魔王様、それは会議にございます!
魔王ヴァルザーク、ついに人間界の“儀式”――会議へ。
沈黙の結界、うなずきの呼吸、封印の巻物(※議事録)。
勘違い全開でも、学びは本物。今日も魔王は、少しだけ社畜に近づく!
朝の庁舎は冷蔵庫みたいにひんやりしていた。蛍光灯がうなり、廊下の床は薄い氷のように光っている。掲示板の前で我は麦の冠を正し、胸の名札――〈ヴァルザーク/臨時〉――を二度、軽く叩いた。
今日の任は“会議”。紙の戦場を越え、ついに言葉の戦場へ。
「十時から定例の会議です。遅刻厳禁で、あとお願いですから変なこと言わないで下さい……! 黙る勇気です……!」
教育係のエリナが、懇願するような声で釘を刺す。黙る勇気。なるほど、発言すると怒られる類いの結界だな。
「心得た。結界は破るより、内側から操るが理」
「何言ってるんですか」
黒い上着を翻して、クロウ先輩が影のように現れる。
「同志よ。ここは言葉の戦場。剣は置け。うなずきを携えよ」
儀の匂いを嗅ぎつける天才。頼もしき同犯――いや、同僚である。
「任せよ。必要とあらば、沈黙で世界を制す」
「二人とも……ああ、黙ってくれるならもういいです」
とエリナ。後ろでトーマが小さくため息をついた。
「始まる前から体力使わないでください……」
会議室の扉が開く。長机が四角に組まれ、中央に黒い小柱――“声を拾い届ける道具”が鎮座している。机の上には|魔力を封じる神器より少し口が小さい筒と紙の束。
壁のホワイトボードには太い字で「週次ミーティング」と書かれている。
席に着くと、係長が静かに立ち上がる。
「定刻だ、これより週次ミーティングを始める。議事録はエリナさん、タイムキーパーはトーマ君。発言は手を挙げてくれ」
短い言葉で結界が張られた。勇者との戦いに臨む前の我らの軍議には遠く及ばぬが見事なものよ!
配られた紙は重い。飾り気はないのに重い。ページの角に「1/6」の数字。六層の迷宮か。最初の項は「窓口の待ち時間」
棒の図が伸びたり縮んだりしている。うむ、訳がわからぬぞ。
「先週は二十二分、今週は二十六分。特に混んだのは昼の時間です。学校関係の申請が重なったのと、新人を窓口に置いた影響。以上です」
エリナの報告は刃のように無駄がない。
――今サラッと我のせいにされたか?
抗議してやろうと我は手を上げかける――が、クロウ先輩に袖を引かれた。
「同志、ここは“うなずき”の儀」
「うむ……」
うなずく。周囲もうなずく。波だ。沈黙の波で場が整ってゆく。なるほど、これが会議の呼吸。軍議とはまた別物なのだなッ!
次の項目。「報告が遅れがちな書類の処理」。
「月曜の朝に集中します。なので“表にまとめる仕組み”を入れて、間違っている行だけ先に分けて処理します。今週試験運用して、問題ありませんでした。来週から本格運用でいいと思います」
トーマのことばに、我は思わず身を乗り出した。
「表にまとめる仕組み……カンマという鎖で繋がれし禁書の巻物!」
「ただの表です。あと発言するときは手を挙げて……いや、今は発言しないでくださいっ!」
トーマの発言と同時にエリナの踵が我の足を軽く踏む。不敬――であるが今のは我が悪いな、寛大な我は赦すことにする。
――沈黙、沈黙。うなずきの儀を忘れるな。
係長がボードに青い線で「来週から開始」と書き足す。ペン先の小さな音が、鐘の音より重く響いた。
「それから、朱肉の購入を少し減らします。共同で使う方向で」
係長の一言に、我が奥底の何かが跳ねた。
「なに、血を分け合う契約だと……? 狂気の策ではないか!」
空気がわずかに揺れる。トーマのペンが止まり、エリナの眼鏡が光る。係長は咳払いを一つ。
「……ヴァルザーク君、発言するときは挙手を」
「む……うむ。だが“質”は落ちぬか? 士気は下がらぬか?」
係長は数秒だけ考え
「現場の声として受け取ります。『共同で使うと減りが早くて一部印が薄くなる可能性がある』は対策に入れましょう」
と穏やかに返した。我が意見は通ったらしい。血を分け合うなど我が眷属を作る時しか行わぬと言うのに……
クロウが小さく拳を握る。同志よ、うなずくだけにしておけ。
「続いて、イベントの準備。『魔物同伴の区画』『スライムの容器の規格』『火を噴くパフォーマンス』――優先度高めです」
黒い線がボードに増えていく。場所の色分け、容器の条件、火吹きの注意。
言葉は短く、理由は具体。気づけば我もうなずきの儀に完全に入っていた。呼吸が整い、沈黙がよく回る。恐ろしいものだ、会議こそ人を従える、世界の支配者は事務処理ではなかったと言うのか……!
「では評価シートに入ります。継続すべき点、改善すべき点、それに対する改善策、各自三つおねがいします」
小さなマス目の紙が配られる。
エリナやトーマ、クロウの書き入れる文字を見て、我はしばし考え――
継続すべき点、礼を込めた印。困った:遅さ。試す:礼は最初と最後のみ、中は速く。と記入した。
「ヴァルザークさん、それ、直す点なんですけど……」
「――むぅ、仕方ない」
しかしすぐさまエリナによる指摘が入り、静かに用紙を書き換える。
沈黙、それこそが答えなのだ!
◇
会議は折り返しを過ぎ、話は重く厚くなる。神器の水面がひとことの重さに合わせて震える。
沈黙が長くなるほど、空気は凝る。凝った空気に一言を差すと、場が動く。だから我は己の舌を歯で押さえた。発言とは刃だ。抜刀の時を誤れば、己に刃を向けるのだ。
終盤、「書類の回し順」が話題に上がる。
「回す順番は“係長→総務→経理で、改めて確認をお願いします。稀に私や総務を通さず経理に回ることがあるので気をつけて」
係長の声に、我の背が凍る。
「奈落に落ちる迷宮の試練……!」
「ただの普通の回覧です」
三人同時に返ってきた。調和。負けた気がする。
「最後に、今日の記録はエリナがまとめておきます。
誤字脱字を直して、明日係長に確認してもらいます」
白い紙に黒い字。エリナの書く議事メモは冷たく、それでいて乱れがない。
行間に、今日の空気がぴんと張っている。――これが“封印の巻物”か……!
「署名は係長。確認の印も係長です」
「む……ならば我が代わりに――」
「代わりません」
「ふむ、我は封印の立会人、ということか!」
「……まあ、そういうことでいいです」
印筒を握ったまま固まる我を、クロウ先輩が肘でつつく。
「同志、今日は盾であれ。封印は明日、しかるべき者の手で」
タイマーが小さく鳴る。数刻の地獄は、結界が解けるみたいにふっと消えた。椅子が床を擦り、紙が重なる。人間の戦いは音が小さい。だが確かに、何かが動いた。
解散。廊下に出ると、空調の風が急に現実の温度に戻る。腕時計の秒針が、さっきより軽く進むような気がした。
「はぁぁ……疲れた……」トーマが壁にもたれて天井を仰ぐ。
「ヴァルザークさん、次から発言するときは挙手をお願いしますよ……あと挙げるのは片手でいいです、両手は挙げないで」
「片手では降魔の構えではないか」
「違います。まあ、発言はどうあれ、臆せず言えるのは美点だと思いますよ」
そう言うエリナの口元は少しだけ緩んでいるような気がした。貼り付けの笑みではなく、静かな本物の笑み。つまり我は合格ということかッ!
自席に戻ると、机に赤い小さな紙が二枚。どちらもエリナの字だ。一枚目――「紙の矢印、もっと太く」。二枚目――「会議での言い換えメモ:“血”→“品質”」
我はそれを名札の裏に挟んだ。護符だ。次の儀も、生還できるだろう。
午後。窓口に戻る。会議で決めた「見てわかる工夫」を試す。地図は赤・黄・緑で分け、スライムの容器は絵で示す。うむ、確かに言葉より正確に伝わる。
なかなかどうして、有意義な軍議だったものだ!
夕刻。シャッターが半分下りた頃、係長が我の机に立つ。
眼鏡の奥に見えるのは、ただ疲れた人間の光。
「……ヴァルザーク君。会議での発言だけどね、内容はいい。けど――挙手してから喋ってね」
「む、戦場で声を上げるに手続きが要るとは……!」
「ここは戦場じゃないんだけどね。次から頼むよ」
係長は苦笑を残して去っていった。
紙に支配されたこの世界にも、秩序という名の結界があるらしい。
閉庁。番号板の灯りが消え、会議室は静かな箱に戻る。ロッカーで麦の冠を取り、外へ。夜風が額を撫で、街灯の下で小さな蛾が円を描く。回覧の矢印みたいだ。人間も紙も、順路に従って回る。回るから、前へ進む。
宿舎。洗面台の鏡がこちらを映す。角のない額、少し疲れた目。深く息を吐き、我は自分に低く言った。
「今日の儀、学び多し。沈黙は盾、発言は刃。印は血にあらず。有意義であった」
口元がわずかに緩む。あの重い沈黙の中で、我は確かに生き延びた。
ポケットの印筒が「コト」と鳴る。今日の勝ち残りの音だ。
「人間の“会議”……静かなる戦場。空気という見えぬ怪物、手強し」
麦の冠をランプに掛ける。
明日は初めての休み。せっかくだし人間どもの街でも見てまわってやろうぞッ!
「人間の“会議”……沈黙が支配するこの儀式、
我が知るどの戦場よりも、空気が重かった……!」
次回予告
――戦いのない日、それは魔王にとって最大の試練であった。
役所は休み、朱も紙も沈黙する。
目覚めたヴァルザークが向かう先は――人間どもの街!
未知の“カフェ”、恐るべき“電車”、そして“ガチャガチャ”なる運命の輪……!
文明との邂逅に、魔王は涙するのか、それとも課金するのか!?
次回、「お休みの魔王様、それは散財にございます!」




