第14話 消毒巡回
POV:ジョン――分隊長
装備は万全だった。完全防護スーツ、作動確認済みのバイザー、携帯用焼却器、そして非常時用のサブウェポン。
ただの定期巡回だ。緊張する要素は何もない。
「これはあくまで確認任務だ」
スピーカー越しに将軍の声が響く。
「街に居座る資格を稼いでこい。できないなら、戻ってくる必要はない」
白い都市の第二層にいる連中にとっては、言うのは簡単だ。
そこに住んでいるのは、疫病以前の時代の金持ちや有力者――手を汚すことなく、命令だけを出すことに慣れた人間たち。
「任務は、旧・天空都市周辺部の消毒だ。詳細は各分隊長に伝達済み」
それだけ言うと、将軍は姿を消した。司令室から出てくることすらない。いつものことだ。
俺はその分隊長の一人だった。特別というわけじゃない。
巡回で多少なりとも積極性を見せていれば、遅かれ早かれ昇進する。浄化エージェントの場合はなおさらだ。俺も消毒巡回に就いてから、そう時間を置かずに分隊長の階級を得た。
給料は悪くない。だが、安全な都市の外に出ようとする者はほとんどいない。
志願者が少ないのも当然だ。多くは、もっと危険の少ない仕事を選ぶ――食料工場、上層用の家畜管理、再生水路の保守点検……似たようなものばかりだ。
通常、全員時間通りに集合する。
だが今回は、三人がギリギリで姿を現した。
そのうち二人は、浄化部隊のベテランだ。本気を出せば、自分たちで分隊を率いることもできるだろう。それでもなぜか、いつも俺の下についてくる。遅刻しているにもかかわらず、二人とも落ち着き払っていて、焦りは見えなかった。
一方、新人は息を切らし、明らかに疲れ切った様子で駆け込んできた。
俺は何も言わない。時間内は時間内だ。叱責する理由はない。
「俺はジョン。この消毒分隊のリーダーだ。新人は前に出て、自己紹介しろ」
新人は一人だけだった。
茶色の髪、緑の瞳、若々しい顔立ち。疫病が流行る前なら、女に不自由しなかっただろうタイプだ。
名簿に目を落とす。
「マルクス、十九歳。清浄都市生まれ。実地経験ゼロ……」
思わず小さく呟いた。第二層生まれ――親は相当な地位にいるはずだ。
こんな場所で、何をしている?
「マルクスです。志願しました。この任務、よろしくお願いします」
声はしっかりしていて、迷いはない。
「サラの彼氏ってのは、あいつか」
誰かが小声で呟いた。噂は部隊内をあっという間に駆け巡る。
サラが静かに現れた。バイザーを手に持ち、髪をまとめている。
何も言わず、彼女はマルクスの腕に寄り添った。それで十分だった。
「からかわないで。疲れてるのよ……ある人のせいで」
そう言って、別の隊員にちらりと視線を向ける。
リンネはスーツの留め具を調整しながら、小さく笑った。
不快そうな様子はない。むしろ、注目を楽しんでいるようだった。
「私が悪いの?」
軽い調子の声とともに、リンネがマルクスの反対側へ寄る。
「来てほしいって言ったのは彼よ。私は誘いに応えただけ」
二人は一見すると瓜二つだ。淡い金髪、灰色の瞳、若い頃から兵士として鍛えられた身体。
双子の姉妹だが、性格は違う。リンネは奔放で限界を押し広げるタイプ。サラは常に冷静で、どこか姉役のようだった。二人は互いを補い合い、常に一緒にいる。
その距離感を見て、マルクスがここに来た理由は理解できた。
恵まれた立場にいながら、わざわざ志願したのは――見せつけたかったのだろう。
上の頭ではなく、下で物を考える救いようのない馬鹿だ。
マルクスは疲労を隠すように、無理に笑った。
視線がサラとリンネの間を彷徨い、落ち着きどころを失っている。
「マルクスは私の正式なパートナーよ」
サラがそう宣言し、彼の腕に手を置く。
「でも、相手が可愛い妹なら、分け合っても構わないわ」
「まあ、優しいのね、お姉ちゃん」
リンネはサラの腰に腕を回した。
「前から言ってたじゃない。私たち、チームの方がうまくいくって」
「そうでしょう?」
サラは微笑む。
リンネの視線が俺と交差した。
彼女はわざとらしくならない程度にマルクスへ身を寄せ、低い声で言う。
「ね? いいものをちゃんと楽しめる人もいるのよ。一生ひねくれてる人ばかりじゃない」
挑発だ。分かっている。
気に食わないが、仕事さえきちんとやるなら、我慢はできる。
「そこまでだ」
俺が遮ると、反応は即座だった。
サラとリンネは無言で姿勢を正す。遊びの限界を心得ている。
マルクスだけが、状況を飲み込めず固まっていた。
俺は彼に向き直る。
「マルクス。俺たちの仕事について、何を知っている?」
一拍置いてから、彼は答えた。俺の口調に緊張したのだろう。
「消毒です。汚染された残留物を焼却して、ピンク疫病の拡大を防ぎます」
最低限、マニュアルは読んでいるらしい。
「その通り。サンプルの回収や分析はしない。菌糸や生体反応を見つけたら報告しろ。別班が処理する。
バイザーは全て記録する。確定した浄化数が多いほど、報酬も増える。スーツの密閉だけは絶対に保て」
「それだけですか?」
今度は少し落ち着いた声だった。まだ疲れは見えるが。
……睡眠を取って、変な相手にいい顔をしようとするのはやめた方がいい。
「基本はそれだけだ。後は現場で覚えろ」
ベテランの一人、ロレンツォがいつもの乾いた口調で割り込む。
「あと、生きてる奴を見つけたら、灰にしろ。そっちの方が報酬は高い。楽に稼げる。
その後は……好きに過ごせ。お前の自由時間でな」
マルクスは返事をしなかった。
リンネが距離を保ったまま、軽く彼の腕を小突く。
「冗談じゃないわ。真剣にやりなさい。
上手くいったら、私たちに豪華な夕食でも奢ってくれていいのよ」
屈託なく笑う。
サラも近づき、より慎重に、彼のスーツの襟元の緩みを直した。
「たとえ稼げなくても、私と一緒に過ごせばいいわ」
小さく囁く。
「リンネに全部、注意を奪われなければ、だけど」
「ちょっと!」
リンネがからかうような仕草で抗議した。
「分け合ってもいいって話だったでしょ?」
「今日、ちゃんと仕事をしたらね」
サラは落ち着いた声でそう返し、マルクスのバイザーを軽く指で叩いた。
二人とも成人した、訓練された兵士だ。
だが、こうして言い合っている姿は、どちらが得をするか競っているただの姉妹にしか見えなかった。
俺は咳払いをする。
「注意しろ。スーツに破損が出た時点で、たとえ髪の毛一本分の亀裂でも、お前たちは“対象”になる。例外はない。
どれだけ働いたかも、誰と寝たかも関係ない。清浄都市内での感染は、即・死刑宣告だ」
サラは自然に頷き、淡々と付け加えた。
「第九分隊の話、聞いたことある? 一人が錆びた梁で足を切ったの。血が噴き出したって噂よ」
「……それで、どうなったんだ?」
マルクスが尋ねた。もはや強がろうとはしていない。ただ、理解したかっただけだ。
こういう説明は分隊長の役目だ。だから、俺が続ける。
「ゲート前で弾幕を浴びせられた。警告は一切なし。その後、全員焼却処理だ」
言い終えると、マルクスは喉を鳴らした。
何度も見てきた反応だ。彼が最後になることはないだろう。
「……緊急シーリングは?」
彼はそう聞いた。
「それを信じてるの?」
リンネが喉を鳴らすように囁きながら、マルクスの頬に自分の頬を擦り寄せる。
「心配しないで。ジョンは怖がらせるのが好きなだけ。困ったら、私たちの“贈り物”を使えばいいのよ」
「無駄口は終わりだ。全員、輸送車へ」
輸送車は都市境界で待機していた。
外門がゆっくりと開き、澱んだ外気が一気に流れ込んでくる。
俺たちはスーツの浄化システムを起動した。
[浄化システム:起動]
[曝露レベル:中]
[潜在的感染リスク:高]
数時間後、俺たちは廃棄区域の一つに到達した。
通常、ここで生存者に出会うことはない。だが時折、自分の腐敗から逃げ出そうと、より汚染の少ない場所を求めて彷徨う者がいる。
見つけ次第、灰にする。それ以上の拡散は許されない。
俺たちのスーツは標準型の使い捨てだ。
低~中濃度汚染区域専用。高級品ではないが、仕事には十分。
手順は単純だ。
かつて人間だった肉塊を灰に変える。それだけだ。中には、まだ僅かに蠢くものもある。
「一体追加だ」
ロレンツォが銃を構え、引き金を引いた。
肉塊は不快な音を立てて燃え上がる。悪臭はスーツを貫通しなかった。
「でも、どうして焼くんです?」
マルクスが言った。自分の不出来を正当化したかったのだろう。
「放っておいても、そのうち勝手に崩れるんじゃ……」
「死んでからもウイルスを放出し続けるからだ」
俺は振り返らずに答える。
「焼かなければ、都市近辺の粒子濃度が上がる。俺たちの仕事は、ピンクの霧がここまで来る可能性を減らすことでもある」
「ピンクの……霧?」
「ウイルスRの大規模凝集体だ」
俺は説明する。
「その状態になると、ピンク疫病は感染を目的としなくなる。ただ、触れたもの全てを分解するだけだ。
あれが都市に到達すれば、全てが粉末状の桃色の塵になる」
「だから、ちゃんとやらなきゃダメなの」
サラが強い口調で言った。
「ああいうものは、この世界を汚すだけ。一体でも残せば、それだけ危険が増える。存在自体が間違いなのよ」
一瞬、二人の間に重苦しい空気が流れた。
リンネが近づき、彼の腕を軽く肘で突く。
だが、場の緊張を崩しすぎない程度に。
「ほら、妹の言葉に怯えないで。初日なんだから、できることをやればいいのよ。ね?」
マルクスは頷いたが、表情は硬い。
寝不足なのは明らかだった。疲労と、二人を失望させたくないというプレッシャー――限界が近い。
清掃を再開する。
一体、また一体。火、灰、煙。
サラは集中を切らさず、命令を正確にこなす。
リンネは相変わらず軽い調子だが、射撃に狂いはない。
二人とも、油断はしていなかった。
だからこそ、俺はここまで彼女たちを許容してきた。
態度がどうあれ、成果は落ちていなかったからだ。
だが、全員がそうではない。
マルクスが、金属残骸の多い場所にある肉塊へ近づいた。
姉妹の言葉通り、「いい仕事」をしようとしたのだろう。
だが足場が悪かった。
体勢を崩し、錆びたフックが脚に引っかかる。
布が裂ける音は、バイザー越しでもはっきり聞こえた。
「止まれ!」
俺は叫んだ。
全員が同時に振り向く。
マルクスは地面に倒れていた。スーツが破れている。
小さいが、完全に露出していた。
「スーツが! 早く! シールできる!」
彼は緊急シーリングに手を伸ばしながら叫ぶ。
サラはすでに銃を構えていた。
「時間がない」
「待って! でき――」
銃声が、懇願を断ち切った。
弾丸は彼を貫き、胸に沈黙を打ち込む。
マルクスは動かなくなった。
目を見開いたまま、理解できないという表情で。
ほぼ同時に、リンネも引き金を引いた。
マルクスの身体は仰向けに倒れる。
姉妹の顔に、迷いも悲しみもなかった。
やるべきことを理解している。
一言も交わさず、二人は並んで死体へ向かい、規定通り焼却器を起動した。
炎が数秒で彼を包み込む。
マルクスは灰になった。
それだけだ。
沈黙。
燃焼音と、汚染された風の唸りだけが残る。
誰も彼の代わりにはならなかった。
その必要もない。
「……区域を再確認しろ」
俺は命じた。声は揺れなかった。
「まだ消毒対象が残っている」
ここまで彼女たちを許してきた理由は一つだ。
肝心な瞬間には、正しい選択をするからだ。
快楽よりも規範、感情よりも任務。
私情で命を危険に晒したのは、彼だけだった。
姉妹は迷いなく引き金を引いた。
最終的に、彼女たちは兵士だった。
マルクスはもういない。
二度と戻らない。
第二層の誰かが文句を言うかもしれない。
だが、ここまで来ることを許された時点で、重要な存在ではなかったということだ。
任務は、いつも通り続行された。




