第16話 希望のネットワーク
最初は、話を掴むのにかなり苦労した。
彼らは兵士でも、戦略家でも、医者でもない。ただ必死に生き延びてきた、ごく普通の人々だった。
言葉は断片的で、途中で途切れたり、矛盾したり、曖昧な記憶の中に沈んでしまったりする。
それでも、辛抱強く耳を傾けていくうちに、その混沌の中から使える情報を拾い上げることができた。
やがて、自然と役割分担が生まれた。
「じゃあ、俺たちが他の人も探してきます。あんたが治せるように」
生存者の一人が、どこか無邪気なほどの熱意を浮かべて言った。
「……ああ。ただし、無理はするな」
少し居心地の悪さを覚えながら、手を振って見送る。
この高揚感が、余計な問題を呼ばなければいいが。
あのとき――自分には治療ができる、と初めて口にしたとき。
一部の人間に憎まれた理由が、今なら分かる。
流行初期には、奇跡の治療を謳う詐欺師が山ほど現れた。
食料や寝床、あるいは「救済」と称したもっと酷いものと引き換えに。
目的を果たすと、連中は跡形もなく消えた。後に捕まった者もいたが、待っていたのは悲惨な最期だった。
――因果応報だろう。
そして、もう一つ。
「クリーンシティ」の存在だ。
定期的に送り込まれる浄化部隊。
……いや、皆はこう呼んでいた。
粛清部隊、と。
「向こうに見つかったら終わりだ。息してて、仲間じゃなきゃ、即ヘッドショットだ」
ゲーンが首筋を掻いた。かつて、脈打つ腫瘍があった場所だ。
「警告も交渉もなし。男でも、女でも、子供でも関係ねぇ。鉛玉をぶち込まれて、最後は焼却だ」
「だから俺たちは、赤域の近くにいる」
ラエルが低い声で続ける。
「このピンクの霧……触れたものを全部、薔薇色の粉に変える。あいつら、これが怖いらしい」
――エクス・マキナ……?
心の中で呟く。
本当に、旅の始まりに、こんな場所へ送り込んだのか。
俺は、なぜかこの霧の中で生き延びていた。
だが、他の誰かが同じことを試みても――たとえ改良されたRウイルスを使ったとしても、生還は不可能だろう。
それでも、結果は否定できない。
治療した者たちは、目に見えて回復していった。
一日、二日もすれば腫れは消え、傷は塞がり、灰色や淡い薔薇色だった肌が、少しずつ生気を取り戻していく。
「本当に……ありがとうございます、旦那……」
最後まで、きちんと礼を言わせた。
その言葉を、どうしても拒めなかった。
それでも、内心でため息をつく。
年配の人ほど、どうしても「旦那」と呼ぶ。
ソラでいい、と何度も言っているのに、つい口をついて出るらしい。
ラエルとゲーンは、自分たちを俺の「護衛」だと言い張っていた。
正直、妙な気分だ。
家では、俺がアリシアを守る側――そんな立場だったはずなのに。
今は、俺に護衛がいる。
……ということは、彼らにも護衛が必要、ということか?
ともあれ、二人の相性は驚くほど良かった。
「ほらな、ラエル。言っただろ? お前、別にブサイクじゃなかったんだ。ただウイルスが悪かっただけだ」
ゲーンが腹を抱えて笑う。
「ご丁寧にどうも」
ラエルは冷ややかに返す。
「お前はな、ウイルスがあってもなくても、相変わらず臭そうなドブネズミだ」
「誰がネズミだ、この野郎!?」
まるで兄弟喧嘩だ。
何にでも噛みつき、殴り合い、それでも決して離れないタイプの。
生きていて、健康なら、それでいい。俺は口出ししないことにした。
……もっとも。
ネズミといえば。
今、俺の周りに集まっている。
文字通り。
十数匹のネズミが、怯えもせず近づいてきていた。
逃げない。震えない。
小さく光る目で、じっと俺を見つめている。
そのとき、チェスターが瓦礫の上に跳び乗った。
甲高く鳴き、前脚を掲げる――まるで、新時代の到来を宣言するかのように。
そして、やけに偉そうな視線で俺を見る。……笑っているようにすら見えた。
「……なんで俺、未来の世界独裁者を育ててる気がするんだろうな」
足元に広がり始めた小さな“帝国”を見下ろし、呟いた。
***
【サポートシステム】
ウイルス親和性の再検証中……
――結果――
->Rエヴォ・ウイルスに感染した一般個体
-> 制御レベル:上級
※所有者が不在でも、命令に従属します
***
最初から、何もせずとも、感染体は俺の前で落ち着いた。
例外は、ごく稀だ。
個体の意思が異常なほど強い場合、初期段階で敵意を示すことはある。
だが今は違う。
体内のRウイルスを解析し終えた今、薔薇色の疫病に深く侵された存在へ自分の意思を通すのは、驚くほど容易だった。
まだ、ネズミを食料と見なす人間もいる。
……その認識は、いずれ正す必要がある。
理論上は、人間すら制御できる。
だが、それは最後の手段だ。進んで使う気はない。
今は、これでいい。
集団は形を持ち始め、感染者は回復し、希望というものが、確かに空気の中に漂っていた。
◇◇◇
最後の治療を終えたとき、最初に感じたのは――沈黙だった。
恐怖の沈黙ではない。驚愕の、沈黙だ。
泣き崩れる者。自分の肌を何度も触り、信じられないというように震える者。
「……これは、どれくらい続くんだ?」
「痛みは……戻らないのか?」
「クリーンシティに……行けるのか?」
「落ち着いて」
声を張らず、穏やかに答える。
「もう治っている。約束する。ただ……クリーンシティに近づくのは、まだ早い」
事実だ。
身体は治っても、あちらの人間の考え方は変わらない。
姿を見せれば、迷わず引き金を引くだろう。
それに、頭痛は確実に蓄積していた。
治療する人数が増えるほど、サポートシステムは多くを要求する。
俺の精神を、燃料にして。
解決策は必要だ。
……だが、まだ耐えられる範囲ではある。
そのとき。
かつて薔薇色の腫瘍に顔を歪めていた男が、俺の前に膝をついた。
頬を、涙が伝う。
「救い主様……どうすれば、報いられるのでしょう」
内心でため息をつく。
「旦那」よりはマシだが、できれば呼ばれたくない。
……とはいえ、長く関わる者だけ、後で直せばいい。
「見たことを、伝えてくれればいい」
そう告げる。
「俺は、治せる人を治せれば、それでいい。それが報酬だ」
「我々は……生涯、お仕えします」
声を震わせ、男は言った。
「何があっても、必ず。あなたのそばにいると誓います」
祈りを捧げ始めたかのようだった。
それをきっかけに、周囲の人々も次々と同じ仕草を真似し始める。
目を閉じたまま、痛みが――ようやく消えつつあるという現実を、受け止めきれない者もいた。
……違う。
俺は、そんな信仰を求めていない。
従者も、信者も、必要ない。
ただ助けたかっただけだ。
そして、いつか――元の世界へ帰る。それだけだった。
向こうには、まだ片付けていないことが多すぎる。
それでも、彼らの気持ちは理解できた。
何十年もの間、地獄に閉じ込められ、
ゆっくりと死んでいくことだけが確かな世界。
そこに、見返りを一切求めず治療する存在が現れたのだ。
彼らにとって、それを説明する言葉は、他になかったのだろう。
「……俺に仕える必要はない」
崇拝の視線から逃れるように、背を向けて言う。
「ただ伝えてくれ。この疫病は、いつか終わるって」
感謝の言葉は待たなかった。
必要なかった。
結局、俺はこの世界を去る人間だ。
だが、その油断が噂を広げてしまった。
――天からの使いが、我々を救いに来た。
――天使が、我々の中を歩いている。
――神が、薔薇色の疫病を終わらせる救い主を遣わした。
時間とともに、それらは膨れ上がった。
すべてを否定することは、できなかった。
「この世界の人間ではない」と口にしたのは、完全な失策だった。
だが、今はそれどころではない。
希望があっても、常に間に合うわけではない。
辿り着いたときには、すでに冷たくなっている身体もあった。
かろうじて息をしている者を救えることもあった――
それでも、決して十分ではなかった。
治療された人々の協力と、感染したネズミたちとの繋がりを使い、
即席の情報網を構築した。
完璧とは言えない。だが、機能はしていた。
それによって、より多くの感染者を見つけ、より多くの命を救えた。
それでも――
本当に、意味があるのかと考えてしまう瞬間はあった。
救われたくない者も、確かに存在する。
惨めでも、自分が支配する立場でいられるなら、それでいい者たち。
「くそ……! どういうつもりだ、あいつら……!」
ラエルが脇腹を押さえ、呻く。血が滲んでいた。
「ラエル、動くな」
膝をつき、傷に手を当てる。
Rエヴォ・ウイルスは再生能力を持つが、万能ではない。
周囲から粒子を引き寄せ、ウイルス操作を無理やり引き上げ、治癒を最大限まで加速させた。
「ふざけるな! 俺たちは助けに来ただけだろうが!」
ゲーンが怒鳴る。
口論ばかりしていても、ラエルは長年の友人だ。
その姿を見て、冷静でいられるはずがなかった。
そこは、かつて学校だった場所だった。
かなり大きい。
俺が通っていた学校と同じくらいで、
高い壁と構造のせいで、正面の出入口以外から侵入するのは難しい。
……遅刻したときに忍び込めなかった理由と、まったく同じだ。
上階から、複数の人影がこちらを睨みつけていた。
声を張り上げても、届く気がしない。
近づき、今は門代わりになっている鉄柵越しに中を覗く。
そこにいたのは、見慣れた感染者たちだった。
栄養失調、薔薇色の痕、虚ろな目。
だが――それ以上に酷い者たちもいた。
人というより、獣に近い。
地面を這う者。
錆びた針金で作られた口輪をはめられ、肉に食い込んでいる者。
長く見る必要はなかった。
すぐに理解した。
これは――治せない。
Rエヴォ・ウイルスでも、操作でも、
残虐さによって壊された精神を、元に戻すことはできない。
深く息を吸い、
指導者と思われる者たちを見上げる。
引き下がる余裕はなかった。
「俺の名前は、ソラだ」
声を震わせないよう、必死に保つ。
次の瞬間。
ガラス瓶がこめかみに直撃した。
砕け、破片が皮膚を裂く。
……痛い。
致命傷ではない。
仮にそうでも、いずれ治るだろう。
だが――これは初めてだった。
拒絶された、と感じたのは。
……まるで、
ユメが言っていた「機能する人間」になるために費やした年月を、
全否定されたような気分だった。
反射的に顔に手を当てる。指の隙間から、血の熱を感じる。
叫び返したい衝動があった。だが同時に、信じたかった。
彼らが悪なのではなく、この環境がそうさせたのだと。
「……暴力は、必要ない」
そう呟き、衝動を押し殺す。
「出て行け! 俺たちに関わるな!」
「仲間を騙すな! その偽善で!」
まるで疫病を見るかのような目だった。
彼らは助けを望んでいない。支配を失うくらいなら。
あるいは、被害者が回復した後を、恐れているのかもしれない。
最初から、治療した全員を探索に出していたわけではない。
一部は同行させ、距離を保たせていた。
抑止力になることを期待していたが――
逆に、完全に籠城されてしまった。中に入って見せることすらできない。
「俺は、助けたいだけだ。その後は、静かに去る」
言葉に力を込める。
石が飛んできた。ラエルが身を挺して弾き落とす。
「……旦那……ソラ。もう意味がない。行こう」
精神的に限界だったのだろう。声が擦れていた。
「待ってくれ……」
俺は止める。
「……もう一度だけ、やらせてほしい」
深呼吸する。
「近づけなければ、助けられない」
「でも……誰でもいい。救われたいと思う者がいるなら、俺は拒まない」
「無理強いはしない。しばらく、この近くにいる。考え直してほしい」
完全な沈黙。世界が息を止めたかのような、張り詰めた間。
普通なら、ここで立ち去っていた。 助けを必要とする人間は他にもいる。
一箇所に留まる余裕はない。
だが、この場所は――
なぜか、引っかかった。
理由は分からない。
けれど、初めてユメやアリシアに出会ったときと、どこか似ている。
ここには、何かがある。
それを、見逃したくなかった。
風が、埃を巻き上げる。
「……旦那?」
じっと立ち尽くす俺を見て、ゲーンが声をかける。
「だから、ソラでいい。せめて“若旦那”にしてくれ……」
少し苦笑して続ける。
「悪いが、ここにもう少し留まりたい。迷惑なら、すまない」
「いいえ、若旦那ソラ」
即答だった。
「あなたの判断が、我々全員にとって最優先です」
反対意見は出なかった。
ラエルも、黙って頷くだけだった。
偶像のように扱われることに、不安を覚えることはある。
だが、その瞬間だけは――
彼らがそばにいてくれることが、素直にありがたかった。
最も状態の良さそうな建物に戻り、全員を集める。
数日ここに滞在する、と告げた。
誰も異を唱えなかった。
俺の意思が、最優先事項になっている。
それは、決して心地のいい考えではない。
それでも――
不思議と、胸の奥が少しだけ、落ち着いた。
【メンタルフラグメント】
メイ(白):
「はーい、完成! 三段ケーキ《薔薇色の疫病》風です!」
アニス(茶):
「えっ!? 薔薇色の疫病!? それ、名前的にアウトじゃない!? 食べて大丈夫なの!?」
メイ(白):
「もう三切れ食べてましたけど?」
アニス(茶):
「……それ、質問の答えになってないからね?」
アレクシア(黒):
「で、その砂糖細工のピンク色のネズミ……必要だった?」
メイ(白):
「空はネズミが好きでしょう? 成長記念のお祝いなんだし、可愛いと思って」
アリシア(黄):
「んー……美味しいわ。我が騎士の昇格祝いにはちょうどいいですね。今や、自前の護衛までいるのですから」
アレクシア(黒):
「無給の護衛ね。つまりブラック企業」
……それにしても、夢が妙に落ち着いている。
夢(橙):
「夢は、まだ現実を壊して空のところへ行く方法が分からないの。
だから今は、心の底から応援するしかないんだよ……
大人だらけで、可愛い女の子もいない、つまらない旅を」
アレクシア(黒):
「あー……急に全部つながった。でも可哀想ね、空。
あんな連中に物投げられて、相当大変そう」
夢(橙):
「……あの世界、壊しちゃおうかな。
それとさ、なんで恋敵レーダーが反応してるんだろ。
空、先にお仕置きしておいた方がいいのかな?」
アニス(茶):
「はいはい、落ち着こうかー」
アリシア(黄):
「私の騎士は、あなたを恋人にしている時点で、世界一勇敢な男性だと思います」
夢(橙):
「ありがとう!でもはっきり言っておくね。共有する気はないから。
どこかの外国の王女様みたいに、状況変えられないからって“二番目でもいい”なんて言わないもん」
アニス/メイ/アレクシア:
「「「「「ええええええええ!?!?!?!?」」」」」
アリシア(黄):
「なっ……!?ま、待ってください!!そ、それは完全に文脈が違います!!
私はそんな……! い、いえ……完全に違うわけでは……!それに王族では外交的にそういう選択肢も……!
ああもう!!な、なんでそんな目で見るんですか!?ち、違いますから!!」




