勝つんだから」


まるで本物の姫のような笑みだった。


ユメは彼女のことをよく知っていた。

ソラを好きなこと。

それでも、信頼できる友人だということ。


密かに、親友だとも思っていた。


だから迷わず、瓶の中身を飲み干した。


最初は、奇跡のようだった。

頬に血色が戻り、声には力が宿り、足取りも軽くなった。


久しぶりに、無理をして元気なふりをしなくてよかった。

本当に、身体が楽だった。


それが何より嬉しかった。


その日を覚えている理由は、薬のことだけではない。

ソラが「駆け引き」を試みた日でもあった。


いつもより距離を取ろうとしたらしいが――

全く向いていなかった。


すぐに後悔したような顔をして、変な表情になり、結局ユメから離れられない。

最後には、いつも通りに戻った。


幸せな日々だった。


ソラや仲間たちと笑い合い、放課後に寄り道をして。

ほんの一瞬、ユメは思った。


――私、普通の人生を生きられるかもしれない。


だが、その幻想は長く続かなかった。


アリシアの薬の効果は、現れた時と同じくらい早く消えてしまった。

彼女は困惑し、「絶対に効くはずだった」と何度も謝った。


ユメは彼女を責めなかった。

親友だったからだ。


――いつか、ソラが彼女と幸せになる未来すら、想像していた。


二年目の終わりが近づく頃、ユメの体調は再び悪化する。

登校するのも、日に日に辛くなっていった。


アリシアは、両親に頼んで新しい万能薬を取り寄せると言った。

前のものが不良品だったのだと、本気で信じていた。


だが、ユメは彼女に迷惑をかけたくなかった。

心も、限界に近づいていた。


医師たちは、より高度な治療のため、海外の病院への転院を検討し始める。


それでも、ユメの願いは一つだけだった。


ソラや皆と一緒に、卒業すること。


だから、力が残っていなくても、彼を後押しし続けた。

恋をして、学校生活を楽しんでほしかった。


アリシアだけじゃない。

アレクシア、アニス、メイ――

どの子も良い子で、大切な友達だった。


その過程で、彼女は考えなしに言葉を口にしてしまう。

二人の記憶に、永遠に刻まれる言葉を。


――少なくとも、ユメにとっては良くない形で。


「どうして、あんなこと言っちゃったの……」


病室のベッドで横を向き、シーツに顔を埋めて呟く。

まるで、そうすれば消えてくれるかのように。


思い出すだけで頬が熱くなる。

自分は必要ない。

彼は人気者だ。

誰とでも付き合える。


突き放すことが正しいのだと、必死に言い聞かせた。

それでも、心の奥の小さくて身勝手な部分は――

彼に、そばにいてほしかった。


そして、ソラは戻ってきた。


理由を問うこともなく。

怒ることもなく。


何事もなかったかのように隣に座り、

その日の夕方、震える声と冷たい手で――告白した。


ユメは驚いた。

期待していなかったわけではない。

ただ、彼が勇気を出すとは思っていなかった。


彼女は彼のために学校へ戻り、友達もでき、世界を広げた。

そして、彼のために身を引こうとした。


それなのに。


いつも頼りなく見えたその少年は、

吉住家の病室まで来て、目を見て、微笑み――想いを伝えた。


もう、断ることはできなかった。


鈍感さをからかう冗談をいくつか言ったあと、

ユメは彼の手を取り、離さなかった。


こうして二年目の終わり、ユメとソラは恋人になった。


それからは、毎日のように連絡を取り合った。

以前よりも、ずっと多く。


彼は不器用ながら、優しい恋人になった。


「ちゃんとご飯、食べた?」

「今日は、どこか痛くない?」

「寝る前に、電話してもいい?」


心配させないために、嘘をつくこともあった。

それでも、気にかけてくれるのが嬉しかった。


体調が悪いと言うと、彼の声が少しだけ優しくなる。

それが、好きだった。


ただし――

相変わらず、他の女の子との距離が近いのが気になった。


「ちょっとだけ、絞めてもいいかな……ほんのちょっと」


そう呟きながら、自分を落ち着かせる。


信じなきゃ。

ソラのことも、友達のことも。


……多分。


アリシアは、かなりの変態だということが判明していた――

少なくとも、この国の「常識的な範囲」で言えば、だが。


とはいえ、許可なく何かをするようなタイプではない。

いずれにしても、離れていても、ユメはソラに毎日少しずつ、もっと自分を愛してもらうつもりだった。


そしてもちろん、正式な恋人同士になり、かなり甘い関係になった今でも、

ソラにはまだ自分自身の「成長イベント」が必要だった。


あるデートでは、彼が突然、ユメから距離を取ろうとしたこともある。

「君は、俺なんかいないほうが幸せだと思う」


そう言われた瞬間、ユメは本気で別れを告げられたのだと思い、恐怖を覚えた。

だがすぐに気づく。


――この人、ただ混乱しているだけだ。


そして案の定、彼はユメと別れることなど、どうしてもできなかった。


結局、愛が勝った。

そしてソラは、何度目になるかわからない告白を、また口にした。


――ユメは、自分にとって代えのきかない存在だ、と。


柔らかな笑みを浮かべ、ユメはスマートフォンを胸に抱きしめ、静かに目を閉じる。


「……まだ、デートの約束が残ってるでしょ? だから……もう少しだけ、待ってて」


優しく、そう囁いた。


今、彼女は一族が所有する病院の一つに入院していた。

海外へ行く必要はなかったが、治療のために街を離れなければならなかった。


それはつまり、以前のように簡単に抜け出すことはできないということだ。


小さな笑い声が漏れ、続いて軽く咳き込む。

ユメは口元を押さえた。


「最悪……欠陥品設定付きの恋愛ヒロインみたいじゃない」


小声で冗談を言いながら、再びスマートフォンを手に取る。


少しだけ力を振り絞り、眠る前に最後のメッセージを打った。


『うん、楽しかったよ。しばらくログインできないけど、心配しないで。いつも通り、私は大丈夫。すぐにまた会えるから』


送信ボタンを押し、スマートフォンを横に置く。


「最後の日、みんなに会えたらよかったけど……まあ、いいか。きっと、またチャンスはある」


明日は、終業式であると同時に――

彼女にとって、最も重要な手術の日でもあった。


それでも、不思議と心は落ち着いていた。


だって、もしヒロインがこんなに早く死んでしまったら――

それはあまりにも短く、あまりにも盛り上がりに欠ける物語ではないだろうか。


穏やかな微笑みを浮かべながら、

ユメは回復後に待っているであろう、輝く日々を思い描き――

静かに眠りへと落ちていった。

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